【毎日更新】余命宣告された侯爵令嬢、恋をして世界を救えと言われました 〜卒業の日までは、生きてるよ。たぶんね〜

第2話 才能は並、状況は不穏

　魔法学基礎講義室は、朝の光を嫌うように、厚いカーテンで半分ほど遮られていた。

　石造りの壁に刻まれた古い魔法陣。床に描かれた円環は何度も書き直された痕跡を残し、その上を薄く光る線がゆっくりと流れている。測定用の魔法具は無骨で、実用一点張りといった風情だった。

「これより、魔法適性測定を行う」

　教師は淡々と告げた。白衣の裾を揺らしながら、手元の記録板に視線を落とす。

「数値は絶対ではない。だが、目安にはなる。期待するな。落ち込むな。以上」

　簡潔すぎる説明だったが、教室の空気は自然と張りつめていった。

　数値。才能。それらが、ここでは一種の指標として扱われることを、誰もが理解している。

　アイリスは背筋を伸ばし、静かに息を吸った。

（数字で全部分かるなら、楽なのに）

　そんな考えが浮かび、すぐに胸の奥へ沈む。

　最初に呼ばれたのは、数名の貴族子弟だった。

　測定具に手をかざし、魔力を流す。淡く光る数字が浮かび上がり、教師が淡々と読み上げていく。

「標準。次」

「高水準。優秀だ」

　教室のあちこちで、息を吐く音が重なった。小さな囁きや、肩の力が抜ける気配が伝わってくる。数字を前にした表情は、それぞれ違っていた。

　やがて、教師の視線が一人の青年に向く。

「ロイド・ウィステリア」

　名前が呼ばれた瞬間、教室の空気がわずかに変わった。

　ウィステリア公爵家。

　魔法研究に長けた家系で、変わり者が多い――そんな評判だけは、入学前から広く知られている。十八歳。他の生徒より少し年上で、学園に入るには遅い年齢だ。その理由について、よくない噂が囁かれているのも事実だった。

　けれど、それが真実かどうかを知る者はいない。

　ロイドは、だぼだぼの制服のまま、気だるげに前へ出た。歩くたび、耳元のアクセサリーが小さく揺れる。

「はいはい」

　力の抜けた返事。

　測定具に手を置いた瞬間、床の魔法陣が強く光った。一拍遅れて、数値が跳ね上がる。

　教師は一度、記録板に目を落とし、次に測定具を見た。そして、もう一度、記録板を見る。

「……異常値だな」

　ざわめきが広がる。驚き。羨望。戸惑い。

　視線が、一斉にロイドへ集まる。

　けれど本人は、表示された数値を一瞥しただけだった。

「へえ」

　肩をすくめる。

「問題ないなら、戻っていい？」

「……ああ」

　彼が席へ戻ると、教室には言葉のない空気だけが残った。数字が示した“差”は、はっきりと浮かび上がっていた。

　次に呼ばれたのは、ギルバート・ラカル・ルクレール。

　金髪の王族は、迷いなく前へ出る。測定具に手を置く所作にも、躊躇はない。数値は高く、教師は短く頷いた。

「さすがだな」

「王族だもの」

　小さな声が、あちこちから漏れる。

　ギルバートはそれを当然のことのように受け止め、席へ戻った。誇る様子も、照れる様子もない。ただ、ほんの少しだけ――退屈そうに見えた。

　続いて、ルイが呼ばれる。

「ルイ・キャッツ」

「はい」

　返事は落ち着いている。

　数値は、平均よりやや低めだった。

　誰かが微妙な顔をし、

　誰かが興味を失ったように視線を逸らす。

　ルイは平然としていた。

　比較されることにも、数字を貼られることにも――慣れている。従者として。平民として。

　そして。

「アイリス・ヴァレリア」

　名前を呼ばれ、アイリスは一歩前に出た。

　測定具は冷たい。手を置き、魔力を流す。

「……標準」

　教師の声が響き、教室のあちこちで小さな囁きが起こる。

「侯爵令嬢なのに」

「期待外れだな」

　胸の奥が、わずかにざわつく。

　けれど、思ったほどではない。

（まあ、そうよね）

　次に呼ばれた生徒が、測定具の前に立った。

　緊張で肩を強張らせた少年だ。

　魔法具に触れる指先が、かすかに震えている。

「力を流せ。無理に引き出すな」

　教師の指示に、少年は大きく頷いた。

　――だが。

　魔法陣が歪んだ。

「……っ！？」

　空気が震え、床に刻まれた円環が不規則に明滅する。制御を失った魔力が、溢れ出したのが誰の目にも分かった。

「離せ！」

　教師の声が飛ぶ。

　だが少年は恐怖で身体が固まり、手を離せない。

　感情に引きずられた魔力が、さらに暴れ出す。

　衝撃が走った。天井の魔導灯が、大きく揺れる。

「危ない――！」

　次の瞬間、金属音とともに照明器具が外れた。

　アイリスは、考えるより先に動いていた。

「下がって！」

　床に片膝をつき、両手を叩きつける。

　得意でも、上手でもない。

　それでも――使える魔法がある。

「……来て！」

　短く、拙い詠唱。

　床の下で、ごり、と土が動いた。石床を割るように太い根が伸び上がる。木の根だ。歪で、不格好で、それでも必死に形を保っている。落下する魔導灯を、その根が受け止めた。

　鈍い音。衝撃。

　けれど、生徒の頭には届かない。

　教室が、凍りついた。

「……止まった？」

「今の、土属性……？」

　少年は膝から崩れ落ち、呆然と天井を見上げている。

「だ、大丈夫？」

　アイリスは息を切らしながら、根に触れた。

「ごめんね、ちょっと痛かったかも。……でも、助かったでしょう？」

　その言い方が、あまりにも能天気で。

　張り詰めていた空気が、ふっと緩む。

　その瞬間。

「危ない――！」

　ギルバートの声が響いた。

　彼の視線の先で、受け止めきれなかった別の備品が外れかけていた。

　天井から、真っ直ぐ――アイリスの頭上へ。

「っ！」

　誰かが、彼女を引き寄せた。

　衝撃と同時に、視界が揺れる。

　金属音が床に叩きつけられたのは、ほんの一瞬後だった。

「……大丈夫ですか！」

　耳元で聞こえた声に、アイリスは瞬きをする。

　黒髪。黄色い瞳。

「ルイ……？」

　彼は、彼女を庇うように抱え込み、備品と床の間に立っていた。呼吸が、わずかに荒い。

「危ないです。……本当に」

「え、あ、うん。ありがとう」

　アイリスは、きょとんとしたまま答えた。

「助かったわ。あれ、結構重そうだったし」

　その言葉に、ルイの肩がほんのわずかに震える。

「……お嬢様」

　叱りたいのか、安堵しているのか。

　どちらともつかない声だった。

　やがて教師が事態を収拾し、暴走した生徒は医務室へ運ばれる。壊れた魔導灯と、床から伸びたままの根だけが、事件の名残を残していた。

「……わ……くせに」

　ギルバートは、腕を組んだまま呟いた。

　数値は低い。魔法も、不格好。

　それなのに。

　完全に、目が離せなくなっていた。

　一方で。

　ロイドは、少し離れた席から、その一連を静かに見ていた。

　根が伸びた瞬間――

　ほんの一瞬、魔力の“質”が変わった。

（今の……）

　非常用の、予備魔法石。

　ごく短い反応だったが、

　通常の補助とは明らかに違う、鋭い共鳴。

「……へえ」

　ロイドは、小さく息を漏らした。

「それは、知らなかったな」

　当の本人は、まったく気づいていない顔で、折れた根を見下ろしている。

「……後で直さなきゃ。床、怒られるよね」

　その能天気さに、ロイドはほんの少しだけ口角を上げた。