稲荷山のタヌキ
水杜まさき
稲荷山のタヌキ
伏見の稲荷山。千本鳥居を登った先にある四ツ辻。
茶店が一軒建っている、見晴らしの良いところ。
ここからは京都盆地や大阪平野がはるか遠くまで見渡せる。
1945年8月14日。
アブラゼミやクマゼミの大合唱を背に、僕はここからぼんやりと遠くの光景を眺めていた。
手には配給のサツマイモを蒸かしたものが一本。
弁当というには質素すぎる。だが、それでもあるだけ贅沢だ。
はるか遠く、大阪の上空に
大阪の街からは炎と煙がもうもうと上がり、空を赤々と染め上げている。
あとから聞くに、
頬を伝う汗をそのままに、僕は芋を一口齧り、ただ『今生きている』ことだけを噛みしめていた。
◇ ◇ ◇
僕の家は京都の伏見、稲荷大社の近くにある。なので、稲荷山が遊び場だった。
母さんにおにぎりを握ってもらって出かけ、お稲荷さんに挨拶してから千本鳥居を登る。
そして、視界が開けた場所――四ツ辻でおにぎりを頬張りながら、遠くまで広がる風景を眺める。それが僕の楽しみだった。
楽しみといえばもう一つ。この辺りにはタヌキが住んでいる。
稲荷大社なのでキツネがいるのではないかと思われがちだが、そうではない。いるのはタヌキだ。
たまに顔を見せるそいつに、おにぎりを少し分け与える。するとタヌキはそれを食べ、礼をするように頭を下げて雑木林へと帰っていく。
その可愛い仕草を見るのがもう一つの楽しみだった。
◇
1939年12月。白米の販売に制限が掛かった。僕が9歳の時だ。
母さんの握るおにぎりは、ボソボソとした口触りの良くないものになった。
「これはこれで美味しいんやけど……ふんわりとした白米のおにぎりが食べたい」
「贅沢言いなさんな。もう少ししたら兵隊さんが戦争に勝って前の暮らしが戻ってくるから、それまでの辛抱や」
師走の寒々とした空気の中、僕は玄米のおにぎりを持って稲荷山へと向かった。
お稲荷さんにお参りをしたくなったのだ。
「日本が戦争に勝って、おいしいごはんがお腹いっぱい食べられますように」
稲荷大社の主祭神は
だが、この時期に誰もが神頼みすることは『日本の勝利』だった。
お参りを済ませた後、千本鳥居を通り抜けて奥社へ。更に歩き、新池の脇にある熊鷹社を過ぎ、三ツ辻を右に曲がって少し登ると、四ツ辻に到着する。
白い息を吐きながら、僕は広がる景色を眺めた。
今は戦時中。かつて子供たちが遊んでいた公園も、今では畑になっている。それに薪で調理を行う家が増えた。ところどころから白い煙がゆらゆらと立ち上っている。
「……日本はどうなってしまうんやろ」
僕は茶店の壁にもたれかかりながら、持参したおにぎりを頬張った。
ちょうどその時、それを見計らったようにタヌキが姿を現した。いつものヤツだ。
おにぎりを少し取ってタヌキに与える。そいつはそれを美味しそうに食べた。
「白いごはんをお腹いっぱい食べたいよなぁ。なあ、そう思うやろ?」
タヌキはきょとんと首をかしげ、それから雑木林に走り去った。
◇
1941年。米は配給制になり、腹いっぱい食べること自体が困難になった。
「母さん、白いごはんをお腹いっぱい食べたい」
「兵隊さんたちが頑張ってはるからね、もう少しの辛抱や」
その冬、日本軍が真珠湾を攻撃し、米国に一矢報いたとの報せが入った。
大人たちは大いに盛り上がった。
僕も素直に嬉しかった。これで前の暮らしが戻ってくるんだと。
しかし……、翌年には食糧管理法が施行され、食べるものはより少なくなった。
そして、僕の通っていた尋常小学校は、国民学校初等科に変わった。
『欲しがりません、勝つまでは』
そんな標語のもと、天皇陛下を賛美する教育がなされるようになった。
僕の父さんは、小学校の先生だった。
子供たちに人気のある先生で、前髪に若白髪が生えていて、それが尻尾のように見えることから『尻尾先生』の愛称で呼ばれていた。
そんな父さんが学校で言う。
「ええか。君らは大きくなったら第16師団に入って、お国のために手柄を立てるんや」
第16師団――稲荷山の南西、深草に駐屯地を構える、陸軍の師団。ここでは徴兵された京都・大津・宇治の青年たちが訓練を受けていた。
この時代、若者は兵士として活躍することが国是とされていた。
「でもな……」
家で話す父さんは違っていた。
「戦争はじきに終わる。そのあとに日本はどうなるんか。兵隊ばかり育てても仕方ない。俺はもっと未来を見据えた教育がしたいんや」
◇
1944年春。食糧事情はかなり厳しくなった。
米はめったに食べられない。主食は蒸かし芋になった。
僕は芋を一本持って稲荷山に登った。四ツ辻から景色を眺める。
いつものように岩に腰掛け、弁当――おにぎりに代わって蒸かし芋――に齧り付いた。
すると、タヌキが僕を見つけてやってきた。
僕はお腹がペコペコで、そいつに芋を分けるだけの余裕がなかった。
白いごはんが食べたい。それに……そうだ、肉も久しく食べていない。
「……こいつを捕まえて帰ったら、母さん喜ぶやろか……」
僕は芋を少し千切り、それをつまんでタヌキの方に差し出した。
ただならぬ気配を感じたのか、そいつは逃げるように雑木林の中に消えていった。
初夏。父が徴兵された。
徴兵年齢の上限が引き上げられた結果、父も兵役に就くことになったのだ。
「父さん、頑張って敵を倒してきてなぁ」
「ああ……。ありがとう……」
すごいことだというのに、父は元気がなかった。
それは白いごはんをお腹いっぱい食べていないからだと思った。
初秋。父が海外に赴くことになった。
徴兵されてから間もないのに。父さんはすごいと思った。
「フィリピンのレイテ島の戦いに参加することになった。二人とも、後のことはよろしくな」
僕は純粋に、海外で活躍できる父さんを誇らしく思った。
母さんや近所の人は千人針を作って父さんに持たせ、戦地へと送り出した。
だが……その後、どれだけ待っても父さんからの便りが届くことはなかった。
◇
1945年3月13日。南の空が赤く染まった。
稲荷山に登ると、既に多くの人が集まっていた。眺めると、大阪の街が赤々と燃えている。1回目の『大阪大空襲』だ。
「えらいことになった」「次は京都か」
集まった人たちからは不安の声が聞こえる。
「大阪から人が逃げてきたら困るわ。ただでさえ食べるものが行き渡ってないのに、これ以上人が増えたら……犬でも猫でも捕まえて食うしか……」
誰かがそんなことを口にした。
ふと、タヌキのきょとんとした顔が頭に浮かんだ。
その後も大阪への空襲は続いた。
僕はその都度、稲荷山に登り、四ツ辻からそれを眺めた。
この頃になると、タヌキは姿をまったく見せなくなった。人里離れた場所に逃げたのか、あるいは――
そして8月14日、ついに大阪砲兵工廠が陥落した。
◇
8月15日。
ラジオから静かな、それでいて厳かな声が響いた。
『朕、深く世界の大勢と、帝国の現状とにかんがみ、非常の措置をもって、時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝臣民に告ぐ。朕は、帝国政府をして、米英支ソ四国に対し、その共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり――』
大人たちは涙を流していた。
「日本は、戦争に負けたんや」
街は深い嗚咽と、蝉の合唱の中に沈んでいた。
けれどこの時、僕は期待した。
「戦争が終わった。ようやく父さんが帰ってくる。そして白いごはんがお腹いっぱい食べられる」と。
だが――父さんはいつまで待っても帰って来なかった。
◇
1946年。戦争は終わったが、食糧事情はますます悪くなった。
戦争から帰ってきた人が増えても、支給される食料の量はあまり増えなかったからだ。
この頃になると、街の中から犬や猫が姿を消した。代わりに京都駅あたりの闇市では、『何の肉だか分からない』串焼きが売られるようになった。
夏。我が家に小さな荷物が一つ届けられた。
中身は白木の箱。中には紙が一枚入っており、父の名前が書かれていた。
「ようやくお父さんが帰ってきた……。あんた、お疲れ様。よぉ頑張ったなぁ……」
母はその紙を抱きしめて、嗚咽を漏らした。
レイテ島に向かった第16師団は全滅。遺骨も拾えなかったという。
◇
1947年夏。父は稲荷山の麓、深草の陸軍墓地に埋葬された。『埋葬』と言っても、墓に入れることができたのは紙切れ一枚のみだった。
僕は母と二人で、その紙切れしか入っていない墓に手を合わせた。
本当ならば炊いた白いご飯をお供えしたいが、今はまだそんな時期ではない。代わりに蒸かし芋を一本供えた。
その時、背後の竹林からタヌキが一匹姿を現した。尻尾に白い毛が混じった、子ダヌキだった。
それを見た瞬間、僕は胸がぎゅっとなり、思わず呟いた。
「尻尾先生……」
子ダヌキは蒸かし芋を咥え、竹林へと走り去った。
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます