第2話 不敬な令嬢、王子の理想を全否定する
「……はぁ、はぁ……っ、ぜぇ……っ」
どれだけ走っただろうか。
ピクニック広場からはかなりの距離があるはずだが、一向に追いつける気配がない。
「……っ、あのご令嬢、なんでこんなに速いんだ!?」
後ろを振り返れば、お供のアルフレドはとうに脱落。 根性なしめ。
俺は執念だけで食らいついてきたが、7キロを過ぎたあたりでついに彼女を見失ってしまった。
どうしても、あの「光る頭」の秘密を知りたい。 その一心で周囲を捜索していると、木々の隙間から微かな泣き声が漏れてきた。
「うっ……お嬢様ぁ……まさか帽子が飛ばされるなんて……ううっ」
誰かが泣いている。俺は女性の泣き声を聞いて放っておけるタイプの男ではない。
なんとかしようと 声を頼りに森の奥へ踏み込むと、 そこには ――しゃがみ込んで肩を震わせる侍女と、その傍らに、腕を組んで仁王立ちするアンジェリカ嬢がいた。
アンジェリカ嬢は、坊主頭を惜しげもなくさらしたまま、堂々と立ち、木漏れ日を反射している。
うっ、眩しい。
「エイダ、そんなに泣かないで。髪の毛なんか、また生えるんだから!」
言い切った。清々しいまでの断言。 エイダと呼ばれた侍女が、鼻をすすりながら顔を上げる。
「で、でもお嬢様っ……! なにもあそこから逃げ出さなくても。王子殿下からのダンスの申し込みなんて……一生の誉れですのに……っ!」
「ダメ。ゼッタイ。王子。」
……俺は薬物か何かか?
「おい!人をヤバイ薬みたいに言うな!!」 我慢できずに飛び出した。
「げ!」
女性に「げ!」と言われたのは人生で初めてだ。
「……いやいや不敬な奴だな。なんで俺を見た瞬間に害虫でも見たような顔をするんだ?」
心底嫌そうである。
「カイト殿下! 全部あんたのせいよ!」
突然、アンジェリカ嬢が指を突きつけてきた。
「俺!? 何かしたか?」
アンジェリカ嬢は腕を組み直し、頭をぴかっと光らせて俺を睨む。
「あのピクニックに、年齢制限を設けたでしょ? 殿下自身が!」
ああ、それか。
「……そりゃあ、あれはお見合いを兼ねていたからな。7歳から47歳までなんて、収集がつかないだろう。だから16歳から38歳までに制限させてもらったんだ」
「38歳……いいんだ」
侍女がぽつりと呟いたが、無視した。 アンジェリカ嬢は鼻を鳴らす。
「あら、ストライクゾーンは広いのね。でも下は15歳からにするべきだったわ。そうすれば、義妹が来られたのに!」
「妹?」
そういえば、モロー家にはもう一人娘がいたはずだ。釣書で見た写真は、金髪に緑の瞳。大変、愛らしい令嬢だった。
「名前……なんだっけ?」
「ソフィアよ! 将来、あんたが心から愛する女の子!」
「は? 俺がアイス?」
「愛する女の子!」
少し考え込む。確かに可愛らしい子だったが。
「……ご冗談を。ソフィア嬢は、その…胸のボリュームが俺の好みには合わない。よって、彼女を愛するような事態にはならない!」
「あんたと、貧乳談議、するつもりはないからね……」
呆れるアンジェリカに、俺は食い下がった。
「そもそも、なぜお前がそんなことを断言できるんだ? 会ったこともないんだぞ」
「それは私が『転生者』だからわかるのよ!」
転生者。 聞き慣れない言葉に、侍女エイダが不安げに
「お嬢様、その話は……」
と袖を引く。 だが、俺は興味を惹かれて先を促した。
「……テンセイシャ? 死んで生まれ変わった、とでも言うのか?」
「そう、それ!」
エイダが
「ああ、言っちゃった」
という顔で天を仰ぐ。
「いい? この世界はね、前世で私が読んでいた『乙女小説』の世界なの! 私はその本を何度も読み返した。だから、この先何が起きるか――全部知ってるのよ!」
アンジェリカの言葉が熱を帯び、彼女の頭がより一層輝きを増した。彼女は豊かな胸を張り、高らかに宣言する。
「とにかく、この世界のヒロインはソフィア! あんたはいつか、命がけで彼女に恋をする。これは確定した運命なの!」
重い沈黙が流れる。 一つも信じられない話なのに、彼女の瞳があまりに真剣で、つい気圧されてしまった。
「……でもあの子、胸小さいよね?」
口をついて出たのは、それだった。 アンジェリカの眉間に深いシワが寄る。
「さっきからなんなのよ! 文句は運命に言いなさい! 私に言われても困るわよ!」
彼女はドカドカと歩み寄り、俺の肩をバシッと叩いた。
「だいたい、乳のサイズで女の魅力が決まると思ったら大間違いよ! 女は未知の魅力に溢れてるの!今のあんたには分からないだけ!」
「……その、未知なる魅力とは?」
アンジェリカはニヤリと不敵に笑った。
「あの子の太もも、やわやわのムチムチよ? 一度フニフニしたら、絶対に手放せなくなるんだから。あんたはきっと、その魅力に屈する!」
…………悪くない。
「まあ、そういうわけで。本当は今日、ソフィアとあんたは出会うはずだったのに――」
彼女の声が急に低くなり、俺を射抜くような視線に変わる。
「年齢制限のせいで、運命が狂ったのよ。ソフィアが来られなかった罪は重いわよ、カイト殿下?」
怒っているのか、呆れているのか。 複雑な表情で見つめられ、俺は首を傾げた。
「将来の恋人」が、貧乳で太ももがやわやわなのは分かった。
だが、先ほどの言葉が引っかかる。
「なあ……『命をかける』ってどういうことだ? 身分に問題はないはずだろう。何か障害がある恋なのか?」
その問いに、アンジェリカは一瞬、言葉に詰まったような顔をした。 そして、酷く場違いな、それでいて不吉な言葉を口にした。
「……ソフィアはね、魔王の花嫁になる運命だからよ」
「は? ……魔王?」
俺はその言葉に呆然とするしかなかった。
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