『山に逃げなさい』 ――皇帝ネロの時代、名もなき者たちの記録

@mai5000jp

『山に逃げなさい』

『山に逃げなさい』


――皇帝ネロの時代、名もなき者たちの記録


火は

夜よりも先に

名を奪った


誰の家だったか

誰の祈りだったか

灰は語らない


叫べば

見つかる

泣けば

連れていかれる


だから

人は

息を潜めて

信じた


――山に逃げなさい


それは

救いの言葉ではなかった

慰めでも

約束でもなかった


ただ

生きろ

という

短い命令だった


街は

光に満ちていた

剣と歓声と

処刑の炎で


山は

暗かった

獣の声と

冷たい風と

恐怖だけがあった


それでも

足は

山へ向かった


名を捨て

家を捨て

昨日を捨て


それでも

命だけは

捨てなかった


誰かが言った

これは奇跡じゃない

従った者が

生き残っただけだ


だから

私たちは

祈らなかった


歩いた

黙って

振り返らず


――山に逃げなさい


その言葉だけが

今も

私たちを

生かしている


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