第10話 帰る準備――選ばれなかった未来たち

その分岐は、あまりにも唐突に、そして残酷なほど明快に現れた。


深い霧が左右へと裂け、舞台の幕が上がるように視界が開く。

その先に伸びていたのは、二つの道だった。


一方は、天から降り注ぐ光に満ちた道。

懐かしいアスファルトの匂いを伴う、銀色の門がその終点に立っている。


もう一方は、輪郭すら定まらない暗がり。

光を拒むように沈み込み、

どこへ続くのかも知れない、底のない隘路あいろ


誰も説明はしなかった。だが、全員が理解していた。


――ここが、旅の終点であり、最後の「境界線」なのだと。


「……あれ。帰る道、だよね」


ユリナが、かすれる声で呟いた。

大きな瞳に、銀の門の光が反射し、宝石のように揺れている。


長い沈黙ののち、ガイドちゃんが小さく頷いた。


「……うん。たぶんね」


一瞬、言葉を探すように視線を伏せてから続ける。


「ドリームランドの理が、

 あなたたちを『不要』だと判断し始めた証拠。

 ……帰りなさい。そこが、本来属するべき場所よ」


その声に、かつての全能感はなかった。

けれど、三人の背中を押すには、十分すぎるほどの重さがあった。


「条件は揃った、ってことね」


カオリが、自分に言い聞かせるように呟く。


「裁きを越えて、自分のエゴを認めて……名前に触れた。

 ここで、帰る側と、残る側が分かれる。そういうシナリオ」


理知的な言葉とは裏腹に、組んだ腕はかすかに震えていた。


マサトが、眩しそうに門を見上げる。


「……なんかさ。思ってたより、嬉しくないな」


誰も笑わなかった。必死に辿り着いた出口は、

今や少しだけ、寂しそうに見えた。


「……私、正直、怖い」ユリナが拳を握りしめる。


「あんなに帰りたいって思ってたのに……いざ目の前にすると、

 二人をここに置いていく実感が湧いてきて……」


その視線が、俺と、隣に立つ少女へ向けられる。

もはや「ガイド」という役割を脱ぎ捨てかけている、彼女へ。


「私たちは、帰るべきだと思う」


カオリが、迷いのない声で言った。


「ここにいる理由は、もうないもの。

 怪物に怯えて、誰かの特別になりたくて足掻く時間は終わり。

 現実に帰って、自分の足で立ち直らなきゃ」


「だな」マサトが、どこか清々しく笑う。


「恋愛ごっこも、ヒーロー願望も終わりだ。

 正直……誰かのために命を張る覚悟なんて、

 俺にはなかった。タツヤ、お前みたいにはなれない」


それは敗北ではなく、

等身大の自分を引き受けた、大人の選択だった。


「……ありがとう。一緒に来てくれて」


俺が言うと、カオリは肩をすくめる。


「こっちこそ。ちゃんと振られて、スッキリしたわ。

 一生分の片思いを消化した気分」


「私も……誰かにすがるる前に気づけてよかった」


ユリナが微笑み、マサトが俺を見る。


「……で、お前は?」


答えは、最初から決まっていた。

俺は隣を見る。彼女は銀の門ではなく、暗い隘路を見つめている。


「……俺は」


言葉にするまでもなかった。

マサトは察し、「だよな」と短く笑う。


「ほんと、絵に描いたような分岐ね」


カオリが困ったように、けれど楽しげに目を細める。


「帰る人と、残る人。

 物語すぎて吐き気がするけど……嫌いじゃないわ」


ユリナが深呼吸し、ガイドちゃんの前に立つ。


「……ありがとう。案内してくれて」


一瞬、言葉に詰まった彼女は、やがて微笑んだ。


「……どういたしまして。お客様」


「私たちね」カオリが、はっきり告げる。


「あなたを選ばなかったわけじゃない。

 ただ、選べなかっただけ。……救えるほど、強くなかった」


ガイドちゃんは、ほんの少しだけ、本心から笑った。


「知ってる。……それでいいの。それが一番正しい」


銀の門が、急に輝きを増す。

別れの時が来た。


「行こう」マサトが促す。


最後にユリナが振り返り、叫んだ。


「……生きてね! 二人とも、絶対に!」


彼女は驚いたように目を見開き、深く頷く。


「……ええ。頑張るわ」


三人は、光の中へ進んでいく。

一人ずつ、白に溶けるように消えていった。


誰も振り返らなかった。

それが、残される側への最大の優しさだった。


――カチリ。


音が消えるように、門は閉じた。

世界は再び、ドリームランドの静寂に包まれる。


残ったのは、俺と彼女だけ。


「……行っちゃったね」


「ああ」


「羨ましい?」不安を隠すような声。


「後悔はない」迷いはない即答だった。


「お前がいるなら、ここが俺の行く場所だ」


彼女は視線を落とし、服の裾を掴む。


「……今回は、すごく重い。胸が痛い」


「一人じゃない」肩に手を置く。

「二人なら、半分こだ」


彼女は答えなかった。

だが、その距離はもう、離れなかった。


分岐は終わった。


現実へ帰る物語と、

ドリームランドの深淵へ進む物語は、完全に分かたれた。


そして――残された者たちの「奪還」の物語が、

静かに始まろうとしていた。



▶第11話へ続く

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