第五話「よろしくな、新入り」

 翼獅子騒動から、一週間が経過した。

 今日から、訓練所に通うことになる。


「おはよー」


 病室に迎えに来た楽は、着替えを持っていた。

 亜麻布でできた、キトンと呼ばれるそれを、楽に着方を教えてもらいながら着る。膝丈。楽と同じように下に簡素なデザインのズボンを履く。足元はサンダル。

 右肩を回して、指を開閉する。


「怪我、治ってよかったな」


 ヒイロの右腕を眺めながら楽が言う。


「ああ、傷跡もほとんど目立たなくてばっちり。クラウ先生のおかげだ」


 クラウにされた処置を思い出す。ケミカルな輝きを放つ深緑色の塗り薬を、傷口に塗りたくられた。途端に染みるような痛みと鋭い痛みと掻きむしりたくなる痒みに襲われ、今まで出したことのない類の悲鳴を上げてしまった。

 その分、効果覿面だった。クラウは、


「なんか他の人よりも治りが遅い。そういう体質?」


 などとぼやいていたが。


 病室から出て、廊下を渡り、階段を降りる。庭に出る扉をスルーして、怪我人や病人がいる待合室を通り過ぎて、円形の正面玄関から外に出る。

 ティリンスは本部を中心に、二重の壁で囲われた構造をしており、訓練所は外壁と内壁の間にあるらしい。舗装された石畳の上を、少し早めに歩いていく。


「緊張してる?」


 楽が尋ねる。


「そりゃまあ、少しは」


 あまり物怖じするような性格でもないが、それでも不安はないわけではない。


「ま、こーゆーのは慣れだよ、慣れ。肩の力抜いていこうぜ?」


 バシッと背中を叩かれる。

 内壁をくぐると、視界が一気に開けた。緑がひしめく広い土地に、古代ギリシャ風の建物があちこちに点在している。道は石畳ではなく、舗装されていない土の道だ。

 弓の演習場を横切りながら、ヒイロ達はある建造物に近づいていく。

 二階建ての石造りの建物で、正面には深い紺色と白色の柱が入り口に並べられて、庇と二階部分の床を支えている。頭上を見上げると、入り口の真上、梁のあたりに木の看板が打ち付けられている。丸に六芒星と、その中にΩが刻まれている。楽に教えてもらった、コスモスのマークだ。


「ここが学舎。下級クラスの教室は二階の一番奥な。じゃ、俺はここまでだから。頑張れよ!」

 

 サムズアップをして、楽が去っていく。


 よし、と気合を入れて、両開きの扉を開ける。

 入ってすぐ、見覚えのある姿を見つける。


「おう、遅かったな」

「ジーン、なんでここに?」

「今日の下級クラスの担当、おれに代わってもらったから。一緒に行くぞ」


 ヒイロの疑問に答えると、ジーンは有無を言わさず奥へと進み、階段を登り始める。


「緊張してるか?」

「少しは。訓練生としてうまくやってくコツとかある?」

「おれは訓練所通ったことないからなあ。とりあえず全員に勝つとか?」


 何一つ参考にならないアドバイスを貰いつつ、廊下の一番奥の教室に着いた。

 ジーンの後について、教室に入る。

 教室は、ヒイロが通っていた高校の教室の、ちょうど半分くらいの広さで、十数人の人たちがいた。席は指定されていないのか、各々が好きな座席に座っている。

 年齢はバラバラで、同じくらいか、やや上下するくらいの年頃の男女もいれば、明らかに成人している人もいる。髭だらけの老人もいた。


「よし、注目!今日は新入りを紹介する。転移して早々ミノタウロスを倒した、期待の新人、ヒロ!みんな仲良くするように」


 教室がざわめきに包まれる。

 十数の資産が、一斉に突き刺さる。好奇の目、値踏みする目、あからさまな警戒の色を浮かべた目。歓迎するような空気は、あまり感じられない。


「あれが例の『ミノタウロス殺し』?若いじゃん」

「思ったより弱そう」

「…………ふん」

「婆さん、飯はまだかのう」


 老人は明らかにボケていた。大丈夫なのだろうか。


「今日は中級クラスと合同で模擬戦を行う」


 ざわめきが一転、歓喜の声が上がる。


「各自準備をして、十五分後に闘技場アリーナに集合な。カルシノン!悪いがヒロの面倒を見てやってくれ」


 一番前の席に座っていた金髪の青年がはい、と返事をする。

 それを聞くと、ジーンはさっさと教室から出て行ってしまった。訓練生達も席から立ち上がり後に続く。

 カルシノンと呼ばれた青年が、軽やかな足取りでヒイロのそばまでやってきた。


「よろしくな、新入り」


 金髪の髪はゆるく波立ち、光を反射してきらりと光る。整った顔立ちに、気取らない笑み。


「俺はカルシノン。神々の使者、ヘルメスの息子だ」


 ひょいと右手を差し出してくる。


「秋月ヒイロです。ヒロって呼ばれてる」

「ヒロか。よし、ヒロ」


 握手を交わす。掌は温かく、無駄な力みがない。


「噂は聞いてるぜ、『ミノタウロス殺し』。得物を選びに行こう。得意なのは、槍か?剣か?」

「特にない、かな。ミノタウロスの時は、角を折って使ったし」

「へぇ、そりゃすごいな。じゃ、武器庫に行こう。着いてきて」


 カルシノンの後を追う。廊下を渡り、階段を降りて、学舎の外に出る。

 朝日に照らされながら、二人で未舗装の道を歩いていく。学校のグラウンドみたいな楕円形のトラックを通り過ぎて、円形の建物に到着する。

 

「ここが闘技場アリーナ。武器庫はこっちだ」


 カルシノンの先導に従い、闘技場アリーナの隅の部屋に入る。

 中は埃っぽく、冷たい鉄と油の匂いがした。

 壁一面に武器が掛けられ、床いっぱいに武具が散らかっていた。


「ちょっと待ってろよ」


 そう言うとカルシノンは部屋の奥へと進み、ガサゴソと武器やら防具やらの山をかき分ける。山から兜を引っ張り出して、こちらへ放ってきた。


「被ってみて。サイズ合ってる?」

「あー、うん。多分」


 正直、兜なんて初めて被るのだから、サイズ感がどうとか言われてもいまいちピンとこない。

 渡された兜はモヒカンのような羽飾りがついていて、耳以外の側頭部と後頭部がすっぽりと覆われ、顔の部分は開いている構造だ。


「来たばっかだし、鎧は軽めの皮でいいよな〜。なるべく軽い装備で、得物は……剣でいいか」


 カルシノンは山から取り出した剣を鞘から抜き、重さを確かめる。


「これでいいか、持ってみろ」


 鈍色に輝く刃。刃渡り50センチくらい。両刃。根本は細いが真ん中から先端にかけて木の葉状に膨らんでいる。

 差し出された柄を握る。試しに数度振って、鞘に戻した。


「うん、いい感じ」


 何がいい感じなのかは分からなかったが、とりあえず言っておいた。

 次いで、三日月に似た形の、木の盾を渡される。最後に皮の胸当て。

 胸当てを身につけ、右手に剣、左手に盾を持ち、頭には兜。


「どう?装備してみて」

「うーん、変な感じ」

「まあ、慣れだよ、慣れ」


 今日はやたらと慣れろと言われる。


 二人で武器庫から出て闘技場アリーナの通路を歩いていく。遠くから、訓練生の掛け声が聞こえてくる。

 角を曲がったところで、一人の少女と出くわした。

 白いキトンに、青い外套。布地は質素だが、縁には細やかな金糸の刺繍があしらわれている。艶やかな短い黒髪。切れ長の目が、こちらを射抜くように細められる。少しつり上がり気味の瞳が、一瞬だけヒイロを値踏みするように上から下まで動いた。年はヒイロよりも少し下に見えるが、立ち姿だけでも、一種のプレッシャーがあった。


「集合時間、過ぎてるけど」


 冷たい声音。ルールを守れない人間を窘める、というよりも、敵対的で刺々しい印象を受けた。


「あー、悪い。ゼウクシア。ヒロの装備用意しててさ。ちょい遅れた」

「ちょい、ね。集合に遅れてみんなに迷惑かけても気にしないんだ?ジーンのお気に入りの『ミノタウロス殺し』クンは。それとも一匹怪物を殺しただけで一人前の英雄気取り?」


 ゼウクシアと呼ばれた少女は鼻で笑う。

 明らかに敵意を剥き出しにした態度で、少しムッとする。

 何か言おうとしたが、その前にカルシノンが一歩前に出た。


「よせよ、噛みつくのは。そう言うお前はなんでここに?集合時間は過ぎてるんだろ」

「君たちを迎えに来たんだよ、ジーンに言われて」


 露骨に嫌そうな顔をしながら、ゼウクシアは答えた。

 

「で、英雄気取りの『ミノタウロス殺し』クンは、ピカピカの新装備で、どれだけ活躍してくれるのかな?」

「別に、英雄気取りなんかじゃない」


 思わず口が動いた。新顔が噂になって気に食わないのかもしれないが、色々言われる筋合いはない。


「へえ、それじゃ単なるジーンの情夫?どっちなのかは、模擬戦ですぐに分かるかな」

 

 ゼウクシアはわずかに顎を上げる。その仕草には、生まれついた“上”側の人間の癖が滲んでいた。

 踵を返してゼウクシアは足早に去っていく。


「何?あいつ」

「噂になるってのはこういうこと。まあ、気にするな」


 カルシノンが言ってヒイロの肩をぽん、と叩いてくる。

 言葉は軽いが、口調からは思いやりが滲んでいた。

 出会って間もないが、カルシノンは良い奴だと思えた。

 それに引き換えゼウクシアは、自分が高貴な側にいる人間だという自負が滲み出ていて、どこか好きになれない。あの品定めするような視線は、嫌な気分にさせられる。


「ちなみにあいつ下級クラスとは思えないくらい強いから、模擬戦で当たったら死ぬ気で逃げな」

「え?マジ?」

「本当。俺よりずっと強いよ」


 事もなげに言うカルシノン。一瞬、冗談かと思ったが、笑っていない彼の横顔を見て、いたって真面目に助言をしてくれているのだと感じる。

 格上の相手だろうと、構わずにヒイロを庇ってくれた目の前の男が、すごく頼もしく見えた。


◆◇◆


 闘技場アリーナは、転移者バルバロイが建てた施設らしい。内部は神々の強力な魔法によって、一種の仮想空間になっている。広さや地形を自由に変えることができ、この空間に入ると肉体も仮想のものに置換される。中で首を刎ねられたり胴体に穴が空いたりしても、本来の肉体には一切影響がない。


「とはいっても痛みはそのままだから、怪我しないに越したことはない。まずは生き残ること優先な」

「なるほど、超進化したVRゲームみたいな感じか」


 カルシノンから説明を受けながら、半透明のベールをくぐり抜けて、内部に入る。羽根で体を撫でられたような、ぞわりとする奇妙な感覚。これで仮の肉体になったらしい。

 内部は鬱蒼とした森が広がっていて、その入り口部分にジーンと訓練生達が集まっていた。

 正確に言えば、ジーンの左右に立てられた赤と青の旗の周りに、それぞれグループを形成していた。

 先ほどよりも人数が多いのは、中級クラスの訓練生が合流したからだろう。ジーンの左右には、赤と青の旗が立てられている。


「すいません。遅れました」

「おう、来たか。二人は青チームな」

 

 カルシノンが軽く謝罪をして、ジーンも大して気にせず指示を飛ばす。


「あいつが『ミノタウロス殺しだよ』。ほら、噂の」

「ジーンが拾ってきたっていう奴?あんま強そうじゃないね」


 ひそひそ声が耳に入ってくる。名前よりも、いつの間にか一人歩きしている呼び名の方が、ここでは通りがいいらしい。

 向けられる視線が、期待なのか、興味本位なのか、あるいは失敗を見たいだけなのか──ヒイロには、判別できなかった。


「今回のルールはフラッグ争奪戦。赤と青の二チームに分かれて、お互いの陣地にある旗を取り合う。それだけだ。新入りもいるし、細かい状況設定や戦術の指定はなし。罠や兵器の作成・使用は許可しない。あくまで自分の能力と武器だけで戦え。作戦会議は旗の位置決め含めて二十分。合図がしたら開始だ。以上!」


 ジーンがそう締めくくると、赤と青、二色の旗の周りにいる訓練生の中から、声が上がる。


「赤チーム、行くぞ!」

「青チーム、ついてきて!」


 旗を持ち、声を上げた訓練生に従い、二つの集団が、それぞれ森の奥へと入っていく。

 

「あの、ヒロさん」


 聞き覚えのある声がして、振り向いた。


 真っ白な髪。氷の欠片を溶かしたような淡い瞳。右腕は金色の義手。ノアだ。

 病院で見た姿と同じ──いや、それよりも少しだけ、戦いに出る者の装いをしていた。白いキトンの上に胸当てをつけ、腰には鞘に収まった短剣が二本。義手の指が、癖のない動きで静かに開閉する。


「ノア!?ああ、そういえば中級クラスだって言ってたっけ」


 療養中、ノアはヒイロの病室へと足繁く足を運んでくれていた。その時に聞いた内容を思い出した。

 ノアは現在、ジーンの内弟子として師事する傍ら、訓練所の中級クラスに通っている。ジーンの身内ということもあって、訓練生の間では結構有名らしい。


「同じ、チームですね。頑張りましょう」

「お、なんだなんだ。おひいさまと知り合いか?なら大活躍して良いとこ見せないとな」


 カルシノンが後ろから肩を組んで茶化してくる。

 うるせえ、と肘で小突きつつ、ちらりと横目でノアの姿を盗み見る。無表情に近い横顔。淡い瞳は相変わらず感情を読み取りにくい。

 転移して、ミノタウロスに襲われて、ぼろぼろになったヒイロをノアは見つけてくれた。

 その恩返し、というわけではないが、今日は前回よりもマシなところを見せたい。ゼウクシアに何を言われようと、周りの訓練生にどう評価されようと構わない。ノアにだけは、「運良く生き延びただけの奴」じゃなくて、ちゃんと戦えるのだと示したい。胸の奥で、小さな闘志がじわりと灯るのを、自分でもはっきりと感じていた。

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