第8話

図書館の時計が、小さく時を刻んでいる。


白夜の語りが終わったあと、

誰もすぐには言葉を発さなかった。


雨の音だけが、遠くで続いている。


最初に口を開いたのは、蓮華だった。


「……」


一度、息を吸ってから、ゆっくりと言う。


「白夜さんの話……

 よく分からない部分も、正直あります」


琉奈は少し身構えたが、

蓮華の声は穏やかだった。


「でも……」


蓮華は胸元に手を当てる。


「聞いていて、胸が痛くなりました。

 理由は分からないのに」


白夜の指先が、わずかに動く。


蓮も、机の端を指で叩きながら口を開いた。


「俺も……」


視線は落としたまま。


「宵夜って名前が出たとき、

 なんか……“ああ、やっぱり”って思った」


「やっぱり?」


琉奈が聞き返す。


蓮は首を傾げた。


「うん。でも何が“やっぱり”なのかは分からない」


自分でもおかしそうに、苦笑する。


「記憶なんて、何にもないのにさ。

 なのに……」


蓮は言葉を探すように、少し黙った。


「……一人で歩いてたって聞いたとき、

 すげー嫌だった」


その言葉に、空気が揺れた。


白夜は何も言わない。


蓮華が、そっと蓮を見る。


「蓮……」


「だってさ」


蓮は顔を上げない。


「一人で全部終わらせた、みたいな話、

 俺……嫌いなんだと思う」


琉奈の胸が、どくんと鳴った。


(……どうして?

 この二人も……)


蓮華は少し考えてから、白夜を見る。


「白夜さん」


「はい」


「宵夜という名前を使っていた頃……」


一瞬、言葉を選ぶ。


「……誰かと、話すことはありましたか」


白夜は、すぐには答えなかった。


「……必要最低限、ですね」


「そうですか」


蓮華は、小さく頷いた。


「……それは、寂しかったと思います」


白夜の瞳が揺れる。


「ええ」


短い返事だった。


蓮は、椅子に深く座り直して言う。


「記憶ないし、確証もないけどさ」


白夜を見る。


「白夜さんって……

 たぶん、誰かと一緒にいる方が向いてる」


瑠奈が思わず吹き出しそうになる。


「それ、急にどうしたの」


「いや、なんとなく」


蓮は肩をすくめる。


「一人で歩き続けるタイプじゃない気がする」


白夜は、ほんの少しだけ目を見開いた。


そして――

困ったように、でも柔らかく笑う。


「……そう、でしょうか」


「そうだと思う」


蓮華も、静かに頷いた。


「理由は説明できませんが……

 そう感じます」


沈黙が落ちる。


けれどそれは、さきほどまでの重たい沈黙ではなかった。


瑠奈は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


(……記憶がなくても)


(……残るものは、あるんだ)


白夜は、そっと立ち上がる。


「……ありがとうございます」


「え?」


「宵夜の話を……

 否定されなかったことが」


蓮は首を振った。


「否定する理由、ないし」


蓮華も微笑む。


「それに……」


少し照れたように。


「もしその“宵夜”という人が、

 今の白夜さんなら」


「……?」


「私たちは、今の白夜さんの方が好きですよ」


白夜は、言葉を失った。


琉奈はその横顔を見て、思う。


(この人……)


(ちゃんと、今ここにいるんだ)


ノートの端が、また震えた。


りん……


琉奈は、その音を聞いた気がした。

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