第2話

「今日も来たんですね、白夜さん」


「ええ。……どうしても、このお話からは目が離せなくて」


今日も、図書館の窓際。

やわらかな午後の日差しが机を照らす。

私がノートを広げると、白夜さんは当然のように隣へ座った。


「今日は何を書くんですか?」


「キャラクター設定を、もう少し進めようと思ってます」


私は新しく準備したページに“孤月 つばき”と書き込む。


「つばき、ですか。主人公ですよね?」


「はい。……自分の名前、綴葉紀 瑠奈(つづはき るな)からもじって」


「なるほど。……とても、あなたらしいですね」


白夜さんは微笑む。

その表情がどこか懐かしげで、胸がざわつく。


(……昨日会ったばかりなのに。どうしてそんな顔、するんだろう)


私は気を紛らわせるように、質問した。


「あの、白夜さん。

 つばきの“守り人”の名前と見た目……白夜さんからお借りしてもいいですか?」


「……もちろん。

 むしろ……そう言ってもらえるなら、嬉しい、ですよ」


その声は、どこか震えていた。

喜びとも、哀しみともつかない響き。


思わず、胸が痛くなる。


(……どうして。どうしてそんな風に言うの……?)


「白夜さん、つばきの見た目ってどんなイメージあります?」


私が軽く投げた質問に、白夜さんは少しだけ目を伏せ……

そして、とても丁寧に答えた。


「つばきは……銀に紫が混ざった髪で、腰までの長さ。

 歳は十二。

 瞳は、深い紫色。

 狐族の中でも、美しい子でした」


(……でした?)


「それに、名前の由来は……二月に生まれたから、だったはずですよ」


私はペンを握ったまま固まった。


「……あの。白夜さん?」


「はい」


「どうして、そんなに細かく……?

 つばきの性格も出生も、何も言ってないのに……」


白夜さんは、柔らかく笑った。


けれど、その微笑はどこか“自分をごまかすため”みたいで。


「すみません。……これは、私の妄想です。

 昔から、物語の人物像を作る癖があって」


「……そう、なんですか」


「ええ。設定の由来も……そうですね。

 “名前に理由があると読者が覚えやすい”というだけの話ですよ」


誠実に、丁寧に。

そう説明してくれているのは伝わる。


だけど心の奥で、何かが小さくひっかかったままだ。


(“だったはず”……?

 どうして、過去形なんだろう)


白夜さんは、私の考えを読むように表情を緩めた。


「気にしなくて大丈夫ですよ、琉奈さん。

 あなたの“つばき”が、正解なんですから」


なぜだかその言葉が、胸の奥にすとんと落ちる。


「……はい。じゃあ、この設定で進めてみます」


「楽しみです。一緒に描きましょうね」


白夜さんはそう言って、そっと私のノートを見つめた。


まるで――

そこに書かれる少女の名前を、“ずっと前から知っていた”かのように。


それからしばらく、図書館の空気が、少しだけあたたかくなった頃。


琉奈は新しいページを開き、

「つばきの守り人」という見出しを書き足していた。


白夜はその文字を見て、

一瞬だけ、ほんの一瞬だけ――息を止めた。


「……あの」


「はい?」


声をかけられて顔を上げると、

白夜は珍しく視線を泳がせていた。


いつもは落ち着いているのに、今日はどこかぎこちない。


「その……守り人の設定なんですが」


「え、もうダメなところあります?」


琉奈が半分冗談で言うと、

白夜は困ったように笑って、小さく首を振った。


「いえ。大筋は……とても良いです。

 ただ……一点だけ……直していただきたくて」


「一点だけ?」


白夜は咳払いをひとつして、

ノートの端を指で軽く叩いた。


「ここに、“守り人は常に冷静で、決して感情を乱さない”とありますよね」


「あ、はい。

 強くて、理性的で、動じないタイプかなって」


白夜は一瞬、黙った。


そして、ほんのりと耳まで赤くして、目を逸らす。


「……それは……違います」


「え?」


「守り人は……冷静そうに見えるだけで」


声が少し、低くなる。


「本当は……

 感情を、ものすごく抱え込む人です」


琉奈はペンを止めた。


「抱え込む……?」


白夜は、少しだけ苦しそうに笑った。


「心配も、不安も、恐怖も……

 全部、表に出さないだけで」


一拍置いて、続ける。


「……一番近くにいる人を失うことを、

 誰よりも……怖がっている」


その言葉が、胸の奥に刺さった。


「……白夜さん?」


「すみません。

 今のは……完全に、個人的な意見です」


慌てて付け足すように言うけれど、

その声音は誤魔化しきれていない。


琉奈はしばらく考えてから、

ノートに線を引いて書き直した。


“守り人は、感情を持たないのではない。

感情を、表に出さないことを選んだ人だ。”


「……これで、どうですか?」


白夜はノートを見て、

今度ははっきりと――優しく笑った。


「……ありがとうございます。

 とても……正しいです」


「……正しい、って」


琉奈は小さく笑いながら首を傾げる。


「まるで、実在の人物みたいな言い方ですね」


白夜は一瞬、言葉に詰まったあと、

少し照れたように視線を逸らした。


「……会ったこと、ありますから」


「はい?」


「いえ。……物語の中で、です」


(何言ってんだこの人……)


そう思いながらも、

なぜか琉奈はそれ以上、突っ込めなかった。


白夜は静かに席に戻り、

再びコーヒーを口に運ぶ。


けれどその指先は、

ほんの少しだけ――震えていた。

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