第7話:試練


 その日の朝、寮の窓から差し込む光は明るかった。  

俺は狭い自室の机で、愛銃ピースメーカーと向き合っていた。


 シリンダーをスイングアウトするわけではない。

ピースメーカーは、ローディングゲートを開き、シリンダーを指で回しながら一発ずつ確認していく銃だ。  

カチリ、カチリ、と硬質な音を立てて回転する弾倉。  

そこに収まっているのは、真鍮色の鈍い輝きを放つ「5発」のカートリッジだけ。


 6つの穴のうち、一つは空だ。  

俺の手持ちにある弾薬の全てが、これだった。


「……間に合わなかったな」


 独り言が、部屋に響く。  

エレオノーラとの遭遇以来、俺は必死になって「弾薬の作成」を試みた。  

錬金術の教科書を読み漁り、市場を駆けずり回り、怪しげな素材屋にも顔を出した。  

だが、結果は惨敗だ。  

この世界において、黒色火薬の原料となる硝石や硫黄は、やはり市場に出回っていない。  

鉛を溶かして弾頭を作ることはできても、それを飛ばすための火薬が手に入らない。


 つまり、今の俺は「撃ち尽くしたらゲームオーバー」という状況で、初の実技試験に挑まなければならない。  

予備弾なし。失敗は許されない。  

牽制射撃なんて贅沢もできない。


「はぁ……胃が痛い」


 深く溜息を吐きながら、俺はピースメーカーを布で包み、通学鞄の二重底ではなく、腰のホルスターへと収めた。  

今日は実技試験だ。武器の携帯が許可されている。

もちろん、教師たちは俺が「銃」を持っているなどとは夢にも思わないだろうが。  

上着を羽織り、前をしっかりと閉じる。


「やるしかない。5発あれば、ヘッドショット5回決められる」


 自分に言い聞かせるように呟き、俺は部屋を出た。


 


 試験会場となる「初級ダンジョン」の入り口広場には、すでに多くの新入生たちが集まっていた。  

皆、煌びやかな杖を手にしたり、新品の革鎧に身を包んだりと、どこか遠足気分の浮き足立った空気が漂っている。  

 魔法が使える彼らにとって、初級ダンジョンなど「安全な狩場」でしかないのだろう。

 だが、その空気は教師の言葉によって一変した。


「これより、前期実技試験を開始する!」


 髭を蓄えた厳格な教官が、声を張り上げた。


「今回の合格条件は一つ。ダンジョン内部へ潜入し、自身のランクより『2段階以上』高い魔物を討伐、その魔石を持ち帰ることだ!」


 ざわり、と生徒たちの間に動揺が走る。  

2段階上。  

Dランクの生徒ならBランク相当。CランクならAランク相当。  

いや、通常は生徒の安全を考慮してランク分けされているため、これは実質的に「格上の相手に挑め」という無理難題に近い。


「おいおい、マジかよ……」


「Bランクの魔物なんて、パーティ組まなきゃ無理だろ」


 不安そうな声が漏れる中、俺の背筋は凍りついていた。  

俺はGランクだ。  

2段階上ということは、標的は「Eランク」。  

初級ダンジョンにおけるEランクといえば、ゴブリンロードや、オークといった大型魔獣が該当する。  

魔法障壁を持たない俺が、一撃でも貰えば即死する相手だ。


(5発でオークを狩れってか……?)


 血の気が引いていくのが分かる。  

周囲の視線が、ちらちらと俺に向けられているのに気づいた。

憐れみと、侮蔑の混じった視線。


「Gランクの無能が終わったぞ」


「あいつ、魔法も使えないのにどうするんだ?」


「死ぬんじゃね?」


 そんな囁き声が聞こえてくる。  

俺は拳を握りしめ、表情を殺してダンジョンの入り口を見つめた。  

抗議しても無駄だ。この学園において、ランクこそが絶対。

できない者は淘汰される。それがルールだ。  

俺には、あの銃がある。  

オークだろうが何だろうが、脳天に45口径をぶち込めば死ぬ。

それだけを信じるしかない。  

装備の最終確認をしていた、その時だった。


「よう、ゴミ虫。顔色が悪いぜ?」


 背後から、粘りつくような声がかけられた。  

振り返ると、取り巻きを数人引き連れた金髪の男が、ニヤニヤと笑いながら立っていた。  

バリス・フォン・ルグニカ。Dランクの貴族であり、入学当初から事あるごとに俺を目の敵にしている男だ。  

高価なミスリル製の軽鎧に、宝石が埋め込まれた杖。

いかにも「金持ちのボンボン」といった出で立ちだが、その実力は本物で、火属性魔法の使い手として学年でも上位に位置している。


「……何か用か、バリス」


「用? ハッ、用なんてあるわけねえだろ。ただ、これから死にに行くマヌケな顔を拝んでおこうと思ってな」


 バリスは俺の周りをゆっくりと回りながら、大げさに肩をすくめた。


「Gランクごときがオーク狩らないといけないとはな。学園側も遠回しに『退学しろ』って言ってるのが分からねえのか? 無能が迷い込んで死体になれば、回収する俺たちの手間が増えるんだよ」


 取り巻きたちが下卑た笑い声を上げる。  

俺は無視を決め込み、ダンジョンへ向かおうと歩き出した。  

関わっている時間はない。気力を消耗するだけだ。


「おい、無視すんなよ」


 ドンッ。


 すれ違いざま、バリスが俺の肩を強く突き飛ばした。  

俺はよろめき、たたらを踏む。


「おっと、悪かったな。あまりに貧弱だから、風が吹いただけで飛ぶかと思ったぜ」


 バリスは俺の背中を、ポンポンと親しげに叩くような仕草をした。  

その瞬間、鼻先に甘ったるい香りが漂った。  

腐った果実と、濃厚な花の蜜を煮詰めたような、独特の香り。


(……なんだ、この匂い?)


 俺は眉を顰めた。  

バリスのような貴族は香水を嗜むのが常識だが、それにしても趣味が悪い。  

だが、バリスはそれ以上何も言わず、「せいぜい死なないように頑張りな」と吐き捨てて、取り巻きたちと共にダンジョンの中へと消えていった。


 後に残された俺は、背中に微かな違和感を覚えながらも、それを深く考える余裕はなかった。  

時間は刻一刻と過ぎている。  

俺は気を取り直し、ピースメーカーの位置を確認すると、薄暗い洞窟の入り口へと足を踏み入れた。




 ダンジョン内部は、冷たく湿った空気に満ちていた。  

壁面には発光する苔が群生しており、松明がなくても辛うじて視界は確保できるが、その薄明かりがかえって影を濃くし、不安を煽る。


 俺は足音を殺し、壁沿いに進んでいた。  

基本戦術は隠密行動だ。  

俺には魔法防御も、身体強化もない。ゴブリンの錆びたナイフ一発で致命傷になり得る。  

だからこそ、FPSで培った「クリアリング」と「索敵」を徹底する。  

角を曲がる前に耳を澄まし、足元の小石に注意し、視線が通る場所を避ける。  

雑魚敵との戦闘は全て回避し、ターゲットである「Eランクの魔物」だけを見つけて、奇襲で仕留める。それが唯一の生存ルートだ。


 最初は順調だった。  

遠くで他の生徒が戦闘している爆発音や声が聞こえるが、俺の周囲は静かだった。  

だが、潜入してから二十分ほど経過した頃だ。


 ――ゴトッ。


 背後から、音がした。  

俺は即座に岩陰に身を隠し、呼吸を止める。  

現れたのは、三匹のゴブリンだった。  

汚れた布切れを腰に巻き、手には粗末な棍棒を持っている。  

奴らはキョロキョロと周囲を見回し、鼻をヒクつかせている。


(……索敵か? いや、様子が変だ)


 通常、ゴブリンは視覚と聴覚で獲物を探すはず。だが、今の奴らは明らかに「鼻」を使っていた。  

そして、あろうことか、俺が隠れている岩陰の方へ、迷いなく近づいてくる。  

音は立てていない。風下でもないはずだ。  

なのに、まるで俺の居場所が最初から分かっているかのように。


「ギィ、ギャッ!」


 一匹が俺を見つけ、金切り声を上げた。

 

見つかった!  


俺はとっさに岩陰から飛び出し、腰のナイフを抜いた。  

銃は使えない。ここで発砲音を立てれば、周囲の魔物が一斉に集まってくる。

それに、こんな雑魚に貴重な弾を使うわけにはいかない。


「シッ!」


 飛びかかってきた先頭の一匹の眉間に、ナイフを突き立てる。  

前世のゲーム知識ではなく、この世界で生き抜くために死に物狂いで覚えた技術だ。  

だが、残りの二匹が左右から襲いかかる。  

俺は死体を盾にして一撃を防ぎ、そのまま蹴り飛ばして距離を取った。


「くそっ、なんでバレた!?」


 俺は走り出した。  

戦っている暇はない。血の匂いはさらに敵を呼ぶ。  

逃げる俺の背後から、さらに多数の足音が聞こえてきた。

三匹だけじゃない。四方八方から、何かが集まってきている気配がする。


 その時、俺の鼻腔をくすぐったのは、あの「甘ったるい香り」だった。  

走りながら背中に手を回すと、上着の背中部分がべっとりと濡れていることに気づく。  

バリスに突き飛ばされた場所だ。


「……あいつ、まさか!」


 記憶がフラッシュバックする。  

バリスの意地の悪い笑み。ポンポンと叩かれた背中。


「魔物寄せの香水か……ッ! あいつ、マジで殺す気かよ!」


 怒りで視界が真っ赤になりそうだった。  

あいつは俺に、低級とはいえ魔物を引き寄せる香水を塗りつけたのだ。  

隠密行動が生命線のGランクにとって、それは実質的な死刑宣告に等しい。


「ハァッ、ハァッ……!」


 息が切れる。足が泥に取られる。  

背後からは「ギャアアアア!」というゴブリンの叫び声と、ペチペチという素足が地面を叩く音が迫ってくる。  

数は十や二十じゃない。  

戦えない。立ち止まれば食い殺される。


 俺は迷路のような通路を、死に物狂いで駆けた。  

狭い亀裂があれば身体をねじ込み、崩れた石があれば蹴って道を塞ぐ。  

泥水をすすり、岩肌で肘を擦りむき、蜘蛛の巣に突っ込みながら、ただ「生」にしがみつくように逃げ回る。


 プライドも何もあったものじゃない。  

這いつくばってでも、距離を稼ぐ。


「こっちか……!」


 行き止まりを避け、直感で選んだ道は、ダンジョンの正規ルートから外れた、地図に載っていない横穴だった。  

俺は転がり込むようにその横穴へ滑り込み、大きな岩の陰に身を潜めた。


 追っ手の足音が、遠ざかっていく。どうやら撒けたようだ。


 俺は心臓の音がうるさいほど響く胸を押さえ、荒い呼吸を整えた。  

全身泥だらけだ。上着は破れ、背中の香水の匂いが鼻について吐き気がする。


「……バリス、絶対に許さねえ」


 復讐心が、恐怖を上書きしていく。  

だが、今は生き残ることが先決だ。  

俺は顔の泥を拭い、顔を上げた。  

逃げ込んだ先は、少し開けた広場のような空間に繋がっているようだった。  

静かだ。  

先ほどまでの喧騒が嘘のように、その広場は静寂に包まれていた。


 ――ひっ、うぅ……。


 微かな嗚咽が聞こえた。  

聞き覚えのある声だ。俺は岩陰からそっと顔を出し、広場の様子を窺った。


「う、嘘だろ……なんでこんなのがここに居るんだよぉッ!?」


 そこには、腰を抜かしてへたり込むバリスと、その取り巻きたちの姿があった。  

彼らの自慢の装備は見る影もなくボロボロで、バリスの手にあった宝石付きの杖は無残にへし折れている。  

恐怖に顔を歪め、後ずさる彼らの視線の先。  

広場の中央に、それはいた。


「……グルルルゥ……」


 喉を鳴らす重低音が、俺の腹の底まで響いた。オークだ。  

だが、教科書に載っている茶色の肌をした豚人間ではない。  

全身の筋肉が異常に肥大化し、皮膚はドス黒い赤色に変色している。

口からは長い牙が突き出し、手には身の丈ほどもある巨大な鉄塊――おそらく冒険者の武器を奪ったもの――を引きずっている。


 変異種(ユニーク)。  


ダンジョン内で稀に発生する、通常個体とは比較にならない力を持ったイレギュラー。  

Eランクどころではない。あれはB、いや、下手すればAランクに届く怪物だ。  

Dランクのバリスたちが束になっても、手も足も出ない相手。


「くるな、来るなよぉ!」


 バリスが悲鳴を上げ、折れた杖の先端から小さな火球を放つ。  

だが、放たれた炎はオークの胸板に当たっても、焦げ跡ひとつ残さずに霧散した。  

バリスの魔法が通用しない圧倒的な魔力抵抗。  

オークが、ニチャリと口元を歪めたように見えた。  

それは、獲物の抵抗を楽しむ強者の笑みだ。  

巨大な鉄塊が、ゆっくりと振り上げられる。


 バリスたちは動けない。恐怖で腰が抜けているのだ。  

次の瞬間、彼らは間違いなくミンチになる。


 俺は岩陰で、その光景をただ見ていた。  

自業自得だ。あいつは俺を殺そうとした。魔寄せの香水をつけ、魔物の群れに食わせようとした。  

その報いが自分に返ってきただけだ。  

俺が助ける義理なんて、これっぽっちもない。  

ここで見捨てて逃げれば、嫌な奴がいなくなって清々する。誰も俺がここにいたことなんて気づかない。


 そうだ、見捨てろ。  

俺の弾は5発しかないんだ。

あんな化け物を相手にするために用意したんじゃない。  

逃げろ。今すぐ。


 ……なのに。なぜ俺の手は、上着の下のピースメーカーを握りしめているんだ?


 オークの腕が、頂点に達した。  

バリスが絶望に顔を歪め、目をつぶる。


「……クソがッ!」


 俺は吐き捨てるように叫び、岩陰から飛び出した。  

合理性も、恨みも、全部後回しだ。  

目の前で人が死ぬのを黙って見ているほど、俺はまだこの世界に染まりきっちゃいないらしい。


 俺は両手でグリップを握りしめ、銃口を突きつけた。  

距離、約十五メートル。  

ターゲット、変異種オークの頭部。  

俺の存在に気づいていない今が、最初で最後のチャンス。  

外せば、俺も死ぬ。


 ハンマーを起こす音が、カチリと広場に響いた。


(残り弾数、5発――絶対に生き残る)





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