第6話:疑念
森の獣道を、小走りで進む。
背後では、鳥たちがギャーギャーと騒がしく鳴き喚いていた。あの轟音はそれだけヤバかったということだ。
誰かと鉢合わせる前に、学園の敷地内へ戻らなければならない。
服の中にあるピースメーカーは、革のホルスター越しでも熱を感じた。
右手には、痺れが残っている。
だが、今の俺には別の問題がある。
匂いだ。発砲した瞬間に出た白煙。
その中に含まれる硫黄と硝石の焼けた匂いが、服や髪にこびりついている。
タバコを隠れて吸った高校生が、先生の前を通る時の気分だ。
消臭スプレーなんて便利なものはないし、風で飛んでくれるのを祈るしかない。
森の出口までは、大人の足で十分ほどの距離だ。
木々の密度が薄くなり、学園の裏庭へと続く小道が見える場所までたどり着いた。
人影はない。まだ騒ぎにはなっていないようだ。
「……ふぅ、セーフか」
安堵して角を曲がった、その瞬間だった。
俺は心臓が止まりかけた。
「――ッ!?」
目の前に、一人の少女が立っていた。
流麗な銀髪。陶磁器のような肌。蒼い瞳。
エレオノーラ・フォン・アルカディア。
公爵家の令嬢であり、学園最強の生徒。
彼女は腕を組み、不機嫌そうに森の入り口を塞いでいた。
終わった。完全に待ち伏せだ。
逃げられない。
俺は引きつりそうになる頬を無理やり抑えて、なるべく不自然にならないように歩み寄った。
「……今の音、あなた?」
挨拶もなしに投げかけられた声に俺は心の中で悲鳴を上げながら、精一杯とぼけてみせる。
「お、音? 何のことですか? 僕はただの散歩で……」
声が裏返らなかった自分を褒めたい。
エレオノーラは表情を変えず、組んでいた腕を解いた。
無言のまま、カツン、カツンとヒールを鳴らして近づいてくる。
視線が俺の全身を観察する。
バレるか?銃の膨らみが?
いや、そもそもこの世界の人間は銃を知らない。変な魔道具を持っていると思われるくらいか?
俺は身構えた。冷や汗が背中を伝う。
エレオノーラは俺の目の前で足を止めた。
整った眉が、ピクリと動く。
「……何、この匂い」
彼女は露骨に手で鼻を覆った。
指摘されたのは「音」ではなく「匂い」だった。
この世界における「焦げた匂い」といえば、料理の失敗か、火魔法の残り香程度だ。
だが、今俺が纏っているのは違う。火薬と鉄の焼ける、鼻を刺すような硝煙の匂い。
「嗅いだことがないわね。それに、すごく嫌な感じだわ」
エレオノーラは生理的な嫌悪感を隠そうともせず、目を細めた。
彼女の野生の勘が告げているのだろう。この匂いが、魔法とは相容れない異質なものであると。
まずい。この匂いを「危険な兆候」と判断されれば、身体検査に発展しかねない。
俺はGランクの落ちこぼれらしく、情けない笑みを浮かべて頭をかいた。
「あー……臭いますよね、すみません」
言い訳を高速で検索する。
魔法の実験?魔力ゼロの俺が?無理がある。
なら、もっとダメな理由だ。
「実は、森で見つけた変な木の実と、手持ちの薬品を混ぜてみたら、ボフッて爆発しちゃって……。ほら、僕、成績悪いじゃないですか。なんかこう、手っ取り早く頭が良くなる薬とか作れないかなって……」
自虐100%の嘘。
落ちこぼれが、楽をして成果を出そうとして失敗する。
ダメ学生のエピソードだ。
エレオノーラは俺の顔をじっと見つめた。
蒼い瞳が、俺の眼球の動きまで観察するように見つめてくる。
心臓の音が聞こえそうだ。
数秒の沈黙。永遠にも感じられた。
ふっ、と彼女は興味を失ったように鼻を鳴らした。
「……木の実と薬品?」
「は、はい。赤くて棘のあるやつで……」
「知らないわ。そんな下らない実験で、空気を汚さないでちょうだい」
彼女は吐き捨てるように言った。
通用した。
彼女にとって、この匂いは「未知の物」から、「馬鹿な劣等生の失敗臭」へとランクダウンしたようだ。
「……ふん。奇行がお好きなのね。学園を燃やさないように」
エレオノーラは冷たく言い放つと、俺の横を通り過ぎていった。
その背中は、俺のことなど既に記憶から消去し、音の正体を確かめるために森の奥へと向かっている。
「……あっぶねぇ……」
俺は彼女が去ったのを確認すると、急いでその場を離れた。
寮までの道のりで、すれ違う生徒たちが「なんか焦げ臭くないか?」「実験失敗したんじゃね?」と噂するのが聞こえるたび、寿命が縮む思いだった。
自室に滑り込み、鍵をかける。
ドアに背中を預け、ズルズルと座り込んだ。
膝が笑っている。
「マジで危なかった……」
大きく息を吐く。
バレなかった。本当に首の皮一枚だ。
俺は上着を脱ぎ、ピースメーカーを取り出した。
通学用の革鞄を手に取り、中身をベッドにぶちまける。
鞄の底板を外すと、わずかな隙間が現れる。夜なべして加工した「二重底」だ。
スパイ映画の真似事だが、やっておいて本当によかった。
そこに布で包んだ銃を慎重に収め、底板を戻す。
教科書やノートを上から詰め込めば、外見からも重さからも分からない。
エレオノーラは今頃、あの古木の前に立っているかもしれない。
だが、彼女は「銃」を知らない。あの弾痕を見ても、「未知の貫通魔法」か「新種の魔獣」としか思わないはずだ。
問題は、そこじゃない。
俺は脱ぎ捨てた上着を拾い上げ、匂いを嗅いだ。
まだ臭う。ファブリーズが欲しい。切実に。
今日のエレオノーラの反応で分かった。硝煙の匂いは、この世界では強烈な「異臭」として記憶される。
今後、撃つたびにこの匂いをさせていたら、いずれ「あの匂いの発生源=カイル」だと特定される。
そして何より――。
俺はポケットから、空になった真鍮の薬莢を取り出し、指先で転がした。
残弾5発。
たった5回トリガーを引けば、俺の切り札はただの文鎮になる。
ゲームなら補給ポイントがあるが、ここにはない。
「……弾、作るしかないな」
弾薬の自作。
それは銃の修理以上に、危険で困難な道のりになるはずだ。
俺は薬莢を握りしめ、重いため息をついた。
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