社不怒

小狸・飯島西諺

掌編

社不しゃふって結構いるんだね、なんか安心したわ』


 そんなことを当たり前のように言ってくる友人に、心底ぞっとした。


 友人は、先月転職した。


 前の職場でのハラスメントを受け、僕でも分かるくらいに痩せてやつれていた。


 転職をして人生一転、とまではいかなかったようだけれど、以前よりも充実した職場環境に、満足しているらしい。


 その際。


 転職をしようかどうか迷っている際に、彼は調べたのだそうだ。


 色々と。


 何と調べたのかは、具体的には聞かなかったし、聞けなかった。


 これは憶測でしかないが、SNSやXエックスで、自分と似た境遇の人間を探したのだろう――彼は、そういうところがある。


 その時に。


 友人の口から出た言葉が、それである。


 社不、とは、おそらく社会不適合者の略称である。


 少し僕の話をしよう。


 僕は、職に就いて一年目の時、大学時代のサークルの一つ上の、同性の先輩から、性被害を受けた。


 普通に尊敬する、普通に良い先輩であった。


 結果、精神疾患を発症し、道行く男性にすら加害される恐怖を抱き、ほとんど自宅から出ることができなくなった。


 仕事は、勿論もちろん辞めた。


 何よりも僕の心を苦しめたのは、その同性の先輩は、サークルのOB内で、ということだった。


 僕の決死の証言より、その先輩の虚偽の申告のほうが、優先されるのである。


 悔しかった。


 色々な方法を駆使した。


 時に弁護士に相談し、時にサークルの同期に打ち明け、時に通院し、時にカウンセリングを受けたけれど、それらは何一つ上手くいかなかった。


 結局、その先輩は、今も尚、そのサークルのOBとして信用され続けている。


 僕への性被害は、その先輩の犯罪行為は、


 僕の精神は、その時点で完全に崩壊した。


 虚無になった。


 何にも感動することが、できなくなった。


 心の起伏が、消滅した。


 僕は完全に、人間ではなくなった。


 以降は、悪化の一途を辿たどりながらも、通院、カウンセリング、服薬、市と国からの支援を受け続けながら、何とか生きる振りを続けている――という状態である。


 ここまでつらつら一体お前は何を述べたいのか、と思う方もいらっしゃるかもしれないけれど、要するに僕は、社会不適合者なのである。

 

 だってそうだろう。


 皆のように普通に仕事ができていなくて。


 皆のように普通に毎日が送ることができていなくて。


 皆のように普通に外出することができなくて。


 皆のように普通に自己肯定感を育むことすらできなくて。


 皆のように普通に味方になってくれる人なんていない。


 第三者から見れば、どんな理由があろうとも、僕は立派な、社会不適合者の一員だろう。

 

 正確には僕は、社会から引き剝がされたと思っているが、社会はそんなこと勘案してはくれない。


 あの先輩――あの男のせいで、僕の人生は終わったに等しい。


 唯一友人には、それを伝えていた。


 はずだった。


 のだが。


「…………」

 

 その時、僕がどんな返答をしたのかを、僕は覚えていない。


 多分、ありきたりな言葉で返したのだろう。


 社不。


 そんな言葉が、ひんやりと喉元を凍えさせた。


 自覚はしている。仕事も日常もギリギリで過ごしている僕は、間違いなくそうである。


 でも。


 それでも。


 予定調和的な会話をして、通話を切った後、僕は嘆息した。


 ――君には、そう言わないでほしかった。


 ぎゅっと飲み込んだ胸が、どこか息苦しかった。




(「社不しゃふ」――了)

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