第1話 ENISHI-ing Goes(1)

 アジア最大のチャイナタウンとして知られる横浜中華街。

 巨大な天蓋に覆われたこの街へ注ぐ陽光は極夜のように燻んでおり、代わりにサイケデリックなブラッディ・ネオンがそちこちで煌めいている。

 このエリアが「世界一安全な街」と呼ばれる所以は二つある。一つは、戦後間もない頃よりここに暮らし続けてきた老華僑による知恵と努力のおかげで治安が保たれているという意味での「安全」。そしてもう一つは、血式工学の黎明期に危惧されていた未知の病原菌やウイルスによる感染症を、技術の粋を集めることで克服した世界初の都市であるという意味での「安全」である。


 血――かつてそれは、動物の生命維持をつかさどる源泉としてのみ理解されていた。だが血式工学は【血漿機関プラズマ・エンジン】によって血液を機械装置の動力源へと変え、【血流通信ヘマトロニクス】によって生体電流をデータ化してやりとりすることを可能にした。人間は己を機械化するのと並行して、万物を生物化することを推し進めたのだ。

 ――そして血式工学の光は同時に、人間社会に巨大な影をもたらしたのだった。

 スピーカーから爽やかな音声が響き渡る。


『……こちらはバイオ治安局です。高額の短期バイトなどと偽って、若者の血液を狙う犯罪が急増しています。許可証のない人の売血・買血は法律で禁止されています。絶対やめましょう……』


 商人と観光客で賑わう街並みを、青年はひとり、急きたてられるように小走りで抜けていく。

 変装のつもりなのだろう。ハットを目深に被って革製のマスクで口元を覆い隠した中世の医師のような姿は、この防疫都市ではむしろ悪目立ちした。

 合成音声による『客引きに捕まっているそこのあなた!』という不特定多数へ向けられた警句に、青年は思わずビクッとして足を止めた。


「はぁっ……はぁっ……」


 何者かに追われている。そんな強迫観念に近い妄想に、彼は取り憑かれつつあった。

 視線を感じて振り返った先にいたのは、娼館の屋根飾りにとまった蝙蝠型の嗜血式神たちだった。警察組織がパトロールのために放ったものだ。ジィ……チチチ……と僅かな駆動音をたてながらこちらを走査する蝙蝠と目が合って、彼は自分が罪人にでもなったような気分がして生唾を飲み込んだ。


(狼狽えるな。僕が追われる必要なんてないんだから……)


 今度は反対側から、凍てつくような視線を感じた。



『せいぜい逃げ惑え――咎人よ』



「うわぁあっ」


 至近距離で囁かれ、腰を抜かして目を剥く。しかしそこには、食べ歩きに興じる一般人しか見当たらなかった。通りすがりの女性は面食らった様子で、マンゴスチンを頬張りながら「なんなのよ」と不満そうに呟いた。


「……すみません。なんでもないんです」


 一度気にすると、今度は全員が疑わしく思えてしまう。あの人もこの人も。隙あらばこちらの命を狙っているように思われて仕方がない。青年はすっかり神経をすり減らしていた。


 大回りな回り道の末に、彼はようやく目的の場所に辿り着いた。


「ここであってる…………のか?」


 地図と照らし合わせながら建物の外観を訝しげに見る。短く見積もっても軽く築四十年は経過していそうな、古びた雑居ビルだった。「アマミヤビル」という名前を見るに、オーナーは連絡をとった代表者のようだが。それにしても、エントランスの案内板を見るにほとんどのフロアが貸会議室となっており、入っているテナントといえば一階の精肉店以外は一社だけのようだ。

 相手と連絡を取るべく血式端末を取り出し、採血リングに指を通して認証を行おうとし(待て)と思いとどまった。

“敵”はどこから僕を見張っているかわかったもんじゃない。通信だって傍受されていないとは言い切れないじゃないか。

 心を決めかねてエントランスの前を行ったり来たりしていると、脇のゴミ捨て場に蹲る人影が視界に入り、ドキッとした。

 金龍が刺繍された青いスカジャンを羽織った背中が、メトロノームのように一定のリズムで横揺れを繰り返し「たーま、たまたまたまたま♪」と風変わりな呪文のようなものを唱えていた。

 そろりそろり、足を忍ばせて人影の前に回り込む。


「たぁーまっ……♡ たまたまたまぁ……えへ……かわゆーいねぇ……でへへ……」


 サビた金色をした髪を雑にしばった眼鏡の女性が、キジトラ猫の“ふぐり”をふにふにといじくってでれでれした笑みを浮かべている。

 青年はその光景に、なんとも言えない親しみを抱いた。

 オスの宝をまさぐられた猫がふにゃーんと身悶えする姿態と、それを恍惚と見つめる女性の瞳、鍵盤を弾くかのような指さばきから目が離せなくなった。

 それで――あれほど張りつめていた緊張の糸が緩み、彼女に「すみません」と声をかけた。

 と。


「んあ“ァ?」


 因縁をつけてると思われたらしく、銀縁の向こうからギョワッと睨みつけられ思わず「ひっ」と竦み上がった。


「なに? ナンパ? 新聞? 保険の営業?」


 爪先から頭のてっぺんまで、じっくりと品定めするような視線を向けられる。心なしか、腕の中の野良猫も威嚇しているようだった。フシューッ(俺のタマタマタイムを邪魔すんじゃねえぜ)。


「あーハァ〜ン? わかった、置き薬だ。最近ガリア製薬の下請けが押し売りしてんだって? 悪いけど間に合ってるから」


 疑いをかけられ、彼はヒュッと喉を鳴らした。


「ち、違います!」


 勇気を振り絞って彼は「あの! “ハレバレさん”はこちらで合ってますでしょうか?」と切り出した。


「……なに?」


 形のいい小麦色の眉がぴくっと上がった。再び、頭から爪先までこちらの姿を眺め回すと、突然なにか閃いたように「あ」と口を開いた。彼女の態度は一転して、今度は怯えた表情で媚を売るように小さく頭を下げた。


「もしかして横浜バンクの人? げえっ。へ、返済の件ですよね。あ、あはは……すいません! 今ウチの社長ちょーっと立て込んでて! や、返せないってわけでもないんですよ? 月末まで待ってもらえれば」

「借金取りでもないですってば!」


 慌てて否定すると、彼女は「なんだぁ。よかったぁ……」と心底安心した顔でほっと息をついた。


(表情がコロコロ変わる人だな)



 通されたのは、四階のワンフロアを丸ごと活用した事務所だった。

 玄関口に掲げられた「合同会社ハレバレ」という温かみのある木の看板の端には「第一種因果取扱業(バイオ治安局認可済)」と、営業を許可するステッカーが貼られている。

 ドアをくぐると、殺風景な外観からは想像もつかないほど落ち着いた空間が広がっていた。部屋に流れるのは、オルゴール風にアレンジされた有名なラブソング。額に入った海外の観光名所の写真や、オープンシェルフに飾られた小洒落た小物を見る。そこは、彼が想像する結婚相談所のイメージそのものだった。


「ご連絡いただいた方ですね? はじめまして、代表の雨宮と申します」


 やってきた女性は「合同会社ハレバレ代表 雨宮摩耶」と記された名刺を差し出した。


「お茶をどうぞ。丁度三十六種の漢方ブレンドが手に入ったんですよ」


 彼女がにこっと笑うと青年の顔はたちまち熱ったようになり、唇は語るべき言葉を見失った。


「あ、は……ありがとうございます。じゃなくて、えと……ジブン、二階堂と申します、はじめまして。二階堂はじめ。“二階建て”の“お堂”に、“はじめ”ははじめましてのはじめ……って、なに言ってんだろう僕、いや、はい、すみません」


 自分がなぜ謝っているのかわからず、思考はどんどん空回りする。しどろもどろになりながら自己紹介を済ませると「二階堂さん」と、雨宮はさっきよりはややくだけた調子で笑いかけ、


「ひょっとして、緊張してます?」


 と顔を覗き込んできた。その上目遣いに、彼の心はさらに強く惹かれた。何を隠そう、彼は年上好きだった。


「わ、わかりますか? 実はこういう場所って慣れてなくて」

「ええ、わかりますとも。慣れてなくって当然です。というか、むしろちょっとイヤじゃないですか? 人生に一度きりの大事な選択に“慣れてる”なんて」


 笑っても凛とした表情が崩れない中性的な顔立ち。ちょっと掠れ気味の、心地いい声。摩耶は、分厚い事務用ファイルを開いてハレバレの過去の成婚実績を披露してくれた。相対してぼうっと彼女の言葉を聞いているうち、二階堂はいつしか自らの本来の目的を忘れかけていた。


「――というわけで、私どもにお任せいただければワンナイトポッキリの割り切ったご関係から一生を共にする運命の出会いまで、ご希望に沿ったご縁を提案させていただきますわ!」


 爛々と輝く瞳があまりに美しく、自分がこんな女性に婚活をプロデュースされたら、提案された相手がどんなに素敵な人でも物足りなく感じてしまうのではないかと思ってしまった。

 そんな惚れっぽい性格を顧みて、我ながらバカだなあと呆れる。つい先日も、妹から「兄ちゃんはただでさえ騙されやすいんだから、ヤバい女に引っかからないようにしなよ」などとマウントを取られて、年甲斐もなく喧嘩をしたばかりだった。


「大変魅力的なプランですが、その、実はですね。僕が依頼したいのは縁結びじゃなくてですね」


 パンフレットを両手に掲げたポーズのまま摩耶が固まる。


「縁を、斬ってほしいんです。僕の――“悪縁”を」

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