第16話 陰謀と恋心

 ***




 アスリニアの市街地。聖女教教会にて。


「――聖女様の魂が目覚めた」


 夕陽が落とすステンドグラスの光。荘厳で静かな教会を、しゃがれた声が満たしていた。


「ああ、本当に聖女様が……」「女神様……私たちに救いを……」


 祭壇を見上げるように並ぶ質素な長椅子。祈るように腰掛けた信徒たちの手に、聖女教のシンボルが握られている。


「早まるな。目覚めたのは聖女様だけではない」


 シン――。


 重たい静寂。祭壇の前に立つ老人。首から下げた聖遺物のネックレス。厳かな言葉を降らせる。


「魔王の魔力を感じる。聖女様を殺した、絶望の化身だ」


 痛いほどの沈黙。誰かの息を呑む音。冷たい空気に怒りが混ざり始める。


「探せ。聖女様を汚す魔王。見つけ出して連れて来い」


「「「……はっ!」」」


 焚き付け、燃え上がらせる。伝説の魔王。今こそ聖女を守り、完全なる復活を果たさせんと。


 男の肩が喜びに震える。最前列で心酔するアスタルク。彼もまた、心から酔いしれているようだ。



「……ふっ。これで良い……」



 次々と立ち上がる哀れな子羊の群れ。


 老人――古の魔族は、ひっそりとほくそ笑んでいた――。




 ***




 フレイムを下僕Aに加えた夜。


 ナルル家の大温泉で疲れを流したカトレアは、王宮のような廊下に立つ執事に声をかけた。



「――コークス。ナルルはもう寝たか?」


「はい。先ほどおやすみになられました」


「そうか。お前もそろそろ休め」


「はっ」


 丁寧にお辞儀するコークス。ナルル専属、つまりカトレアの所有物。気を遣ってやる優しい主人。


 紫紺のゆるふわパジャマに白いスリッパ姿のカトレアは、気分良くニヤついた。


(……ナルルのやつ、案外教えるの上手かったな。今日の授業内容は大体掴めたぞ)


 ナルルの部屋での勉強会。ナルルの匂いがする部屋は、妙に勉強が捗った。


「……距離、近かったな」


 思い出し、頬っぺたが染まる。


 女の子のような部屋。ぬいぐるみや可愛い小物はナルルの趣味だろう。アンティークのような机にノートを並べ、肩が時々触れ合った。


(な、何を動揺している。何度か抱きしめてやったし、頭も撫でてやったというのに)


 ナルルは恋人。再会してすぐそうなったが、ようやく実感が湧いてきた。


 誰もいない長い廊下を歩く。顔が熱い。自分の足音だけが耳に残る。


「……我は、あいつをどうしたいのだ」


 魔王のはず。敵のはず。なのにそばにいたい。前世からそうだった。ずっとあいつのことが――。


「…………好き」


 零れた気持ち。気が付き、慌てて周りを見る。誰もいない。聞かれてない。


 一人で恥ずかしくなり、視線を足に落とす。


(あいつには何度も言われたな……けど我、まだ言ってない……)


 どんな顔をするだろうか。子犬のようにはしゃぐ。それとも優しく微笑んでくれるだろうか。


 想像し、胸の前で手を握る。


「……我をこんなにするなんて……気に食わん……」


 初めての気持ち。自覚してしまった想い。だけど嫌じゃない。魔王とか本来の目的など、忘れてしまいそうになる。


 このまま女として、ナルルのそばにいたい。


「…………ばか……魔王の責務を忘れるな。聖女は……人間は……やはり信じられない……」


 窓の外を見る。夜の闇が広がり、人間の欲望を思い出させる。


(奴らは最後に必ず裏切る。聖女と殺し合ったのも、そのせいだろう)


 歩き出す。ナルルの部屋の前で少し立ち止まり、隣の自分の部屋へ。


 最新のパソコンとゲームを揃えさせた部屋。天蓋が揺れる、お姫様ベッドにポフンと飛び込む。


 瞼を下ろし、彼の匂いを思い出す。力が抜け、すぐに意識がまどろんでいく。


「…………おやすみ、ナルル……」



 魔王としての決意。ナルルへの信頼。


 カトレアの気持ちは大きく揺らぎながら、『あの日』の夢に落ちていった――。

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