第五話 魔法の道具

 ―――チクタク、チクタク


 時計の音が、どこかから聞こえてくる。


 なにも見えない、真っ黒な暗闇。

 その中心にある、暗黒螺旋階段。


 無限に続く、とぐろを巻いたきざはし。闇が凝縮してできた巨大な階段を、私は降りていく。


 下へ、下へ。

 一段ずつ、一段ずつ。

 力強く踏み締めて。


 この下になにがあるのか、私は知らない。

 そこは『深淵アビス』の最下層。誰も到達したことのない、未踏地カダスつながる唯一のみちだった。


 この先で、“”が待っている。


 早く先に行きたい。はやる気持ちとは裏腹に、私は一段ずつ階段を降りて行く。

 この空間は異常だ。

 既存の物理法則は全く意味をなさない。だから駆け降りても飛び降りても無駄なこと。気が付いたら元の段に戻されている。


 だから、私は、少しずつ進むしかない。


 下へ、下へ。

 一段ずつ、一段ずつ。

 力強く踏み締めて。


 一番下で、“”が待っているから。


 ―――階段やみの果てから、すすり泣く声が聞こえる。


 巨大な黄色いものが、うずくまって泣いているのだ。寂しくて、人恋しくて。帰り道を忘れた子供みたいに泣いている。

 螺旋階段から透けて見えるその姿。

 貝のひだを思わせる、黄色い襤褸ボロぬのが全身をおおっている。下の方に青いまだら模様もようが入ったソレは、外套がいとうのように見えるけれど、実際は巨大な生物の一部だ。

 外套状の襞の下――隠れた下半身は、孔雀の姿をしている。青い翼は円を描くように投げ出され、特徴的な飾り尾羽は放射状に広げられていた。

 黄色い尾羽にある無数の青い目玉紋様は、実のところ紋様ではなく、全てが本物の目玉である。

 脚はなく、代わりに異常に大きな瑠璃るり色のはすの華が、身体を包むように咲いている。その様は、まるで仏像のようだった。


 黄色い“”は、あおめた色の真っ白な四本の手で、顔を覆って泣いていた。


 私は、“”の下へ辿り着かなければならない。


 だから私は、疲れた足を持ち上げて。

 既に感覚の失せた、棒のようになった足を懸命けんめいに動かして。


 下へ、下へ。

 一段ずつ、一段ずつ。

 力強く踏み締めて。


 深淵の果てを目指す。


 降りて行く――どこまでも、どこまでも―――


 暗黒螺旋階段を、闇の底に向かって―――――


 * * *


 目が覚めた。


 とても奇妙な――御伽噺おとぎばなしのような、不思議な夢を見ていたようだ。


 ゆっくりとまぶたを開く。


 照明の灯りが網膜を焼いた。私は強く目をつむり直して、顔を背ける。

 私の身体は、どこかに横たえられているらしい。

 とても気分が悪い。脳味噌がれているのかと思うほどの目眩めまいで頭の中がぐらぐらして、すごく吐き気がする。

 まるで酷い船酔いになったみたいで、寝返りどころかろく身動みじろぎの一つもできない状態だった。


 私は胃のから喉元までり上がってくる吐き気をこらえつつ。少しずつ光に目を慣らしながら、ゆっくりと瞼を開く。


「―――なんだ、やっと目が覚めたか」


 一番に視界に入ったのは、知らない天井と、知らない人の顔だった。

 天井は木造で、端に漆喰しっくいで固められた白い土壁が見える。随分ずいぶんと古い造りの代物で、おごそかなおもむきだけれど、どこか優しい温もりが感じられるようだった。


「…………ここは……」

「探索者ギルド、ウルタール支部の館だ。っても、お前には分からねぇだろうが」


 知らない人が答えてくれる。

 聞いたことがある気がする声だけれど、酷い頭痛が邪魔で上手く思い出せない。

 私は散漫気味な意識をどうにか集中させて、注意深く彼の顔を観察した。


 浅黒い褐色の肌が特徴的な青年だった。


 とても精悍せいかんな顔立ちをしていて、ほりが深くて鼻梁びりょうも高い。細い眉はやなぎのよう。形の良い薄い唇の間から、獣の牙みたいな白い犬歯がちらりと顔を出していた。

 髪の色は灰褐色で、黒いまだら模様もようが入っている。男性にしては長めの髪を、彼は無造作に髪紐かみひもくくっていた。

 前髪は綺麗に後ろへで付けてあって、端整な顔立ちが露わになっている。中性的なロビンとは趣きが異なる、男らしい美形だ。


 彼に人の耳はない。

 その代わり、丸みを帯びた、犬のものに近い形の耳が頭の上の方に生えている。


 そして、彼の眼。


 垂れ目がちだけれど鋭い目付きの双眸そうぼう。琥珀色の瞳には、人のものではない、縦長の黒い瞳孔があった。


 彼はどうでもよさそうな視線を私に投げていた。

 口にくわえた茶色い葉巻きの煙草たばこから紫煙を吸い込み、口端から吐き出す。もう随分と短くなったそれを、彼はかたわらの灰皿に押し付けた。


 目の前を煙が流れていく。


 それを無意味にながめていたところで――私は唐突に、頭の下の硬い感触に気が付いた。


 どうしよう。


 目が覚めたら、何故かケモ耳のエキゾチックな超絶イケメンに膝枕をされていた件について……!


「あの……どちらさまですか……?」


 尋ねると、彼は呆れた風に顔をしかめた。


「はぁ? なに言ってんだ。ピックマンだ。記憶喪失ってのは、定期的に記憶が飛ぶもんなのか?」


 そう言って、彼は自分の顔の前に手をかざす。すると彼の顔が黒い煙に包まれて――煙が晴れると、見覚えのある獣の顔が現れた。


「え、うそ、ピックマン!?」

「嘘なもんかよ。ったく……」


 再び彼の顔が黒い煙に覆われて、また人の顔になる。理屈は分からないけれど、どうやら本当に同一人物らしい。


 その、なんていうか……。


「美形、だったんだ……なんかショック……」

「食い殺されたいのかテメェ……ッ!」


 獰猛どうもうにガチリと歯を打ち鳴らして、彼は獣そのもののうなり声を喉から発した。


 私は改めて、周囲を見回す。


 一目見て上質だと分かる木がふんだんに使われている。古めかしく濃い色に変色しつつも、照明の光を反射してつやつやと輝いていた。

 漆喰で固められた壁の表面も実になめらか。

 ほこり一つない。とても手入れの行き届いた場所だ。

 ここは建物の中の廊下ろうかの一部であるようだ。私は革張りの長椅子ベンチに横たえられているらしい。そして椅子の向かいに、重厚で荘厳そうごんな造りの観音開きのとびらがあった。

 見える範囲から得られる情報だけでも、大きな、立派な建物であろうことがうかがえる。


「ここはどこ? なんで私、ピックマンに膝枕されてるの……うぅ、気持ち悪くて吐きそう……」

「最悪な文脈でうめくんじゃねぇ。―――さっきも言ったろ、ここは探索者ギルドの館だ。迷宮の外、地上に帰って来てんだよ。それで盛大にゲロ吐いて気絶したお前を俺がここまで運んだんだ。感謝しろ」

「膝枕は……?」

「……ロビンの野郎が無理やり、座ってる俺の足の上にお前の頭を置いてったんだよ。俺だって不本意だぜ。邪魔臭ぇ」

「じゃあ、そのロビンはどこ……?」

「そこの扉ン中だ。もう半日は経つ。……未解決のまま依頼を放っぽって戻って来たからな。どうやらギルドの連中に相当絞られてるらしい」


 苛立たし気に鼻を鳴らしつつ、ピックマンは上着のふところを漁る。

 取り出したのは、黒色の、四角いケースだった。

 彼はケースを開き、中から新しい煙草をつまむ。それを口に咥えてから、ケースからもう一つの物体を取った。

 親指くらいの大きさの、太く短い円筒。

 シンプルながらも洒脱しゃだつな雰囲気で、一方には浅くへこんだ口があり、反対側には、赤い石が嵌め込まれた、黒いしま瑪瑙メノウの装飾が施されていた。


 第一印象はシガーライター。

 あの、昔の車とかにあったやつ。純粋に、煙草に火をつけるためだけに存在していた装置。


 そしてそれは間違っていなかったようで。ピックマンは、黒い円筒の口に煙草の先端を押し付けた。

 円筒の装飾――複雑にカットされた紅玉ルビーみたいな見た目の赤い石が、あわく光る。すると煙草に火がついて、灰色の煙がにわかに立ち昇った。


「……煙草、吸うのはいいけど。私の顔に、灰、落とさないでよ……」


 釘を刺すと、彼は大仰に首をすくめた。


 まだ気分が悪い。

 呼吸をするのも億劫おっくうだった。それでも好奇心には勝てなくて、私は手を伸ばす。


「それ、なに?」

「あん? ああ、異世界人なら知らねぇか。コイツは『魔導具』――魔法を使えるように加工した道具だ」


 口端から紫煙を吐き出して、ピックマンは続ける。


「尻に赤い石が付いてるだろ。コイツは魔石でな。名前の通り魔力の篭もった石で、使用者の魔力を大幅に増幅させる効果がある。―――んで、この魔導具は魔力を火に変換してる訳だが、その肝になるのがコイツだ」


 そう言って、彼は私の顔の上に魔法のシガーライターを掲げた。


 ……よく眼をらして見てみると。小さな文字のような、図形のようなものが、黒い縞瑪瑙の装飾に刻印されている。

 それは、なんとなくだけど――ロビンが魔物を倒す時に、空中に描いていた印に似ている気がした。


 そしてその直感は、どうやら当たりだったらしい。


刻印サイン魔法――ソレに使われてる印だ。ロビンの野郎が迷宮で使ってたのは〈疾風グリフ〉だったが、コイツに書かれてるのは〈着火アリュマージュ〉だな。他にも細かい制御のために色々刻まれてる」


 彼は器用に指を使い、シガーライターをゆっくりと回す。

 確かに、幾つかの小さな印が並んでいた。


「まとめると、だ。使用者や魔石自体の魔力を燃料にして、黒縞瑪瑙の取付具ソケットに刻まれた刻印サイン魔法を起動する――それが魔導具だ」

「へぇ~……便利そう」

「実際、すげぇ便利だぜ。こういうちょっとした小道具から、魔物をブッ殺すための武器まで。用途は多種多様だ」


 ピックマンはシガーライターを掌に握り込んで、琥珀色の眼を細める。

 まるで子供の頃の宝物を懐かしんでいるかのような、御伽噺のまばゆさに眼を焼かれているような……なんだか、はかなげな眼差しだった。


「……五十年くらい前になるんだったか。魔導具コイツが世に出回った時はかなりの騒ぎになったって話でな。向こうの世界の産業革命ってヤツには遠く及ばねぇが、エネルギー革命やそれに伴う社会構造の変革まで起きた。今となっちゃ、幻夢郷ドリームランドの必需品だ」


 それで話は終わりなのだろう。ピックマンはシガーライターを黒いケースに仕舞い込んだ。

 改めて思う。

 今の私は異世界――幻夢郷ドリームランドにいるのだ、と。


 ……それにしても、ピックマンがここまで饒舌じょうぜつに話してくれるとは。なんだか意外。

 それともやたらと態度が悪かったのは、迷宮の中で色々と警戒していて、気が立っていたからなのだろうか。


 それにしても―――


「魔法……魔法、か。……私にも使えるかな」

「使える筈だぜ。ま、詳しいことはロビンの野郎に訊くこった。なにせ――刻印サイン魔法を創ったのはアイツだからな」

「えっ……」


 どういうことか尋ねようとした瞬間――向かいの、観音開きの扉が開いた。


 中から出てきたのは黄色い少年。

 ロビン。

 彼は随分とくたびれた様子で、表情はしおしおにしおれてしまっている。相変わらず彼の周りだけ雪が散っていることも手伝って、余計に哀愁あいしゅうを帯びて見えた。


「やあ、お待たせ……」

「その様子じゃ、随分と絞られたみたいだな」

「うん……ギルドの幹部の人だけじゃなくて、夢見ゆめみおうクラネス陛下までいらっしゃっておいででね。ひたすら迷宮と魔物の愚痴ぐちやら罵詈ばり雑言ぞうごんやらを延々と聞かされたよ……」

「あの狂った王様か。そいつは気の毒だったな。雲の上の空中都市からわざわざここまで出向いて来るとは、ご苦労なこった」

「ははは……流石に疲れたよ……―――うん?」


 ロビンと目が合う。

 私はなんとか表情を笑みの形にして、片手を振ってみる。


 途端に、ロビンは華やかに破顔した。


「目が覚めたんだね、ハヅキ! 身体は大丈夫かい? 起き上がれそうかな?」

「……うん、たぶん、だいじょうぶ」

「そうかい? 無理はしないでね」


 身を起そうとする私の背に腕を差し込み、上体を支えてくれるロビン。

 彼の顔は優しげな気遣いであふれていて、不覚にも周りに黄色い薔薇バラの花畑を幻視してしまった。


 介助を受けて、長椅子に座り直す。

 すると、首にぶら下がったなにかが揺れた。それは細いひもで、端の部分が薄い金属の板に結ばれている。


「それは入館許可証だよ。探索者以外の人がギルドの建物に入るには、特別な許可が必要になるからね。帰る時に返す規則だから、忘れないでね」

「なるほど……」


 先んじて教えてくれたロビンに、私は頷いた。


 それで、問題の体調はといえば。

 酔いはそれなりにマシになっていた。一応、立って歩くくらいならなんとかなりそう。


「……で? 今日はもう解散か?」

「まあ、そうだね。探索者ギルドでひつぎを調べて貰っているけれど、直ぐに終わりそうもないし。それにハヅキを休ませてあげないと。いつまでもこんな格好かっこうなのは可哀想だからね」

「あ……えっと、お構いなく……」


 私は今の自分の服装を思い出して、羽織っているロビンの外套を手繰り寄せてづくろいした。


 隣のピックマンが立ち上がる。


「なら、俺は帰るぜ。じゃあな」

「うん? 待って待って、今回の報酬をまだ支払ってないよ! ……とはいったものの、今は持ち合わせがないんだけど。でも農場まで来てくれればちゃんと支払いできるよ!」

「郊外まで取りに来いってか。嫌だね、面倒臭ぇ。次の仕事の時にまとめて払ってくれや。どうせまた、直ぐに潜るんだろ?」

「うーん……君がそういうなら分かったよ。またよろしくね、ピックマン! バイバーイ!」


 去って行くピックマンの背中に向かって、ロビンは興奮した犬の尻尾みたいに勢いよく腕を振る。

 ピックマンは振り返ることはなかったけれど、ひらりと、挨拶代わりに片手を上げた。


 彼の姿は廊下の先の曲がり角に消える。


 その、なんていうか。

 ピックマンは実に口が悪くて粗野で血の気の多いチンピラみたいな人、なんだけれど。


「……根はいいやつ、なのね。彼」

「そうだね! ピックマン君は面倒見のいい兄貴肌で、人を思い遣れる優しい坊やムッシューなのさ! 仕事も丁寧で信頼できるしね!」


 まるで孫を自慢するお爺さんみたいに。

 ロビンは胸を張って、とてもほこらし気に笑うのだった。

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