第1話②
昼間の四間村は、驚くほど普通だった。
畑の脇を通れば、土の匂いがして、風に混じって草の音が聞こえる。軽トラックがゆっくりと道を進み、すれ違う人たちは小さく会釈をしてくれる。
東京で感じていた騒がしさが嘘のようで、私は少しずつこの村の空気に慣れ始めていた。
だからこそ、朝との落差が気になった。
昼はこんなにも「生きている」のに、朝だけが抜け落ちている。
その違和感は、頭の片隅に小さな棘のように引っかかり続けていた。
午後、叔母の真琴は村の資料を整理すると言って、古い書類を広げていた。
私は縁側に座り、スマホをいじりながら何気なく声をかける。
「ねえ、この村って、昔から人少なかったの?」
真琴は一瞬、手を止めた。
「……どうして、そんなこと聞くの」
「なんとなく。静かすぎる気がして」
そう言うと、彼女は曖昧に笑って書類を重ね直した。
「若い人が出ていくだけよ。どこにでもある話」
それ以上、話は続かなかった。
けれど、書類の端から覗いた古い地図に、いくつか不自然な空白があるのを、私は見逃さなかった。
夕方、涼馬が顔を出した。
野菜のおすそ分けだと言って、袋を差し出してくる。
「慣れた?」
「まあ、少しずつ」
そう答えながら、私は例の地図のことを思い出していた。
「ねえ、この村って、行っちゃいけない場所とかある?」
軽い雑談のつもりだった。
けれど、涼馬の表情はわずかに固まった。
「……どうして?」
「地図に、空白みたいなところがあって」
数秒の沈黙。
風の音だけが、妙にはっきりと聞こえた。
「昔の話だよ」
彼はそう言って、視線を逸らした。
「今は誰も行かない。危ないとかじゃなくて……そういう決まりみたいなもの」
「決まり?」
「うん。朝に近い時間は、特に」
その言い方が、どこか引っかかった。
夜、私は布団に入ってもすぐに眠れなかった。
窓の外では虫の声が鳴いている。昼間と同じ、いつもの音のはずなのに、どこか遠く感じる。
ふと、部屋の隅に視線をやる。
障子に映る、自分の影。
私はゆっくりと手を上げた。
影も、同じように動く。
――少し、遅れて。
心臓が跳ねた。
気のせいだ。
照明の位置が悪いだけ。そう思おうとした、そのとき。
廊下の向こうで、床がきしむ音がした。
「……叔母さん?」
返事はない。
私は布団から出て、そっと障子を開けた。
廊下には誰もいない。ただ、玄関の方から、冷たい空気が流れ込んでくる。
玄関の扉が、わずかに開いていた。
こんな時間に?
私は一歩、廊下に足を踏み出しかけて――やめた。
昼間、涼馬が言った言葉が頭をよぎった。
「朝に近い時間は、特に」
結局、私は扉を閉めずに部屋へ戻った。
その夜、夢を見た気がする。
内容は思い出せない。
ただ、目が覚めたとき、胸の奥に「何かを見過ごした」という感覚だけが残っていた。
翌朝、村は相変わらず静かだった。
そして、食卓に着いた叔母は、いつもより少し疲れた顔をしていた。
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