抜け殻

春光

第1話①

四間村に来てから、朝の時間が少しだけ嫌いになった。

 理由を聞かれても、うまく説明できない。ただ、目を覚ました瞬間に、胸の奥がひっかかるような感覚が残るのだ。


 大学の夏休みを利用して、私は母方の叔母真琴の家に滞在している。山に囲まれた小さな集落で、電車は一時間に一本。コンビニもない。正直、最初は退屈するだろうと思っていた。


 けれど、村に着いた初日から、私は奇妙なことに気づいていた。


 朝が、やけに静かすぎる。


 虫の声もしない。鳥のさえずりも聞こえない。

 まるで、夜の延長のまま時間だけが進んでいるみたいだった。


「この村、朝はこんなもの?」


 食卓でそう尋ねると、叔母は一瞬だけ言葉に詰まり、それから曖昧に笑った。


「まあ……山の中だしね」


 その笑顔はどこか硬くて、私はそれ以上聞けなかった。


 昼になると、村は普通だった。畑仕事をする人、軽トラックで行き来する人、井戸端で立ち話をするおばあさんたち。

 どこにでもある田舎の風景だ。


 なのに、朝だけが違う。


 ある日、散歩に出ようとして玄関を開けたとき、私は思わず足を止めた。

 通りの向こうに、人影が見えた気がしたのだ。


 でも、瞬きをした次の瞬間には、そこには誰もいなかった。


 見間違いだと思おうとした。

 けれど、そのとき、足元に伸びる自分の影が、ほんの一拍遅れて動いたように見えた。


 気のせいだ。

 そう自分に言い聞かせながらも、私はなぜか玄関を出る気になれず、そのまま家の中に戻った。


 昼過ぎ、村の青年・涼馬と顔を合わせたとき、私は何気なく朝のことを口にした。


「この村って、朝はあんまり外に出ないの?」


 彼は一瞬だけ、視線を逸らした。


「……そうだね。用事がなければ、あまり出ないかな」


「どうして?」


 問い返すと、涼馬は困ったように笑った。


「昔からの言い伝え、みたいなものだよ」


 それ以上、彼は何も言わなかった。


 夜、布団に入ってからも、朝の静けさが頭から離れなかった。

 窓の外は暗く、風の音だけが聞こえている。


 そのとき、窓を軽く叩くような音がした。


 私は体を起こし、カーテンを少しだけ開いた。

 外には、誰もいなかった。


 ただ、地面に映る影だけが、やけに長く伸びているように見えた。


 翌朝、叔母はぽつりと言った。


「早紀、朝はあまり外に出ないほうがいい」


 理由を聞く前に、彼女は話題を変えてしまった。

 私はその横顔を見ながら、胸の奥に広がる不安を抑えきれずにいた。


この村では、何かが隠されている。


 そんな予感だけが、少しずつ確かな形を持ち始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る