【カクコン11短編】『ミチとの遭遇』

まさつき

前編 地球は、狙われてるの!

「2022年、ロシアの大統領がウクライナに侵略戦争を仕掛けました。今日、いまだ大国による暴虐はとどまるところを知りません! アメリカでは無知蒙昧な狂人が新たな大統領となり関税戦争が勃発、中国はついに台湾へ――」


 と。朝も早よから地元の駅前で演説をブるスーツ姿のすだれ満月を横目に、僕はいつもと同じく駅の改札を抜けた。声高なご高説は、列車を待つホームにまで聞こえてくる。休み明けの寝不足でかったるい月曜の始まりだというのに、やかましくてかなわない。まあ夜遅くまで、桜井とカラオケなんて行ってた僕も悪いんだけど。


 ひと月ほど前から、このおかしな演説は毎朝欠かすことなく続いていた。一度だけ、頭だけは涼しげなこの小父さんの熱い演説を、最後まで聞いたことがある。


 土曜だったか日曜だったか。とにかく、休みの日の朝。極左の活動家か、選挙の近い泡沫候補かと思っていたら、もっと怪しい人だった。


「――これらはすべて、ヤツらの謀略によるものなのです! 我々の世界は今、未知の存在からの侵略を受けている! 世界はっ、『太古の邪悪』によって、侵略されているのです!」


 5メートル離れても飛んできそうな勢いで唾を飛ばしながら、小父さんは叫ぶ。その横で、ふるいつきたくなるような体をした恵体女子がビラ配りをしていていた。


 平日の演説では見かけなかった彼女は、たぶん僕と同い年ぐらいだと思う。顔はめっちゃ好みのかわいい子だけど、やぼったいピンクのジャージ姿はいただけない。


 カルトや妖しげな団体には、色仕掛けの実弾を以って、隙を見せた獲物を信者に絡めとる恐ろしい女特攻員がいたりと聞く。彼女もそんな一人かもなとも思った。


 でもティッシュがセットだったから、うっかりビラを受け取ったんだ。ヨコシマな気持ちとは、違う。春は花粉症の季節、あって邪魔になるものじゃあない。


 印刷されたQRコードをスマホでスキャンしたら、『真・地球教』なる、某有名作家が飛び膝蹴りして飛んできそうな団体名がでかでかと、ピンクのゴシック体でトップを飾る、毒々しい色彩のWEBサイトが現れた。


 ――みんなで守ろう、私たちの地球

 ――未来に残そう、素晴らしき世界


 題目は立派だけど、件の演説からしてうさんくさいこと、この上ない。


 しかし、組織の規模と支部の多さには驚いた。なんと全国津々浦々、一都一道二府四十三県に必ずひとつは存在する。あのすだれ小父さんの名は、高見沢彦蔵。僕の住む関東北部の県代表にして教主だと書いてあった。つまり、カルトのトップだ。


 そして。僕の通う県立高校、僕の教室に現れた転校生女子の、父親だった。



    §


 月曜朝のホームルームはもう一人のすだれ満月おやじ、担任の小室先生によるイベント告知で始まった。いつもはうらぶれた声なのに、妙にうきうきとして聞こえる。


「えー、二年生の春、新学期早々ではありますが、今日からこの教室で皆と学ぶ、転校生を紹介します。ささ、入って入って」


 呼びかけと同時に教室の引き戸が開く。つかつかと見覚えのある女の子が入ってきた。ふるいつきたくなるようなあの肢体が、今日はぱつぱつの制服に包まれている。


「おい、あいつ」とか「かわいいじゃん」とか「なんか暗そう」とか、いろんな感想が聴こえてきた。主に男子の。概ね分かりやすい反応だし、ビラ配りする彼女を知ってた奴もいるらしい。女子の反応は……値踏みするみたいで、わりと怖い。


 カツカツと黒板に「高見沢ミチ」と書きつけて、亜麻色に光る艶やかな髪をふわりとなびかせ、ミチは教室を見渡した。


 ざわつく生徒たちを前に、眼前にあったら絶対チュウしたくなるようなふっくりとした唇から、愛らしい声で、彼女はとんでもない自己紹介を教室に轟かせた。


「初めまして。高見沢ミチです――みんなーっ! 地球は今、狙われている!!」


 教室一同、絶句だ。真冬に戻ったみたいに、春の空気が凍った。


 おまけに「狙われている!!」で見せた決めポーズ。右手を横ピースで右目に掲げ、左手は手刀を水平に胸元で構えて。軽く腰をひねりながら、右ひざを上げて片足立ちになった。いったい、どんな意味があるのだろ?


 制服の短いスカートがひらりとして、白い布がちらりと見えた。男子の視線は釘付けだが、思春期の情動はミチの奇行で即上書きだ。平たく言えば、ドン引きだった。


 受け狙いのネタではない、転校デビューを飾る〝つかみ〟にも見えない。ミチは、駅前で演説する父親と同じ、大真面目な目をしている。笑顔がなかった。危ない人物確定の瞬間だ。


 そんな見かけだけは美少女の転校生に、どういうわけか小室先生は「高見沢さんの席は、坂崎君の左隣ね」と指定した。待てよ、僕の左は桜井賢治が座って……あれ? いない、空席だ。てか、桜井って誰だっけ? うん、昨日一緒にカラオケ行った奴の名前がそんな気するけど、えーと――


「よろしくね、サチオ君」


 甘いフレグランスの香りが漂ってきた。思わず左を向く。高見沢ミチの顔が、目の前に迫った。アーモンド形のきらきらしたふたつぶの目、睫毛が長くて、唇が――


 思わず、チュウしちゃった――その瞬間。


 教室が消えた。てか、地面も消えた。ここに立つのは、いや浮いているのは、僕こと坂崎幸雄と、カルト教主の娘・高見沢ミチの二人だけだった。ここどこ? 真っ黒な背景に瞬く……星屑? 足元のはるか下には、青い星……地球なのか? もうひとつ、荒れた大地の星が……あれは、月の裏側だ。


「あなたには秘めた力がある。パパが演説してるときに駅で見かけてから、ずっとこの機会を待っていたの。私と一緒に戦って……あのころみたいに!」


 いきなりなんだ? 単刀直入にもほどがある。前フリもなしに、あのころみたいに? いったい、どのころのことなんだ……。


「力? 戦い? なんなのこれ? さっきキスしたとき、僕になんか飲ませたよね? ヤバいクスリとか?? これ、幻覚なんだろ??」


 ミチは何も言わずに、月の裏側を指さした。星のものとは違う無数の瞬き、巨大なイオンエンジンが吐き出すプラズマの蒼炎をなびかせ、巨大な星船たちが――


「あれって……まさか、ムーの艦隊……復活したのかっ?!」


 待てまて、僕。何を口走ってる? そうだ、あれはムーの艦隊。僕たち光の戦士が戦った……いやいや、戦ってないって。僕はいたって平和な日本に生きる、凡百のモブキャラみたいな男子高校生――ではない、ムー帝国と戦った、アトランティスの光の戦士だ。いつもミチがとなりに……違う! 何考えてんの? 違わないって――


「まだ、混乱してるみたいだね。覚醒したてのときは、私もそうだった。じきに慣れるから……じゃ、戻ろっか――」


 ……っ!?


 教壇に立つのは、数学の三宅先生。一時間目の授業が始まっている。穏やかな春の日差しが差し込む教室。左には、真面目な顔で板書を取るミチが机に胸を乗せて。


 なんか、ヘンな夢を見てた気がする。寝不足なんだろうな。ヒトカラに熱中するのも、たいがいにしとこ――



    §


 おかしい。


 今は二時間目、体育の時間のはずだ。男子は陸上でトラックをぐるぐる走り、女子は体育館でバスケのはず。なのに、あたりの風景はモノクロで、動いているのは僕と高見沢ミチの二人だけ……学校の体操着の上に、私服のピンクジャージを羽織った恵体美少女が僕を指さして仁王立ちしている……なぜ?


「さあ、サチオ君っ、特訓の時間だよ! どうやらキミの覚醒は、記憶だけみたいだからねっ!」

「あっ……あー……思い出したぞ。さっき、月の裏側に連れていかれたよな。ムーの宇宙艦隊がいて……てかそれならもう、無理なんじゃないの地球」


 ちっちっちと、ミチは指先を振る。


「違うよ、あれは未来のビジョン。残された時間は1学期の間だけ。夏休みになるころには、あの大艦隊が月の裏側で目覚めるはずなの」

「どっちにしろ同じでしょ。僕たちアトランティスの光の戦士だって、僕とミチしかいないじゃん。無理だよ、勝てっこない」

「もうっ! すぐサチオ君は弱気になるんだから。前世からちっとも変わらないのねっ」


 そりゃそうさ、僕が戦えていたのはいつもミチがそばにいたから――


「ミチ……」

「なに?」

「好きだ。前世からずっと。結婚し……っ?!」


 いきなりグーパンが飛んできたのは覚えている。気が付けば、僕は校庭を100mは吹っ飛ばされていた――顔が潰されたんじゃないか? 痛い。


 いつのまにかうずくまる僕のことを、ミチが見下ろしていた。


「そんなひ弱なままじゃ、結婚なんて無理ムリ。この戦いが終わったら結婚しようって前世で約束したじゃない。さ、今日から一日48時間体制で特訓だからね!」


 イヤなことまで、すっかり思い出していた。


 僕たちアトランティスの光の戦士は、どうにかムー帝国を倒したものの、結局痛み分け、共倒れに終わったんだ。僕は死んだ。ミチもたぶん。5人の仲間はとっくに。そうして、地球は平和になったけど、1万2000年が経ち、モブっぽい凡人類たちが栄えて今に至り、僕とミチの結婚はお預けとなって、転生した……らしい。


「1日48時間てどういう……て、ああ、〈裏時空〉を使うのね」

「そう、24時間は高校生をやって、24時間は戦士としての特訓。私も付き合ってあげるから、がんばろっ」


 そうしてその瞬間から、僕の地獄のような日々が始まった。


 〈裏時空〉――通常の24時間とはまったく別の、もう一つの時間軸を利用できるアトランティスの超科学の結晶だ。〝48時間戦えますか?〟みたいなキャッチフレーズとともに、アトランティスのビジネスマンのために作られた、結構疲れる迷惑技術。どういうわけか老化は進まないから、むしろ兵士や戦士の訓練で重宝されたんだ。


 時の感覚がわやくちゃになるほど、ミチは僕を特訓した。裏も表も、あっという間に時間は過ぎて、僕の体は前世の全盛期2割ぐらいまで鍛えることができた。これでも、凡人類相手なら文字通り一騎当千。でも、ムー帝国の光の闘士相手には――



    §


 はっ?! どこだここは?! 真っ黒な空に、七色のオーロラが揺れて……立っているのは、まるで採石場じゃないかっ。さっきまで訓練後の休憩でアイス食ってたはずなのに。僕はスプーンだけを握って、玉砂利を踏みしめていた。


 一緒にベンチに並んで休憩していたはずの、ミチが叫んだ。


「ムー帝国総帥にして宇宙大魔術師、マスター・ムンが作り出した虚無世界だよっ! 地球の地磁気を操作して、一種のブラックホールを作り出せるの!」

「なんだその説明セリフっ。てかそれ、ふつーに死ぬよね?!」

「だいじょうぶ! 一時的だし。そんなことより戦って、サチオ君っ」


 天空より、光の柱が落ちてきた。ムー帝国の転送装置が発動したんだ。ということは、現れるのは、ムーの光の闘士――まさか!?


「1万2000年前よりの因縁、今ここで決着をつける! サチオ!」

「おまえっ、サクライじゃないかっ! いきなり存在も記憶からも消えたと思ったら……いや、そうだ、お前は……敵っ!」

「その通り! 俺はその女、ミチの決めポーズ、アトランティック・サイコアタックをくらった衝撃で、ムーの闘士として目覚めたのだ!」

「あのポーズ意味あったのかよっ。てか覚醒させちゃダメだろ」


 昨日の友は今日の敵。サクライは前世からの仇敵だったのだ……でも、相打ちになった相手だぞ? 今の僕じゃ、一方的にボコられるしか――


 ドカッボゴッ、ドスッ、ゴゴッ、バン、グチャ、ボキッ……キーーーンッ!


「あ、あが……ダメだ……手も足も、でない……ミチ、川の向こうで誰かが僕を呼んでるよ……」


 すーっと意識が、軽くなった。ふわふわして、なんだかとっても眠いんだ……気が付けば、僕の足元はるか下で、横たわる僕の身体にミチが駆け寄って……。


「サチオ君、生きて。生きて私のために、戦って――チューゥ……」


 僕の脳裏に、光が満ちた。僕は目覚めた、真の力に。ほんの一時しのぎだけど。起死回生必殺の力、ミチの特殊能力・ラブパワーの、キスは注入行為だったのだ。


「来い! サクライ! これからが、本当の闘いだっ!」


〝来い〟と言いながら、僕はサクライに挑みかかった。わずか、光速の1%の力に過ぎないエネルギーで、サクライに迫る。


 拳。やつの肉との間に、プラズマの炎が燃え上がる。


 弾けた。1度の打撃で3度の爆発が起こり、サクライが3回弾けた。


 バーンッ! ドーン! ドドド、ボボボボボボ…………。


 サクライは採石場の塵と化して――消えた。

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