第3話:蜜の味、影のブローカー
第3話:蜜の味、影のブローカー
I. 砂の上の宮殿
六本木ヒルズの最上階。夜景が足元に広がる一室。
華山 秀樹は、全身を高級なカシミヤのローブに包み、バルコニーに出ていた。夜風が肌を滑るように冷たい。手には、氷がカタカタと音を立てるブランデーグラス。得た不正な利益の最初の使い道は、この都心の豪華な隠れ家と、派手な高級車の購入だった。
「ハハッ、これが**『蜜の味』**ってやつか」
華山はブランデーを一口含む。舌の上に広がる濃密で深い甘さ。その芳醇さが、彼の満たされない欲望を一時的に鎮めてくれる。
最初の入金から、すでに数千万円をブローカーの西脇 誠に支払い、残りの大半を自己投資(見栄のための消費)に使った。しかし、金はまだ尽きない。神崎からの支払いはまだ続いている。
その時、背後の扉が開いた。西脇だ。彼の周りにはいつも、わずかに安っぽいスーツの匂いと、煙草の残り香が漂っている。
「華山さん。いい眺めですね。ここにいると、東京の全てが手のひらの上にあるようだ」
西脇はそう言いながら、バルコニーのガラスに映る自分の顔を歪ませた。
「そうだろう?俺は元々、『光』の中にいる人間だ。だが、この『闇の富』を手に入れて初めて、本当の意味で全てを手に入れた気分だ」華山は西脇にグラスを差し出した。「飲めよ、西脇。お前がいなきゃ、この計画はここまでスムーズに進まなかった」
西脇はグラスを受け取り、ゆっくりと味わった。
「感謝します。しかし、華山さん。あの神崎という男、まだ疑っている様子はない。羊は、まだ金の羊毛を刈り取られることに気づいていませんよ」
「当たり前だ。俺は元タレントだぜ?『信用』を売るプロだ。あの男は俺の**『オーラ』を買ったんだ。彼の頭の中では、俺の言葉は『上場の確約』**に変換されてる」
華山は、目の前に広がる無数の灯火を見下ろし、傲慢に笑った。しかし、彼の心の奥底には、この宮殿が砂の上に築かれているという、冷たい事実が張り付いていた。
II. 不安を押し殺す男
一方、神崎 雅之は、自身の会社の社長室で、分厚い革張りの椅子に沈み込んでいた。
机の上には、華山に支払った総額を示す書類。3億円を超える金額を、すでに華山に渡している。
「……もう、残金はほとんどないな」
神崎は、指先で数字をなぞった。支払いのたびに、高揚感と同時に得体の知れない重圧が増していく。
「社長」秘書が心配そうに入ってきた。「華山氏から電話です。株の件で」
神崎は、電話の金属的な冷たさを手のひらに感じながら、受話器を取った。
「もしもし、華山さん」
「神崎社長、いつもありがとうございます!今日も素晴らしいゴルフでしたよ!さて、例の件ですが、上場は**『確実』**です。これは断言できる」
華山の声は、電話越しでも熱気と自信に満ちていた。
「ええ、それは信じています。ただ、上場時期が当初の予定より遅れているのは、何が原因で……?」
神崎は、喉の奥で不安の音を押し殺しながら、できるだけ冷静に尋ねた。
「ああ、それね!そこが**『特別ルート』たる所以ですよ。政府の規制がちょっと噛んでてね。でも、ご安心を。この遅延は、むしろ株価をさらに高騰させる要因になる。なぜなら、『希少価値』**が増すからだ!」
華山の説明は論理的ではないが、断定的だ。神崎は、その言葉の勢いに押し切られそうになる。
「そうですか……では、次の支払いも、予定通り進めておきます。全ては華山さんの手腕に託しますよ」
電話を切った後、神崎は大きく溜息をついた。オフィスチェアの革の匂いが、緊張で湿った彼のシャツに張り付く。
(おかしい。どこかがおかしい。あの医療会社の株は、そんなに政府の規制を受けるほどの巨大な案件なのか?)
彼の理性は疑問を呈している。だが、「もう3億円以上も支払ってしまった」という事実が、彼の逃げ道を塞いでいた。今さら立ち止まることは、自分の判断ミスを認めることであり、巨額の損失を確定させることを意味する。
「前進あるのみ」――その成功哲学が、神崎の不安を押し殺し、さらに深い沼へと足を踏み入れさせていた。
IV. 次なる獲物への渇望
「で、西脇。次の話は何だ?」
華山は、高級車の助手席に座りながら、運転席の西脇に尋ねた。車の革シートの弾力が、彼の体を優しく包んでいる。
「神崎社長からの支払い、総額3億7千万円が確定しました。これで一旦、終了です」西脇はサイドミラー越しに華山を見た。「あとは、株が紙切れになるのを待つだけ」
「冗談じゃない!」華山は声を荒げた。車内に鋭い不満の空気が充満する。「たかが数億で、俺の人生が終わると思うな!」
「華山さん、落ち着いて。神崎社長は、まだ**『金の卵』**を産む鶏ですよ。しかし、同じ手法をすぐに使うのは危険だ」
西脇は、華山の飽くなき欲望の炎を感じ取っていた。この男は、一度味わった蜜の味を、もう手放せない。
「俺は、この感覚が忘れられないんだ。なにもせずに、ただ口を開けているだけで、他人の金がドバドバ流れ込んでくる感覚だ。テレビでちまちま稼ぐのが馬鹿らしくなる」
華山は、車の窓を開け、夜の冷たい空気を吸い込んだ。冷たい外気が、彼の頭の熱を冷ます。
「西脇。もっと刺激的な話はないのか?もっと早く、もっと確実に、もっと大きな金額が動く話だ」
西脇は、車のハンドルを握りしめ、小さく舌打ちをした。華山のこの欲望こそが、彼にとっての最大の武器であり、最大の危険分子でもあった。
「ありますよ。医療関連会社の失敗は、**『隠蔽』できる。しかし、次の獲物は、もっと『リアル』**に動かさないと、まずい」
西脇は、華山に薄い紙の束を手渡した。それは、都心の一等地にある、架空の再開発計画の図面だった。
「これは……」華山は、図面に描かれた巨大なビルのイラストを見つめた。
「次の舞台です。今回は不動産。あなたの古巣ですよ、神崎社長の。これで、さらに大きな**『華山王国』**を築きましょう」
華山は、図面のインクの匂いを嗅いだ。その匂いは、前回の株の話よりも生々しく、泥臭い。しかし、その分、リアルな金の匂いも強烈に放っていた。
「いいだろう、西脇。その話、乗った。俺は、**『引退』**という文字を、辞書から削除したんだ」
車は、六本木の賑やかな交差点を抜け、さらに深い夜の闇へと滑り込んでいった。車内には、欲望の火薬庫に火がつけられたかのような、熱く危険な興奮が充満していた。神崎からの総額3億7千万円の支払いが終わった今、華山は、止まることのできない金銭への飢餓感に支配されていた。
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