落とし物コーナー
沙糖5㌘
落とし物コーナー
S美術大学の食堂は、今日も程々に活気がある。
学生たちが、券売機に並びながらだべっている。
「なあ、昨日事務室の落とし物コーナーに行ったらさ…」
「お、高橋さんいた?」「普通にいた。それで、また一発で俺のバグくまさん返してくれたんだよ」
バグくまさん——
数年前に誰かが課題で作った、妙に歪んだくまのマスコットで、
気づけば学内のあちこちに増殖していた。
「S美の落とし物コーナー、常に何個かバグくまさん保護されてるのにな…高橋さんマジ絶対テレパシー使えるよなー!」
「出た、S美・七不思議。絶対届く落とし物コーナーと、持ち主を一発で当てる高橋さん」
「やっぱ能力者としか思えねーよな〜、あのおじさん」
「結局そうよな」
学生は自分たちの番になると、迷わずいつものメニューのボタンを押していった。
学内で何かを無くした学生は、
だいたい同じ場所に行き着く。
事務室にある、落とし物コーナーだ。
---
午後の事務室は静かで、
プリンターの音だけが、一定の間隔で鳴っている。
高橋浩一は、今日も事務作業の傍ら、新たに届いた落とし物の情報を表に記録していた。
「落とし物:バグくまさん」ーー
この十年間で何回書いたかもわからないその単語を、高橋は特に何とも思わずボールペンで記入する。
バグくまさんは、一体一体、顔も縫い目も少しずつ違う。
名前を書いていなくても、持ち主だけは自分のものだと分かる。
数年前、内輪で流行り始めた頃から、
事務室にはやたらとこのくまが届くようになった。
いつの間にか「バグくまさん運営委員会」とかいうサークルまで発足していたが、
高橋は特に気にも止めていない。
高橋は記入を終えると、ボールペンを元の位置に戻し、
別の書類をめくった。
---
「失礼しま〜す。ウチのバグくまさん届いてないですか〜?」
一人の快活な学生がノックしながら事務室に入ってきた。
「こんにちは。ああ、また届いてましたよ。ほら」
高橋はその学生を一瞥すると、
いくつかの保護されたバグくまさんの中から、迷うことなくひとつを手渡す。
「わ、これ完全にウチのだ」
学生は特に驚く様子もなく、
手渡されたバグくまさんの造形を確認した。
「え、高橋さんってさ〜テレパシーとか使えるんですか?」
「さあ。…こちらに記名してください」
「やっぱそうだってー!S美の七不思議ガチじゃん」
とウケながら、学生は画材の沢山入ったリュックにバグくまさんを付け直す。
「高橋さんばいばーい。あざした〜」
カチャリ、とドアが閉まると、
事務室にはまた元の静けさが訪れた。
何気なく時計に目線をやった高橋は、
落とし物ファイルを閉じ、再び作業へと戻る。
(…もうすぐ三限だな)
---
ーー時計の針が、十八時を指した。
高橋はおもむろに立ち上がり、
事務室の照明を順に落としていく。
落とし物ファイルは定位置に戻され、
カウンターの上には何も残っていない。
最後にシャッターを下ろすと、
廊下の音が少しだけ遠くなった。
今日も、いくつかの落とし物が戻っていった。
いくつかは、まだ戻り先を待っている。
それだけのことだ。
高橋は鍵をかけ、
人気の減った構内を歩き出す。
学生たちの声は、もう聞こえない。
事務室も、落とし物コーナーも、
明日になればまた、何事もなかったように開く。
高橋浩一は、それを知っている。
---
落とし物コーナー 沙糖5㌘ @circus_blue
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