感想

1 ボクにも出来るはず/間川 レイ


 (変更アリ)


・まず、作品全体について。


 物語の仕掛けについては、「米澤穂信、伊藤計劃、綾辻行人」と名前を出した甲斐があると思う(こう書くとなんだか故人みたいだが)。ニュースに対する「ボク」視点の感覚など、年頃の素直さ、素朴さを感じる文章だった。一貫性があり、読み易く好印象。


・殴って来るパパの描写、その隣にいるママ、自分と同じ位置に立っている筈の妹、と家族への評価が映像的に、ぽんぽん自然に並んでいるのがよい。ただ実力行使に出てくる父親のほうはそれほど描写しなくとも悪辣さ・性悪さは見せられるが、ただ傍観している方(妹やママ)の非情さ・残酷さをもっと前面に持ってきたいと感じた。

 というのも、個人に対する客観的評価と、関係者・当事者の主観的評価が相反するということはよくある話である。たとえば殺人は一文で済ませてやって、窃盗はその動機から一章間に渡って物語る、というように、実際行われた悪徳と、文章・表現量を反比例させるのも面白いと思われる。まあどっちが悪いかは価値観によるかもしれないが。

 

・ニュースを模倣する、というのは、もしかするとあんまり面白くない気がする。なぜなら、ニュースの事実と「ボク」の行為にほとんど相違が無いからだ。相違がないとき、人は葛藤を起こさない傾向がある(似たような例であれば機械的に処理される。ところが肝心な所が違う、というとき人は戸惑う)。


・葛藤だけがドラマではないが。加えて、べつに石につまづいたから人を殺せ、というのでもない。意外性はある種陳腐でもある。模倣は生存における根源的な能力であり、とくに子供にとってはそうだろう。であればその様態にして、模倣のおこる前触れがほしい。特に感情の爆発・発露にあっても、逃避や反抗など色々ある訳で、その中から殺人が模倣された過程がすこし説明不足である気がする。ただ字数の問題はあるか。


・気持ち悪い→シャワーを浴びる。その後の描写。短いが情報がきちんと示されている。となると、血で汚れた以上の説明(つまりそれ以前の殺人描写)は要らない気もする。短い字数で説明するのと、バッサリ切ってみて後続行為でじっくり料理するのとどちらが最適かは判断に任せたい。加えて、もうすこし余裕があれば、家の中の様子もみたかった。たとえば、父親が斃れている場所に対し、他の面々はベッドルームに居るのかなど。また集合住宅か一軒家かといった点でも印象が変わってきそうである。


・結末、というより締め。シャワーを浴びる→自分の身体の確認・自己同一性→疲れの自覚、まではかなりいいと思う。カーテンの件は微妙。カーテンを締め直す、という動きが余計な気がする。静かな家の中で眠る彼女のためには、動作も静かに、潜んでいなくてはならないと思う。

 

【特記点】


・「ありったけのお金を使って買ってきたそれを、ありったけの力で振り下ろす。」

 着眼点と、表現の単調さのバランスを含めていい文章だと思う。うるさいことを言えば、関孫六でもそんな高くない気もするが。



 

 

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