第5話 俺に興味、持っちゃった?
side水瀬心菜
ピンポーン、と家のインターホンが鳴った。
画面を確認すると、そこに映っていたのは悠斗だった。
「……はーい、ちょっと待ってて」
そう言って、玄関へ向かう。
扉を開けると、悠斗は少し気まずそうに頭をかいていた。
――この癖。
何か言いたいことがあるときの、昔から変わらない仕草。
「なにか、話したいことでもあるの?」
私が先に切り出すと、悠斗は一瞬視線を泳がせてから口を開いた。
「知ってると思うけど……ひよりと、昨日から付き合い始めたんだ」
――知ってる。
でも、本人の口から聞くと、やっぱり胸が締めつけられる。
「それでさ……」
悠斗は続ける。
「ひよりが、心菜が俺らから離れるかもしれないって言ってて。だから、その……これからも、仲良くしたいって思って」
……ほんとに。
ほんとに、この人はわかってない。
私は、息を整えてから言った。
「……うん。いいよ」
思っていたより、声は明るく出た。
自分でも驚くくらい、自然に。
「仲良くしよう。今まで通り」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥がぎゅっと縮む。
でも、表情は崩さない。崩しちゃいけない。
悠斗が、ほっとしたように目を丸くする。
「ほんと? よかった……」
「なに心配してるの」
私は軽く笑ってみせた。
「私たち、幼馴染でしょ。それに、ひよりのことだって応援してるんだから」
嘘じゃない。
嘘じゃないけど、全部じゃない。
応援してる。
でも、胸が痛くならないわけじゃない。
悠斗の前で、そんな弱さを見せるわけにはいかなかった。
「ひよりにも、そう伝えておいて」
「うん」
悠斗は何度も頷く。
……ああ、よかった。
この人は、私が我慢してることに、やっぱり気づかない。
それが、少しだけ救いで、少しだけ、残酷だった。
「じゃあ、また学校で」
「うん。またね」
手を振ると、悠斗は安心した顔で帰っていく。
扉を閉めた瞬間、足の力が抜けた。
玄関に背中を預けて、深く息を吐く。
(大丈夫、大丈夫)
何度も心の中で繰り返す。
私は昔から、こうだった。
誰かの幸せのために、自分の気持ちを後回しにする役。
それができるのは、私しかいないから。
それでみんなが笑ってくれるなら、それでいい。
……そう思わなきゃ、やってられない。
胸の奥が、じんわりと痛む。
それでも私は、鏡に映る自分に向かって、もう一度だけ、無理やり笑ってみせた。
side中村悠斗
心菜に会って、これからも仲良くすると言われた。
正直、それを聞いてほっとした。
俺らは幼馴染だ。
三人でいるのが当たり前で、それがずっと続くものだと思っている。
俺とひよりは付き合ったけど——
えへへ。
それでも、関係が変わることはないだろう。
ひよりが心配していたこと。
心菜が離れてしまうんじゃないかって話。
それが大丈夫だとわかったから、俺は家に向かいながら電話をかけた。
「ひより。心菜さ、これからも同じように仲良くしてくれるって」
一瞬、間が空いた。
『……ほんとに、“同じように”って言ってた?』
その声は、少しだけ慎重だった。
「うん。これからも仲良くするって言ってたぞ」
また、短い沈黙。
そのあと、ひよりはいつもの声で言った。
『……そっか。それは、よかったね』
明るくて、柔らかくて、いつも通りの声。
だから俺は、深く考えなかった。
「だろ?」
ちょうど家に着いたので、俺は言う。
「じゃ、また明日な」
『うん。おやすみ』
電話を切って、ポケットにスマホをしまう。
空を見上げると、もうすっかり夜だった。
(大丈夫だよな)
三人は、三人のままだ。
形が少し変わっただけ。
そう思いながら、俺は玄関のドアを開けた。
……そのときは、まだ気づいていなかった。
「これからも」という言葉が、
三人それぞれで、全く違う意味を持っていたことに。
side水瀬心菜
親が帰ってきたので、夕飯を食べる。
今日はハンバーグ。自分で作った。
「おいしい」
お母さんがそう言ってくれて、少しだけ肩の力が抜けた。
ちゃんと、いつも通りにできてる。
そう思いたかった。
「なにか相談あるなら、いつでも言いなさい」
お母さんの言葉に、どきっとする。
……顔に出てたのかな。
「うん。でも、今は大丈夫」
そう答えると、お母さんはそれ以上何も言わなかった。
お風呂に入って、自分の部屋に戻る。
机に向かって、今日の宿題を広げた。
数学。
図形と方程式。
いつもなら、そこそこ集中できるはずなのに、今日は式が頭に入ってこない。
(……悠斗)
今日、家に来たからだ。
本人の口から聞いた言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
失恋したはずなのに、終わったはずなのに。
時計を見ると、21時。
「……ちょっと散歩してくる」
お母さんにそう言って、家を出た。
夜の空気は少し冷たくて、頭が少しだけ冴える。
目的もなく歩いて、気づけばスーパーの近くまで来ていた。
閉店間際。
自動ドアが開いて、誰かが出てくる。
——黒瀬。
(……最悪)
目が、合ってしまった。
気まずい。
まだ、全然気まずいのに。
黒瀬はそのまま、私の横を通り過ぎていく。
……え。
無視?
というか、気づいてない?
「……黒瀬」
思わず、声をかけていた。
彼は少し遅れて振り返る。
「ん? あー……水瀬か」
目が合ってたのに、私だと思ってなかったらしい。
それにしても。
近くで見ると、黒瀬はひどく疲れているように見えた。
「……こんな時間まで、何してたの?」
「用事終わらせて、スーパーで買い物」
「なんで、そんな遅くまで——」
「水瀬には関係ないよ」
ぴしゃっと、距離を取る言い方。
やっぱり、こういう人だ。
黒瀬は立ち去ろうとして、でも一瞬だけ立ち止まり、振り返る。
「もしかしてさ」
疲れた顔のまま、いつもの軽い笑顔を浮かべて言う。
「俺に興味、持っちゃった?」
「——もつわけないでしょ!」
反射的に叫んでいた。顔が熱くなるのが分かる。
黒瀬は、肩をすくめて小さく笑っただけで、今度こそ歩き出す。
私はその背中を見送らず、すぐに踵を返した。
胸が、うるさい。
(……ほんと、最低)
黒瀬に対してなのか、さっき一瞬でも「疲れてる」と思った自分に対してなのか。
家に戻ると、さっきよりも部屋が静かに感じた。
布団に潜り込みながら、私は目を閉じる。
いつのまにか、胸を占めていた悠斗の存在は、黒瀬に上書きされていたことも知らずに。
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