第2話 有機可燃物
翌朝。
激しい喉の渇きで、目を覚ました。
頭が重い。昨夜の封筒が気になっているせいか、あるいは単なる寝不足か。
母はパートに出かけたようで、家の中には誰もいない。
冷蔵庫を開ける。
水一本、入っていない。俺は舌打ちをして、ジャージに着替えた。
久しぶりに外に出る。
出なければ、何も分からない。
出たくはないが、赤い封筒が脳裏にチラついて、警告されているような気分だった。
「仕方ねぇ」
空腹のまま、玄関から出た。
日差しが眩しい。
とりあえず水を手に入れようと、徒歩三分のコンビニに向かった。
今や無人だから、誰にも会わなくてすむ。
自動ドアの前に立った。
無人化と万引き防止の観点から、入店時に『マイナンバーカード』の読み取りが義務付けられている。
セキュリティゲートの赤い端末が、真紅の封筒と重なって、
俺はポケットからマイナンバーカードを取り出し、リーダーに
――無音。
「ん?」
もう一度、翳す。
自動ドアが開かない。エラー音すら鳴らない。
ただ、センサーが俺を認識せず、ガラスの向こうの陳列棚だけが、虚しく見えていた。
「ふざけんなよ」
ガラスを蹴り飛ばしたくなったが、我慢した。監視は、網の目ほどに張り巡らされている。
これも、外に出たくない理由だ。
他人の目が怖い。
社会に上手く馴染めない。
とにかく歩いた。喉が張り付くように渇いていた。苛立ちは、昨夜の赤い封筒に向けられていく。
俺はフードを目深に被って、市役所の方角へと歩き出した。
*
市民課は、平日の昼間でも混雑していた。
順番待ちの発券機。
人と会いたくないのに、待機を強要される。これだから、役所は嫌いだ。
デジタル社会を謳っておきながら、今もなお、アナログを続けている。
発券機にカードを翳す。ここでも、反応しない。
「嘘だろ……」
俺は勇気を振り絞って、窓口から中を覗いた。
「あの、どうなってんすか?」
カウンターに、マイナンバーカードを置いた。
対応してくれたのは、四十代くらいの痩せた男性職員だ。
職員が俺の顔と、封筒を見比べている。
怒鳴られるかと思ったが、反応は違った。
「これは……お待ちください」
職員は、ひどく事務的な目で俺を見た。
手元のタブレットで、マニュアルをめくっている。
「第四条適用の方ですね。別室へどうぞ」
「いえ、カードのエラーを直して欲しいだけなんすけど」
何とか言葉を紡ぐ。
緊張で吐きそうだ。
「ここでは、処理できません。第四条適用者は、一般窓口では扱えないのです」
抵抗する気力も削がれるほど、職員の口調は淡々としていた。
しばらくソファで待たされて、ようやく案内されたのは、庁舎の奥にある相談室だった。
窓はなく、パイプ椅子と長机だけが置かれている。
職員は、一枚のペーパーを俺に差し出した。
タイトルには、『特別屍籍認定に伴う行政処分及び国庫負担軽減効果の試算』とある。
「……何ですか?」
「あなたが法的に死亡したことにより、今後発生する手続と、それによって浮く経費の内訳です」
俺は思わず、息を呑んだ――。
*
【マイナンバー:0425-3724-XXXX-XXXX】
1.即時執行事項
ア・住民基本台帳からの抹消
イ・金融資産の凍結および国庫への没収
ウ・賃貸借契約の強制解除
エ・携帯通信契約の停止
2.削減コスト(将来推計値)
ア・基礎年金及び厚生年金支給額
約4,200万円
イ・後期高齢者医療給付費
約3,800万円
ウ・介護保険給付費(要介護4想定)
約1,100万円
エ・生活保護受給リスク換算額
約850万円
オ・二酸化炭素排出削減換算額
約50万円
【総合判定】
当該対象者の処分により、国庫に対し金1億円(概算)の財政健全化効果が認められる。
*
市長名と朱色の公印。
文字が震えて見えた。
そこには、俺の人生の価値ではなく、俺がいなくなることで『国が得をする金額』だけが羅列されていた。
「一億円?」
「まだ、お若いですから。このような資産となります。有機可燃物に認定された後の道は、次の中から選択できます」
職員が、今度はタブレットを渡してきた。
画面には、ポップで明るいイラストと共に、三つの大きなボタンが表示されている。
どれも『選択』と呼ぶにはあまりに無慈悲なボタンだった。
*
【進路選択(キャリア・パス)】
※いずれか一つをタップしてください。
◉Aコース:『治験特例検体』
未承認薬、劇薬、および未知のウイルスに対する生体反応データを提供します。
※麻酔の使用は保障されません。
※検体の損耗率が高いため、
最短期間(平均3日)での貢献完了が
見込まれます。
◉Bコース:『高線量区域作業従事者』
指定汚染区域での除染・回収作業に従事します。
※防護服の着用は省略されます。
※作業中の食事・排泄は
管理センターからの指示に
従ってください。
◉Cコース:『サーマルリサイクル』【推奨】
最終処分場にて、地域の電力および温水プールの熱源として活用されます。
※最も確実かつ即座に、
二酸化炭素排出削減に貢献できます。
【注記】
※本画面表示から24時間以内に選択がない場合、自動的に「Cコース」が選択されます。
*
「そんな、ふざけないでください!」
大きい声を出すなと言わんばかりに、職員が腕を組んだ。
「ふざけてません。法律をきちんと読まれましたか? 今や、この国は沈む直前です。あれほど連日、ワイドショーや国会でも特別屍籍法が取り上げ、再三に渡って通知してきました。それを知らぬ存ぜぬでは、もう通りません。今更ながら、なぜ、きちんと生存確認を行わなかったのですか?」
何も言えなかった。
言い返せなかった。
職員に、そっと背中を叩かれた。
俺はその場に居られなくなり、逃げ出すように部屋を出た――。
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