それじゃあね
イロイロアッテナ
それじゃあね
「おはよう。」
暦の上ではすっかり秋なのに、なかなか下がらない気温とまとわりつくような湿度を感じながら、僕はマンションの敷地内の小さな公園に向かって靴のかかとを踏んで、だるそうに歩いていた。
「おはよう、康ちゃん。」
桜は、今日も僕よりも早く公園に来ていた。
「康ちゃん、靴きちんと履いたほうがいいよ。それから服の裾、ちょっとはみ出してる。」
「はいはい。」
僕はめんどくさそうに返事をして、片足立ちで靴のかかとに人差し指を突っ込み、靴を履き直し、つま先で2度、公園の乾いた土を叩いた。
「す・そ。」
桜は僕の腰あたりを指差しながら言った。
僕は黙ってランドセルを一旦公園のベンチに置くと、裾を服の中へしまった。
身だしなみが整うと、桜は笑顔で僕を頭の上からつま先まで、じっくり見てから
「ありがとう。」
と言って、柔らかく微笑んだ。
「なんで桜がお礼を言うんだよ。お礼を言うなら教えてもらった僕の方が言うべきだろ。」
僕がそう言っても、桜は何も言い返さず、ベンチに置いてあった自分のランドセルを背負うと
「さ、行こっか。そんなに余裕ないよ。」
そう言って学校に向かって歩き始めた。
僕は、少し距離をおき、桜の後をついて歩き始めた。
前を行く桜の少し短めの髪が、歩調に合わせて緩やかに弾む。
2年生までは、近所の溜め池がある大きな公園で、一緒にザリガニを捕まえてたりしていたのに、今では、そんな様子は少しも感じられない。
「ほら、こっちに来て一緒に歩こうよ、そんな後ろを歩いてないでさ。通りに出るまでなんだから。」
桜が足を止めて、僕を振り返り、自分の横を歩くように促した。
僕は小走りに桜の横に並び、一緒に歩き始めた。桜の横を通ったとき、桜の髪がほのかに香り、心臓が高鳴った。
僕は、その音が桜に聞こえてしまうのではないかと、焦ってしゃべり始めた。
「勉強は進んでるの?あと4ヶ月くらい?」
「4ヶ月は切ったかな?あと3ヶ月と3週くらい。
だけど、直前はあんまり勉強が手につかないだろうから、実質3ヶ月くらいかな?」
「そっか。」
僕は、そう答えると、歩道の上にあった小石を右足で軽く蹴った。
小石は、軽く蹴っただけなのに、歩道から車道への段差を落ち、ずっと先まで転がり、車道の排水溝に落ちていった。
「私がいなくなったら寂しい?」
桜は、にやにやしながら僕を見て聞いてきた。
「どうかな?生後11か月から一緒だった桜がいなくなったら、違和感は感じると思うけど。」
僕は、なるべく平静を装って答えた。
「その違和感っていうのは、寂しいってことだよね?」
「どうかな?桜がいなくなったら、わかるかもね。」
僕の答えに、桜は頬を少し膨らませ、斜め上を見ながらランドセルを背負い直した。
「康ちゃんって、私がいなくなっても、絶対に寂しいって言わないよね?何?寂しいって言ったら死ぬの?」
「いや、死にませんけど。」
僕も少しむきになって言う。
「保育園のムックムックルームで、お互いに鼻の頭をかじりあった仲じゃん。寂しいって言いなよ。」
「かじり合ってない。桜が僕の鼻を一方的にかじったんだろ。おやつのケーキのクリームがついてたから。」
「あれ?そうだっけ?」
「この話、いつもおあいこみたいに言うけど、僕が一方的な被害者だからね。」
「康ちゃんは細かいなぁ。もっと、こう、大きな気持ちで構えたまえ。」
「大きいって…。」
僕がそう言いかけたとき、桜は僕の近くに寄って、少し下から僕の顔をのぞき込むようにして
「私は康ちゃんと離れることが寂しいよ。」
そう小さな声でつぶやいた。
僕が顔を真っ赤にして硬直していると、細い路地の先、大きな通りに合流する三叉路に同級生の女子たちを見つけた桜は、手を振り、大きな声をかけて、女友達の元へ走って行った。
「アンカーは山田君がいいと思います。」
桜はまっすぐに手を挙げて、学級委員長から当てられる前に席を立ち、大きな声で言った。
それから、クラスのどよめきを聞きながら僕の方をチラリと見て、口角を上げた。
「えぇと、…山田くんね、はい。」
委員長は黒板に大きく
「山田康太」
と書いた。
毎年、6年生は運動会で組体操とガチリレーを行うことが通例だった。
そして、この2つの競技が運動会の最大の華で、それはコロナ禍以降、運動会の規模が半日に縮小された今でも変わっていなかった。
ガチリレーは、普通のリレーとは違う。
普通のリレーはクラス全員が参加し、自分たちが事前に走ったタイムと運動会当日に走ったタイムを比較して、どれだけ早く走れたか発表する。
言うなれば、対自分比というか、対自分ら比なのだが、競争なのだから他者と競わないと盛り上がらない。
だから、6年生の最後のリレーだけは、通常の全員リレーと併せて、各クラスの最も足が速い5人でチームを作り、クラス対抗のガチリレーが行われる。
今日の学級会の最も大きな議題は、そのガチリレーの走る順番を決めることだった。
このガチリレー、各クラスから1番足の速い5人が選ばれるから、毎年ほとんど差がつかない。
だから最後の勝敗は、ラストを走るアンカーにかかっている。
うちのクラスは、学年で1番足が速い水谷がいる。
僕もガチリレーのメンバーの中に入っているけど、水谷には敵わない。
ちょっと癖のある奴だけど、あいつがいるおかげで、うちのクラスは、ガチリレー優勝の最有力候補だった。
だから今日だって、桜がおかしなことを言い出さなければ、アンカーは水谷として、第1走者から第4走者までの並びをどうするか、そんな話になるはずだった。
「田中さん、どうして山田くんなの?そりゃあ、山田くんだって足は速いけど、でも1番足が速いのは水谷くんでしょ?田中さんはガチリレー勝ちたくないの?…って言ったら言い過ぎだけど…。」
最後の方は、聞こえないくらい小さな声で言ったのは、ちょっとしたことでも、すぐに先生にチクる系の女子の前田だ。
委員長は、教壇から
「前田さん、発言するときは手を挙げて当てられてからにしてください。」
と注意した。
「おい、その言い方はねぇんじゃねぇか。康太は最近ますます足が速くなってきて、水谷にだって負けてねぇぞ。」
そう声を上げてくれたのは親友の篤人だった。
「静かに。発言は手を挙げてから。」
またも委員長が声を上げると、その声に応えるように、静かに水谷が手を挙げ、委員長に当てられると席を立った。
「リレーのアンカーだけど、僕は何番に走っても構わない。山田くんがアンカーを走りたければ、それで構わないんじゃない?」
水谷はそう言って着席した。
水谷の発言を受けて、クラス中の視線が僕に集まった。
僕は手を挙げて立ち上がり
「篤人は、ああ言ってくれたけど、やっぱり、まだ少し水谷の方が足が速いと思う。だけど…。」
ここで僕は言葉を切って桜の方を見た。
桜は僕の方を見て、両手でガッツポーズをし、何度もうなずいている。
僕は言葉を続けた。
「だけど、アンカーをやりたいと思う。みんな、どうかな?」
僕は、そう言うと席に座った。
クラスのあちこちで、いろいろな声がざわめく。
「ええー、でも、やっぱり勝ちに行くなら、水谷じゃね?」
「山田も、かなり早いけどな。」
「いや、やっぱ水谷だよ。」
「でも、水谷がそれでいいって言ってんだから、山田でいいんじゃない?」
「なんで水谷に決定権があるんだよ、クラス全体の問題だろ?」
ざわめく教室に向かって、また委員長が大きな声で静かにするように、と声を上げる。
「それでは、まずリレーのアンカーを決めます。
水谷くんと山田くん、どちらか一方に手を挙げてください。」
クラスが静まりかえり、そこかしこで、投票を相談し合う小さな声だけが、さざ波のように聞こえる。
「ではまず、水谷くんに賛成の人。」
パラパラと手が上がり、クラスの約半数が手を挙げる。
「次に、山田くんがいいと思う人。」
また、クラスの半数程度が手を挙げる。
1番最初に1番勢い良く手を挙げたのは桜だった。
委員長は数を数え終わると
「わずかな差ですが16対17で、アンカーは山田君に決まりました。」
そう宣言した。
クラス中に、水谷が良かっただの、やる気がある奴が走った方が絶対いいってなど、ざわめきが広がる。
委員長が再び声を張りあげて
「まだ他の順番が決まっていません。これからそれを決めるので、静かにしてください。」
と言っても、クラスのざわめきは、なかなか収まらなかった。
学級会が終わった帰り道、校門を出たところで、水谷に会った。というか、水谷が僕を待ち構えていた。
「山田くん、ちょっといいかな?」
僕が返事をする前に、水谷は話し始めた。
「僕は中学受験をしているから小学校の運動会にあまり興味がない。走る順番もね。」
「あ、はい。」
僕はなんと言っていいのかわからず、そうとしか返事ができなかった。
「怪我でもしたら受験に響くし。まぁ、僕は私立中学に行くから、山田くんとは小学校までの付き合いになるけど、あと少しの間、よろしくね。」
「あ、はい。」
それだけ言うと、水谷はくるりと背を向けて立ち去っていった。
僕は、なんと表現していいのか、わからない気持ちのまま、家路につき、大きな通りの三叉路からいつもの細い路地に入った。
すると、そこにはブロック塀に寄りかかり、片足をぶらぶらさせている桜が待っていた。
僕が何も言わず、桜の前を通り過ぎると、桜は僕の後を黙ってついてきた。
しばらくそうして歩いていると、桜が後ろから声をかけてきた。
「ねぇ、アンカーに推したこと怒ってる?」
僕は何も答えずに歩き続けた。
「ねぇ、怒ってる?って聞いてるじゃん。」
僕は振り返らず、前を向いて歩いたまま
「怒ってない。」
とぶっきらぼうに言った。
「怒ってるじゃん。」
後ろから桜のしょんぼりした声が聞こえてくる。
「怒ってないって。怒ってないけど、水谷の方が速いのに、どうして僕をアンカーに推したんだよ?」
僕は振り返って桜に問い質した。
「康ちゃんがふさわしいと思ったからよ。じゃあ、康ちゃんは、どうして断らなかったの?」
桜の問いに、僕は答えに窮して、くるりと前を向き、また歩き始めた。
桜は後からついてきて、何度も
「ねぇ、どうして?」
と繰り返し尋ねてきたが、とうとう僕は
「桜が推してくれたから…。」
という気持ちを言葉にできず、黙ったまま桜を振り切って、家のドアに駆け込んだ。
季節通りに気温は下がっていないけど、気持ちいい秋晴れの朝、僕らの最後の運動会が始まった。
一昔前と違って、過度に勝敗をつけないことをやめ、全学年の全クラスを赤組と白組の2つに分け、競技ごとに得点をつけて、総合得点を競い合う。
先生たちは勝敗にこだわるな、と口を酸っぱくして言っていたが、チームに分かれて点を競い合う以上、勝敗を気にするなという方が無理だろう。
運動会が進む中、僕ら白組が宿敵赤組を追いかける大接戦の展開だった。
わずかな点差で、僕らの最後の運動会の、最後の競技、ガチリレーが始まった。
全校生徒の半分の期待を背負い走るガチリレーの下馬評では、やはり僕らのクラスが本命だった。
しかし、唯一、僕らの弱点は、アンカーが水谷ではなく山田だということ、そこに対抗馬である2組がつけ込む隙があるというのが、もっぱらの評判だった。
僕は苦笑しながら、トラックの真ん中で軽くジャンプして体をほぐした。
それから、他のアンカーたちと一緒にスタート地点に移動して、反対側の第一走者たちのスタート地点を見つめる。
みんなクラウチングスタートだ。
全校生徒と保護者が見守る中、スタートを告げるピストルの乾いた音が、秋の空に響き渡る。
同時にスピーカーから「天国と地獄」がかかり、一斉に第1走者が走り出す。
うちのクラスの第1走者は篤人だ。
他のメンバーを見ると、多分、篤人が1番速い。
だけど、他のメンバーも各クラスから選抜されているだけあって、そこまで差はない。
篤人は1位でバトンを渡したが、抜きつ抜かれつの大混戦だ。
走者の中に足の遅いやつはいない。
だから、1番大事なのはバトンパスの場面だ。
バトンを落とせば、もう挽回は無理だ。
各クラスとも、それはわかっているから、バトンを渡す時は、少しスピードが落ちても丁寧にバトンを渡す。
その減速の瞬間に、くるくると順位が入れ替わり、その度に、次の走者のレーンを先生が目まぐるしく入れ替える。
今、1番手は赤組の2組、2番手は白組のうちのクラス、3番手はやはり白組の5組だ。
でも、走者全員が重なって見えるほど差がない。
僕は一番手を走る赤組のアンカーをチラリと見た。
大西だ。
小柄で僕と同じくらい足が速い。
先に出られたら抜くのは難しいが、僕が先に出れば、多分、抜かれることはない。
コーナーを回って、第4走者が直線に入る。
順位は変わっていない。
走ってもいないのに、僕の心臓が早鐘を打つ。
2位で受け取って、大西を抜かせるか。
落とさなくてもいい、大西がバトンパスで手間取れば、まだ目がある。
第4走者が近づき、大西が動き出す。
合わせて僕も、大西の影のように、ぴったりと追随する。
大西も、僕も、スムーズにバトンを受け取り、バトンを握りしめた途端、解き放たれるように、スピードを上げて全力疾走した。
前を行く大西を追いかけながら、僕は奇妙な感覚にとらわれた。
(遅い)
いや、決して遅くはない。
でも、僕が思っていたほど、大西は速くない。
大西の調子が悪いのか、僕が速くなったのか、わからないけれど
(抜ける)
そう思った僕は、ほんの少しだけ外側に膨らみ、大西を抜かそうとした。
きっと後から迫ってくる僕に、大西も押さえ切れないとわかったのだろう。
抜かせまいと大西は外に膨らみ、そして、その途端に全てがスローモーションになり、僕たちは接触して、2人とも転倒した。
「本当にごめん。」
クラスに戻った僕は全員に頭を下げた。
結局、僕らが転び、それを避けた3位の白組のアンカーが失速した瞬間、後続の赤組のアンカーたちに抜かれ、赤組が1位と2位を独占した。
総合優勝は赤組だった。
一番最後は整理体操も兼ねた全校生徒によるフォークダンスだった。
明日からの学校生活に遺恨を残さないように、という学校側の配慮が見え見えだった。
オクラホマ・ミキサーが秋の空高く鳴り響いても僕の心には何も届かなかった。
僕は、ひたすら自分の足元だけを見つめ、機械のように次々と変わる相手と無感動に踊っていた。
「速かったよ。」
かけられた声に僕が顔を挙げると、僕の手を握っている桜が目の前にいた。
「転んじゃ意味ないよ。」
僕は、乾いた声で、そういうのが精一杯だった。
桜は、少し困ったように笑い
「でも、1番速かったよ。」
そう言って、僕の手を強く握りしめた。
曲が終わり、パートナーが変わる瞬間、僕は、小さい声で
「だから意味ないって言ってるじゃん。」
そう言って乱暴に桜の手を振り解いた。
桜は悲しそうな顔をして、フォークダンスの回転する輪の中に、ゆっくりと消えていった。
運動会が終わっても、僕らは毎朝公園で待ち合わせをして、大通りに出るまでの細い裏路地を一緒に歩いた。
いろんな話もしたし、ときには冗談を言いあったりもしたけど、僕には桜がすごく遠かった。
もしあの時、桜の手を握り返し、その言葉を素直に受け止め、謝罪と感謝の気持ちを伝えていたら、こんなにも桜を遠くに感じることはなかったのかもしれない。
そんな思いを引きずりながら、冬が過ぎ、年が明け、やがて卒業の季節が近づいてきた。
そんなある日、僕は母と、卒業式と中学校の入学の準備をしていた。
そして僕は、母が席を外した隙に、横で仕事をしていた父に質問をしてみた。
「お父さんは、もしもあの時、こうしておけば違う未来があったんじゃないかって後悔することってある?」
父はコーヒーを飲む手を止め、少し考え込むような顔をした。
「あるけど、ないな。」
「どういうこと?」
僕は、父の回答の意味がわからなかった。
「もしもあの時、なんて後悔は、みんなする。お父さんぐらいの歳になれば、そんな過ちと後悔の塊だよ。塊魂だよ。星ができるわ。」
「え、そうなん!?」
「だけどな、間違えなかった未来、人に傷つけられなかった未来、人を傷つけなかった未来、そんなものはないんだよ。やり直しは効かない。復活の呪文も教会もねえ。だから人生は尊いし、誤りをなくすんじゃなくて、誤りを前提に、心から謝ったり、謝ってもらったりして和解するんだ。」
「それは昨日、私のプリンを食べた話?」
振り返ると、母が部屋の入り口に立っていた。
仕事の書類を置き、母にペコペコと謝る仲の良い両親を見つめながら、僕は心に決めた。
卒業式の朝、桜は袴の着付けをしてから、直接小学校に行くと言っていた。
僕は1人で細い路地を抜け、6年間通った小学校への通学路をたどった。
朝のホームルームに現れた先生は、スーツを着て、胸には大きな花が飾られていた。
僕に少し遅れて登校してきた桜は、色鮮やかな袴を着てクラスの誰より凛として可愛らしかった。
体育館の卒業式で、厳かな音楽が流れる中、一人一人名前を呼ばれ、僕が卒業証書を受け取り、壇上から振り返ると、保護者席には目にハンカチを当てる母が見えた。
やがて最後のホームルームが終わり教室を出た僕は桜を探した。
やっと見つけた桜は、同じように袴を履いた女子たちと、少し大きな声で、笑顔で話をしていた。
「桜。」
僕がそう声をかけると、桜は、短い髪を春の風に踊らせながら、振り向いて僕を見た。
「ごめん桜。桜が慰めてくれたのに、振り払うようなことをして。本当にごめんなさい。」
自分で喋りながら、最低の謝罪だと思った。
桜の向こう側で女の子たちが驚いている。
せめて、桜だけ別の所へ連れて行けばいいのに。それに、自分の言いたいことだけを一方的に言う謝罪に、そのことも謝りたくなった。
桜は何も言わず、僕を見つめると
「大丈夫、康ちゃんは、あのあと何も言わなかったけれど、康ちゃんの気持ちは伝わっていたよ。それより…。」
「それより?」
「私と進学先が違ったら、寂しい?」
「寂しい、とても。」
ずっと言えなかった言葉が、今は何度も言いたくなるくらい、すんなりと言葉にできた。
桜の後ろの女子たちが黄色い声を上げる。
僕の言葉を聞いた桜は、満面の笑みで満足そうに何度もうなずくと、僕の耳に口を寄せると小声で
「それじゃあね。」
そう言って女の子たちの輪に戻り、冷やかす女の子たちに
「そんなんじゃないって。」
と言って笑っていた。
4月になり、桜が散りかける頃、地元の中学校の入学式に臨んだ僕は、校門で意外な人に出会った。
「私立中学に行くって言ってたのに。」
僕はそう言いかけて慌てて口をつぐんだ。
ここにいるということは、つまり、そういうことだ。
「こ、こんにちは。」
挨拶する僕と水谷の間に、何とも言えない微妙な空気が流れる。
「さ、さようなら。」
そそくさと去ろうとする僕に、水谷は一瞬だけ視線を外し、苦笑してから
「あそこを見なよ。」
と大きな声でそう言って、校門に向かって指を差した。
水谷に促されて校門を見ると、桜がこちらに向かって歩いてくるところだった。
「落ちちゃった、てへ。」
そう言って笑いながら上目遣いで僕を見る桜に僕は
「卒業式の時、もう試験結果は出てただろ?」
と泣き笑いながら言った。
「だから、進学先が「違ったら」って仮定形で言ったじゃん。」
口をとがらせて反論する桜に、僕は、ますます泣き笑いになった。
「返せ。」
そう言った僕に、桜は目を丸くして
「え!?何を?」
と笑った。
「わかんない。わかんないけど、何かを返せ。返せ、返せ。」
そう叫ぶ僕と桜の肩を水谷は両手で抱え
「そう、じゃれないでくれよ。君たちと一緒なら、ここでも楽しくやれそうだ。」
そう言って入学式の会場に歩き出した。
僕も水谷と同じ気持ちだった。
きっと桜も同じ気持ちだっただろう。
麗らかな春風と共に校庭を歩く僕たちの上に、わずかに残った桜の花びらが舞い落ちていた。
それじゃあね イロイロアッテナ @IROIROATTENA
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます