第9話 深淵の呼び声と、鏡像の女

 鉄の墓場の夜は、地上よりも深く、そしてひどく不快な重みを伴う。


 空を覆う巨大な排気ダクトが、死にかけの老人のような喘鳴を立てて煤煙を吐き出していた。吾輩のパッシブセンサーには、大気中に漂う重金属粒子と有害物質の数値が、赤色の警告文字として絶え間なく流れている。


 イニトは路地の隅で、手に入れた安物のポーションを喉に流し込んでいた。粗悪な添加物の匂いが、グリップを通じて吾輩の解析回路にまで伝わってくる。


『おい、小粒。いつまでそこで無意味に肺を汚している。場所を変えるぞ』


 吾輩は思考通信を飛ばした。イニトは顔をしかめ、背中の鞘を苛立たしげに叩く。


「……静かにしてくれ。これでも精一杯なんだ。アンタを背負って歩くだけで、体中の節々が悲鳴を上げている」


『軟弱なことだ。貴様のその脆弱な肉体は、今の吾輩を満足に振るうためのマナさえ枯渇している。……このスラムの直下、かつての第七統合都市の心臓部へ向かえ。吾輩のセンサーが、高純度の電子流を感知した』


「地下、迷宮区画か。あそこは転生者たちがレベル上げに使う場所だろ」


『奴らが彷徨っているのは表層の塵溜めだ。吾輩が求めているのはさらにその奥、かつての文明の動力室だ。行け。そこで吾輩を充電しろ。さもなくば、次の戦闘で貴様はただの重い鉄棒を振って無様に果てることになるぞ』


 イニトが沈黙していると、吾輩の集音マイクが瓦礫を叩く微かな足音を拾った。

 フードを目深に被った、例の小柄な影が背後に立っている。


「独り言か? それとも、その鉄屑と対話でもしているのか」


 ハスキーな声が雨音に混じる。イニトは反射的に吾輩の柄を握ったが、吾輩はあえて機能を制限し、ただの鉄塊を装った。


「……何の用だ」


「お前の首を狙うのは、もっと懸賞金が跳ね上がってからだと言ったはずだ。……今は、その剣に興味がある」


 影は無造作にフードを脱いだ。


 銀色に近い灰髪を短く切りそろえた女だ。年齢はイニトとさほど変わらないが、その瞳には少年らしい瑞々しさなど微塵もなく、ただ冷徹な合理性だけが宿っている。


「ルーナだ。職業は賞金稼ぎ。人生1回目の、生粋の現地人だ」


 ルーナと名乗った女は、腰に下げた無骨なナイフの柄を軽く叩いた。


「お前の剣……いや、そいつは生きているな。意思があるのか、それとも高度な自律回路が組み込まれているのかは知らないが。……その化け物が、地下を指しているんだろう?」


 ほう。この女、吾輩の声を聞き取っているわけではないようだが、吾輩の特異性を正確に嗅ぎ取っている。野生の勘、あるいは同類の「遺物」を扱ってきた経験によるものか。


「……迷宮の奥に行く。この鉄屑が、まともな武器として使えるようになる場所までだ」


 イニトの決意は、その乾いた声に滲んでいた。


「いいだろう。案内してやる。迷宮の裏ルートは、転生者の攻略マニュアルよりも私の頭の中の方が正確だ」


 地下五層、迷宮区画。


 そこは、かつての都市の基幹システムが暴走したまま放置された、鉄と情報の迷宮であった。


 イニトとルーナは、転生者たちのパーティを避け、保守用の狭いダクトを突き進んでいく。

 やがて辿り着いたのは、青白い放電現象が空間を支配する、巨大な電源室であった。

 壁一面に敷き詰められた魔導バッテリーの残骸が、数千年を経た今もなお、死にきれずに微かな脈動を続けている。


『……素晴らしい。この純度の高い電子流こそ、吾輩が求めていた栄養源だ』


 吾輩はナノマシンの触手を微細に伸ばし、ひび割れた結晶体から残留エネルギーを強引に吸い上げた。実に心地よい。冷え切った電子の海が、回路の隅々まで行き渡り、休眠状態だったセクターが次々と再起動していく。


 イニトの腕を通じて、吾輩の刀身に走る光のラインが、青白く鮮明に明滅を始めた。


『バイタル・チェック……良好。内部電力、3%まで回復。不完全ながら、光学投影ユニットの再起動を承認する』


「光学……なんだって?」


『光学迷彩機能の劣化版だ。貴様の周囲に、実体のない光の幻影を投影できる。投影時間は最大十秒。使い道は貴様の浅知恵次第だ』


 イニトの網膜に、ホログラムの起動アイコンを無理やり割り込ませる。


 彼は実験的に念じたようだ。吾輩の出力装置が作動し、目の前の空間に、イニトと全く同じ姿をした光の残像が出現した。


「……消えた。いや、偽物か?」


 ルーナが鋭く反応し、ナイフを抜いて幻影に斬りかかった。刃は手応えなく光を通り抜けた。


「……面白い。魔法ではないな。古代の技術か?」


「ああ、らしい。……ルーナ、これを使えば、あいつらの裏をかける」


 イニトが広場を指差した。


 そこでは、派手な装備を纏った四人組の転生者パーティが、警備ドローンを魔法で効率よく狩っていた。彼らは攻略サイトに記された手順をなぞるだけの、実につまらぬ作業に興じている。


「あいつらの背後に、僕の偽物を映し出す。驚いて魔法を乱射すれば、あの天井の崩落しそうな配管がどうなると思う?」


 イニトの提案に、ルーナは冷たく、しかし愉快そうに口元を歪めた。


『……ふん。性格の悪さだけは、ようやく吾輩の眼鏡に適うレベルになってきたようだな』


 イニトが集中し、吾輩の光学投影機能を起動した。


 転生者たちの背後。闇の中から、突如として剣を構えたイニトの幻影が飛び出した。


「なっ、レアPOPか!? いや、PKだ! 迎撃しろ!」


 転生者たちが慌てて振り返り、最大威力の範囲魔法を幻影に向けて放つ。

 激しい爆炎が幻影を突き抜け、その背後にある老朽化した配管を直撃した。

 高圧の冷却液と蒸気が噴出し、広場は一瞬で白濁した地獄絵図と化した。

 転生者たちは視界を奪われ、熱蒸気に悲鳴を上げながら、無様に地面をのたうち回る。その無様な逃げ惑い方は、吾輩のアーカイブにある低級な害虫の行動パターンと酷似していた。


「道が開いたな。……行くぞ」


 イニトは背後の騒動に一度も目を向けず、闇の向こうへと歩き出した。


 正面から戦えば一瞬で蒸発させられる戦力差を、情報の非対称性と、わずか数秒の幻影でひっくり返す。実に合理的で、卑怯なやり口だ。


『……ククッ。奴らのマニュアルには、幽霊の倒し方までは載っていなかったようだな』


 地下の最深部、イニトは奪い取ったばかりのエネルギーセルの温もりを掌に感じているようだった。


 ルーナという奇妙な女、そして、わずかばかりの機能を取り戻した吾輩。

 復讐の下地は、地下の闇の中で静かに、そして確実に整いつつあった。

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