第8話 鉄の墓場と、屑たちの晩餐
王都の下層、鉄の墓場。
そこは、華やかな学園都市の排泄物が流れ着く吹き溜まりだ。
壊れた蒸気機関、魔法実験の失敗作、そして夢破れた元冒険者たちが、どす黒いスモッグの下で蠢いている。
雨は止んでいたが、空からは錆混じりの雫が絶え間なく垂れてくる。
イニトは足を引きずりながら、腐った油の臭いが充満する路地を歩いていた。
学園を追われ、公式な身分を失った今、彼を待っているのは金貨五百枚の懸賞金がかけられた賞金首としての人生である。
右肩はシオンとの戦いで悲鳴を上げ、全身は打撲で青あざだらけだ。
状況は最悪。だが、彼の瞳から迷いは消えていた。
「おい、いつまでついてくるんだ」
イニトが振り返らずに問う。
背後の闇から、コツコツと機械的な足音が響く。
ルーナだ。
彼女はフードを目深に被り、どこから取り出したのか、赤黒い果実を齧りながら一定の距離を保ってついてきていた。
「勘違いするな。私の目的地もこっちなだけだ」
「嘘をつけ。賞金稼ぎがこんなゴミ捨て場に何の用だ」
「ゴミ捨て場だからこそ、掘り出し物が埋まっていることもある。例えば、評議会に睨まれた転生者殺しの卵とか、な」
ルーナは口の端を歪めて笑った。
その目は獲物を値踏みする商人のそれだ。
イニトは舌打ちをし、歩みを再開する。
追い払う気力も体力もない。それに、この危険地帯で背後を警戒してくれるなら、たとえ敵であっても今の彼にとっては利用価値があった。
『ふん。合理的になったものだ』
吾輩はパッシブセンサーの感度を上げ、周囲のスキャンを開始した。
この区画のマナ濃度は異常に低い。代わりに、高密度の重金属反応と、不衛生な環境特有の病原菌が検出される。
転生者たちが持ち込んだ産業革命という名のごっこ遊びの成れの果てだ。
彼らは知識だけで工場を作り、公害対策という面倒なプロセスを魔法で誤魔化した。そのツケが、このスラムに濃縮されている。
「薬がいる」
イニトが呟き、路地の奥にある一軒の店に入った。
看板には、よろず屋ジャンクと、下手くそな文字で書かれている。
中に入ると、強烈な消毒液と獣臭が鼻を突いた。
カウンターには、義眼を埋め込んだ小太りの男が座っている。
「いらっしゃい。なんだ、ガキか。冷やかしなら帰んな」
「治療薬が欲しい。一番安くて、一番効くやつだ」
「ハッ、そんな魔法みたいな薬があるなら俺が使ってる。金は?」
イニトはポケットを探るが、出てくるのは糸くずだけだ。
男の目がすっと細くなる。
義眼のレンズが回転し、イニトの装備をスキャンする微かな機械音が聞こえた。
「金がないなら、代わりのもんを置いてきな。その背中の鉄屑とか、どうだ?」
男の視線が吾輩に固定される。
ほう。このドブネズミ、腐っても商人の端くれか。
吾輩の外見はただの錆びた剣だが、その質量と材質が尋常ではないことを見抜いたらしい。
「これは売らない」
「なら、お前の臓器でも売るか? 健康な腎臓なら、ポーション一本と交換してやるぜ」
男がカウンターの下から、錆びたノコギリを取り出してニタリと笑う。
同時に、店の奥から二人の大男が現れた。
筋肉増強の魔法薬を過剰摂取したような、不自然に膨れ上がった肉体。
逃げ場はない。
「交渉決裂だな」
イニトはため息をつき、吾輩の柄に手をかけた。
だが、その手は震えている。
限界だ。今のイニトの体力では、この暴漢たちを相手にするのは自殺行為に近い。
その時。
店の入口に寄りかかっていたルーナが、果実の芯を放り投げながら口を開いた。
「おい、店主。そいつを殺すと損をするぞ」
「あぁ? なんだ、そのチビは」
「そいつは今、賞金首の予備軍だ。ここでバラして臓器にするより、泳がせて懸賞金が掛かるのを待った方が、リターンは高い」
ルーナは淡々と言い放つ。
助け舟ではない。投資の話だ。
だが、店主はその言葉に興味を示さず、鼻で笑った。
「知ったことか。俺は今の現金が欲しいんだよ。おい、やっちまえ」
大男たちが襲いかかる。
イニトが動く。だが、反応が遅い。右肩の激痛が動きを鈍らせる。
ドガッ!
先頭の男の拳が、イニトの腹に突き刺さる。
くぐもった音と共に、イニトが店の棚に吹き飛ばされた。
ガラクタが雪崩のように降り注ぐ。
「が、はっ……!」
「へへへ、威勢がいいのは口だけかよ」
大男が追撃の拳を振り上げる。
死ぬか。ここで。
野良犬のように、誰にも知られず。
『緊急防衛プロトコル、一部アンロック。思考リンク開始』
吾輩の回路が、自律的に判断を下した。
まだ死なせるわけにはいかない。
この小粒は、吾輩が見つけた数千年ぶりの退屈しのぎなのだから。
イニトの手の中で、吾輩のグリップが一瞬だけ熱を帯びる。
同時に、イニトの脳内に直接、解析イメージを送り込む。
右前、鉄パイプ、支点、梃子の原理。
「……ッ!?」
イニトは無意識に、床に落ちていた鉄パイプを蹴り上げた。
それは回転しながら大男の足元に転がる。
男がそれを踏んでバランスを崩した瞬間。
イニトは残った左手で吾輩を突き出した。
斬撃ではない。
吾輩の鞘の先端を、男の喉仏に押し当て、全体重をかけて押し込む。
グシャリ。
軟骨が潰れる嫌な感触。
男は声も出せずに泡を吹いて倒れた。
イニトは止まらない。
もう一人の男が怯んだ隙に、棚にあった劇薬の瓶を掴み、男の顔面に投げつけた。
「ぎゃあああああッ! 目が、目がぁぁ!」
溶解液の瓶が割れ、悲鳴を上げてのたうち回る男。
卑怯か。残酷か。
知ったことか。これは試合ではない。生存競争だ。
イニトは倒れた男の腰からナイフを抜き取り、震える足で店主に歩み寄る。
「薬をよこせ」
その目は、もはや少年のものではなかった。
生きるために他者を踏み台にすることを厭わない、捕食者の瞳だ。
「ひ、ひぃッ! わ、わかった! 持っていけ! 全部持っていけ!」
店主は腰を抜かし、カウンターの上にポーションの瓶を並べた。
イニトはその中から一本だけを掴み取り、一気に飲み干した。
安物のポーションだが、痛みが少し引いていく。
残りの数本をポケットにねじ込み、彼は店を出た。
「見事だ」
外で待っていたルーナが、初めて感心したような声を漏らした。
彼女の視線は、イニトの背中に突き刺さる。
「お前、騎士道精神とか捨てたのか?」
「そんなものは、学園に置いてきた」
イニトは血を拭い、濁った雨空を見上げた。
「シオンなら、相手を殺さずに制圧しただろうな。でも、僕はシオンじゃない」
「ああ、そうだな。お前は英雄にはなれない」
ルーナがイニトの隣に並ぶ。
その距離が、以前よりも少しだけ縮まっていた。
「だが、生存者にはなれる。悪くない手際だったぞ、共犯者」
共犯者。
その言葉が、二人の関係を決定づけた。
イニトは何も言わず、ただ吾輩を握り直す。
その掌から伝わる微かな震えが、恐怖によるものか、それとも興奮によるものか。
吾輩にはまだ、判別がつかなかった。
だが、一つだけ確かなことがある。
この少年は今、世界の裏側、システムのエラーへのアクセス権を手に入れたのだ。
さあ、次は何を食らう? 知識ある豚か、それとも偽りの神か。
吾輩は密かに、システムリソースを割り振り、イニトの知覚補助を強化した。
ほんの些細な、管理者にも気づかれない程度の贔屓。
それが、これから始まる反逆劇の、ささやかな前金である。
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