第8話 魔法

魔法訓練場は、領主館の東側に位置する広い石造りの建物だった。内部は吹き抜けになっており、四方の壁には防御魔法陣が刻まれている。


今日の指導者は、クロスフェイト家に代々仕える老魔導師、マスター・オルデンだった。70歳を超える年齢だが、背筋は伸び、目には鋭い知性の光が宿っていた。


「では、今日は基礎魔法の応用について教えよう」


オルデンの前に、カイムと数人の子供たちが座っていた。いずれもクロスフェイト家に仕える貴族の子弟だ。


「魔法の本質は、想像力と意志力である。形あるものをイメージし、魔力でそれを現実化させる」


老人は手のひらを上に向け、小さな炎の玉を作り出した。


「しかし、単にイメージするだけでは不十分だ。魔法陣を用いることで、イメージをより明確にし、魔力の消費を効率化できる」


カイムは真剣に聞いていた。ゲーム内では、魔法は単に「詠唱して発動するもの」という理解だったが、実際の理論ははるかに深遠だった。


「では、お前たちも試してみるがよい。まずは《点火》の魔法から」


子供たちが一斉に手を差し伸べた。数人が小さな火花を出したが、大半は何も起こらない。


カイムは目を閉じ、イメージを固めた。ゲーム内でカイムが使っていた魔法──特に火属性魔法の感覚を思い出す。


「《点火》」


掌にほのかな温もりを感じた。目を開けると、小さな炎がゆらめいていた。他の子供たちから感嘆の声が上がった。


「おお…!」

「カイム様、すごい!」


オルデンが満足そうにうなずいた。


「よくできた。では次に、その炎を大きくしてみるがよい」


カイムは集中を深めた。炎をイメージし、魔力を流し込む。しかし、炎は大きくならず、逆に消えかかった。


「焦るな。魔法は急いでいてはならない」オルデンが静かに言った。「まずは基礎を固めよ。大きな炎を作る前に、小さな炎を完全に制御できるようにならなければ」


その言葉に、カイムははっとした。ゲームでは、レベルが上がれば自動的に強力な魔法が使えるようになった。しかし現実では、基礎の積み重ねがすべてだった。


「はい、マスター・オルデン」


次の一時間、カイムは小さな炎の制御に没頭した。炎の大きさを変え、温度を調整し、形を変える。最初はぎこちなかったが、次第に手応えを感じ始めた。


「…なるほど。ゲームと現実はここが違うのか」


休憩時間、カイムは一人で訓練場の隅に座り、思考を巡らせた。


「ゲームでは、カイムは15歳の時点で既に多くの強力な魔法を使いこなしていた。だが、その裏にはこのような基礎の積み重ねがあったはずだ」


彼は手のひらを見つめ、再び小さな炎を作り出した。


「俺には時間がない。通常のペースで学んでいては、セインに追いつけない。でも、焦って基礎をおろそかにしてもいけない…」


「悩んでいるのか、カイム?」


振り返ると、オルデンが立っていた。


「マスター・オルデン…はい、少し」


老人は隣に座り、遠くを見つめた。


「お前は特別な子だ。並外れた才能を持っている。しかし、才能がある者ほど、基礎を軽視しがちなものだ」


「…なぜでしょう?」

「基礎は退屈だからだ」オルデンは苦笑した。「華々しい魔法ほど人を惹きつけるものはない。だが、本当の強さは地味な積み重ねの中にある」


カイムはうなずいた。ゲームの知識では、カイムは後年、無詠唱魔法を駆使して圧倒的な力を発揮していた。しかし、その背景にはこうした基礎訓練の積み重ねがあったのだ。


「マスター・オルデン、一つお聞きしたいことがあります」

「何かな?」

「無詠唱魔法についてです。どうすれば習得できますか?」


オルデンの目が鋭く光った。


「無詠唱魔法か…それは上級者でさえ完全に習得する者は少ない。なぜそんなことを?」


「時間を節約したいからです。詠唱に費やす時間を、他のことに使いたい」


老人はしばらく沈黙し、やがて深く息を吐いた。


「無詠唱魔法の習得には、三つの条件がある。第一に、魔法を完全に理解していること。第二に、魔力の流れを完璧に制御できること。第三に…」


オルデンはカイムをじっと見つめた。


「危険を冒す覚悟があることだ。無詠唱魔法の暴走は、詠唱魔法の比ではない。場合によっては命を落とすこともある」


「覚悟はあります」

「5歳の子供がそんなことを言うな」オルデンは首を振った。「今は基礎を固める時だ。無理は禁物だ」


しかし、カイムの目には決意が燃えていた。彼には焦る理由があった。時間がないのだ。


「では、条件を提示しましょう」オルデンが言った。「まず、基礎魔法をすべて無詠唱で発動できるようになること。それができてから、次の段階に進む」


「すべての基礎魔法を?」

「そうだ。《点火》《水流》《微風》《土塊》《光球》《闇影》の六つだ。これをすべて詠唱なしで発動できるようになれ」


それは厳しい課題だった。普通の魔法師なら、数年かけて習得する内容だ。


「わかりました。その課題を達成してみせます」


オルデンは驚いたように眉を上げたが、すぐに笑みを浮かべた。


「ふむ…では、約束だな。達成したら、無詠唱魔法の次の段階を教えよう」


「ありがとうございます、マスター・オルデン」


その時、訓練場の入り口で物音がした。振り返ると、シルヴィアが乳母に手を引かれながら入ってきていた。


「お兄ちゃん!」

「シルヴィア、どうしたの?」


妹は嬉しそうに駆け寄り、カイムの腕にしががみついた。


「見に来たの! お兄ちゃんの魔法!」

「今は休憩中だよ」

「でも、さっきの炎、とってもきれいだった!」


シルヴィアの目は、純粋な憧れで輝いていた。カイムは胸が温かくなるのを感じた。


「シルヴィアも、いつか魔法を習うんだよ」

「うん! 私もお兄ちゃんみたいになりたい!」


オルデンが優しく微笑んだ。


「では、シルヴィア様にもちょっとだけ魔法を見せてあげようか」


老人が手を上げると、無数の光の粒が舞い上がり、蝶の形になった。シルヴィアは目を輝かせてそれを見つめた。


「わあ! きれい!」


カイムは妹の笑顔を見ながら、誓った。


この平和を守るために。この笑顔を失わないために。


すべての力を尽くすと。

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転生少年の帝国改革 @stark_

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