7話 ただ顔が違うだけ
事件は初日から起きた。
「この愚図が!さっさと動けよ!」
ゴーディアさんは遠くからあたしに手をブンブン振りながら近づいてきたと思ったら、うちに着くなり、荷車を引いていた牛の獣人に怒鳴った。
彼は作業服を着てせっせと動く獣人を睨んで仁王立ち。
あたしは急に響いた怒鳴り声に挨拶するタイミングを失ってしまった。
「よお、スフレ。待っててくれたのか。今日からよろしくな」
「あ……あっはい」
うわぁ……こういう感じか。やだなぁ。
この前とは様子が違った。
たぶん、こんな風に振る舞おうと決めてきたんだと思う。
驚いて歯切れの悪い返事をしてしまった。
「あの……お母さん、まだ仕事で……もうすぐ帰ってくると思うんですけど」
「ああ、聞いてる。っていうかスフレ。もう敬語じゃなくていいぞ。普段通りで頼む」
「あ、はい」
そう言われても……というよりあたしのタイミングに任せてほしいっていうか……
そんなことを考えていたら、獣人の男性が、ずんぐりと丸い形の藁の塊を抱えてあたしたちの目の前に来ていた。
「あの」
「あぁ?」
ゴーディアさんの獣人に対する返事が、なんとなく胸をざわつかせる。
「これはどこに置きましょう?」
「えっと、すみません。これなんですか?」
「米だよ。土産だ。みんなで食おう」
お米……へえ。こうやって包まれてるんだ。初めて見たな。
あっいけないいけない。ぼーっとしちゃった。
「えっと、家の中にお願いします。壺の横に置いておいてください」
「わかりました」
荷車にはもう一つ似たような藁の塊があった。
あまりにもゴーディアさんの態度がひどいから、少しでもお手伝いしようと思った。
彼が軽々持っていたからあたしにも持てそうと思ったんだけど……
よいしょ……うわっ重たっ!
寝ていたのを起こしただけなのに、あたしのことが嫌いなのかすぐに倒れようとする。
支えられなくて荷台から落としそうになった。
んー! 無理無理無理無理! あぁ、やばい!
チクチクと藁が身体に刺さりながら必死で押さえるあたしの目の前に、茶色い腕が助けに来てくれた。
「おっとっと。大丈夫ですか?」
「すみません……邪魔しちゃって。すっごい重いですね」
「はは。人間の女の子には難しいですよ」
そう言いながら、彼は藁の塊をひょいっと持ち上げて肩に乗せた。
藁の塊はあたしの時とは違って、びっくりするくらい彼に懐いている。
さすが、力持ちだなぁ。
この男性は珍しい獣人だった。
顔立ちも牛で、腕はがっちりとした人の腕だけど足には蹄がある。
レッドみたいに人に近い見た目じゃなくて、ほとんどが牛。
でも、この見た目のせいで、きっと———
「おい!娘と喋ってんじゃねえよ!この”人もどき”が!」
あぁ……やっぱり。
「はい、すいません」
彼はそうやって顔を伏せて、家の中に運んでくれた。
今までタバコを吸っていたゴーディアさんが、わざわざ彼を追い払いに来た。
また、胸がざわつく。
ゴーディアさんは荷台から自分の荷物を取って肩にかけた。
「スフレ、入ってもいいか?」
「……どうぞ」
獣人の彼が藁の塊を運び終わったところで、あたしはゴーディアさんを家に案内した。
「ほぉ……2人暮らしにしては広いんだな。この絨毯はココちゃんの趣味か?」
「わかりません。お父さんがいた頃からあるので」
「あぁ……そっか。」
一瞬の沈黙の後、ゴーディアさんは獣人の彼に「おい」と呼びかけた。
「さっき買ったあれ、よこせ」
「あっはい」
彼から乱暴に奪ったのは紐が繋がった小さな3つの瓶。ゴーディアさんはそれをあたしの前に差し出してきた。
「はい、これ。スフレにお土産。ココちゃんが帰ったらハーブティを飲もう」
「ありがとうございます。これ、なんのハーブですか?」
「あっそれは、フェンネルとジンジャー、それにコリアンダーですね」
あたしの質問には獣人の彼が答えてくれた。
彼が選んでくれたのかもしれない。
そんな彼は、もう仕事が終わったみたいで、玄関のそばで手を揉んで立っている。
あたしは、彼の気まずそうな様子が耐えられなかった。
「あの、あなたのお名前、聞いてもいいですか?」
「僕ですか?ゾイです。ゾイ・ミックホーンと言います」
「じゃあ、ゾイさん。今お茶を淹れるから、一緒にどうですか?」
「え?僕と……ですか?」
"僕とですか?"
ここに、どれほどの文脈が隠れているのだろう。
今までどれほど後ろ指を指されたんだろう。
そう思って、目を丸くして驚く彼の瞳から、あたしは彼の記憶を見た。
————
まだ子どもだった。
同じくらいの歳の子どもたちに、指をさして笑われる。
涙が浮かんできた。こぼれないようにしたいのに、俯く頭の力に逆らえなかった。
そして、誰もその背中を撫でてはくれない。
家に帰っても、お父さんは別の獣人たちに顔を叩かれている。
お父さんから見えないように隠れてその様子を見ていた。
悲しそうな顔をするお父さんに、笑い方を忘れた目を無理矢理歪ませて言った「ただいま」が目を熱くさせる。
「ごめんな」と頭を撫でてくれるお父さんの震える声が、胸に重くのしかかった。
————
「——きみ、大丈夫?」
ゾイさんの記憶に打ちのめされたあたしの顔を、ゾイさんは心配そうに覗いていた。
「あ、ごめんなさい。ぼーっとしちゃって」
「なんで泣いてるの?どうしたの?」
彼が歩んできた道が、あんなに辛かったなんて……
そう思っていたら、突然、ゾイさんは突き飛ばされた。
「おい!娘に何しやがった!このクズ野郎!」
「いえ、僕はなにも……」
咄嗟に、身体中に力が満ちた。
「ちょっと黙っててよ!今あたしとゾイさんが喋ってるでしょ!」
あたしの叫び声に、2人は驚いていた。
あれほど大きな声を出したのに身体の底から手足に送られてくる力が、一向におさまらない。
なんとか力を抑えて、少しずつ吐き出していく。
「ごめんなさい、大きな声出して。でも……あたし大っ嫌いなの。」
ああ、止まらない。止められない。
どんどん言葉が浮かんでくる。
「ねえ、なんでゾイさんをクズだなんて呼ぶの?”人もどき”ってなに?身体が違うだけじゃん。荷物も運んでくれて、ハーブも選んでもらったんでしょ?それなのに、なんでゾイさんが酷いこと言われなきゃいけないの?お願いだから、これ以上ゾイさんを悪く言うのはやめてよ……」
溢れてくる涙が、声すらも震わせた。
こんな時に泣いてしまう自分が情けない。強くありたいのに。
「お嬢さん、僕は大丈夫だから。」
「ゾイさん、ごめんなさい。あの……」
あたしが声を震わせて情けなく泣いている横で「チッ」という舌打ちが聞こえた。
でも、その後すぐ、ゴーディアさんは言ってくれた。
「そうだな……悪かった。」
「いえ、大丈夫です。慣れていますので。では、僕はこれで」
ゴツゴツと蹄を鳴らして家を出ていく彼の背中を、あたしはいつの間にか追いかけていた。
「ゾイさん、本当にごめんなさい。嫌な思いさせて」
「お嬢さん、ありがとう。きみほど優しい人間には会ったことがないよ。でも、僕たちには関わらない方がいい。きみのためだ」
なにも言葉を返せなかった。
関わらないこと———それが彼が心を保ってきた方法なのかもしれないと思ったから。
「ゾイさん、ありがとうございました」
黙って手を上げて答えてくれた彼を見送った。
坂の途中でお母さんとすれ違い、顔を伏せたゾイさんを見て、また胸が苦しくなった。
「あら、スフレ。ゴーディアさんはもう来てるの?」
「うん……おかえり、お母さん」
「おお、ココちゃん。お疲れさん」
いつの間にかゴーディアさんが外に出てきていた。
穏やかな顔をしていた。薄く濁った瞳が見えなくなるほどにこやかに。
「ん?スフレ、どうしたの?泣いてるの?」
「ううん、大丈夫。なんでもないよ」
「スフレ、さっきは悪かったな。あのハーブティ淹れてくれるか?」
「……はい。わかりました」
申し合わせたわけでもないのに、あたしたちはさっきの出来事をお母さんには伝えなかった。
なにより、お母さんのこの眩しい笑顔を、曇らせたくはなかった。
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