6話 消えない憂い
うん、大分雪が減ってきたね。
今日はあったかそうだから、きっと明日には雪も無くなってるかな。
お日様の光が低く、空が青くなる前の朝、あたしはハーブ畑の顔色を見にきていた。
雪を失った一画が風に当たって寒いと言っているように見える。
「ごめんねー」と呟きながら、虫たちが寝床に使う落ち葉を抱えた。
持ち上げた場所がなんだか騒がしい。驚かせちゃった。
落ち葉の陰を「わーっ」と走り回る彼らにもう一度謝っておく。
いただいた落ち葉を、毛布みたいに土にかけ、未だそこにはいないハーブたちに、あたしは語りかけた。
「この間ね、ポルカーさんがきみたちのこと褒めてくれたんだ。それで”今年もよろしく”だって」
声が聞きたいのに風の音だけが耳に届く。
褒められたことを思い出したのに、ふと、不安な気持ちが湧いてきた。
「あたし、きみたちのお世話、ちゃんと出来てるのかな。もうちょっと元気に育ててあげられたらいいんだけど。」
急に、彼らがどう思っているのか聞いてみたくなった。
芽吹く前の彼らに問いかける。
あの日スアルナが、初めてあたしに話しかけてくれた時のように。
「ねえ、あたしスフレっていうの。きみたちのお世話をしてるんだ。あたし、きみたちをもっと元気に育ててあげたいの。もし良かったら、きみたちの声、聞かせてくれないかな?」
………
ま、そうだよね。
物語みたいにはいかない、か。
自分の振る舞いがなんだかおかしくて、クスクスと笑いが込み上げてきた。
夏頃にハーブでいっぱいになった畑を想像しながら、朝の澄んだ空気の中を歩き回っていた。
気づくと、いつの間にか空は青く変わり、鳥たちが飛び回っている。
あ、もうこんな時間。朝ごはん作らないと。
急いで裏口から家に入ると、お母さんがキッチンに立っていた。
「おはよう、スフレ」
「……おはよう、お母さん」
お母さんとあたしは、お互いの目を見ずに挨拶をした。
ここ最近ずっと、朝のこの時間が気まずい。
あれからお母さんとはうまく話せていない。
別に、未だにイライラしているわけじゃない。でも、機嫌よく話をする気にはならなかった。
テーブルにはすでにお皿に乗った朝ごはんが準備されていて、あたしたちを待っていた。
茶色くて粒々が練り込まれた雑穀のパンに目玉焼き、リンゴのジャム。
お母さんが準備してくれたんだ。
「お母さん、朝ごはんありがとね」
「うん、じゃ食べよっか」
「「いただきます」」
気まずい空気が漂う中、あたしたちは黙々と目の前のお皿を空にしていく。
味気のない雑穀のパンがいつも以上に硬く感じた。
食べ終わってからもお母さんの動きを目線の端で追い、動きが被らないように気を遣った。
身支度を済ませて、家を出る直前、扉に向かっていく途中にお母さんの視線を背中に感じた。
何か言われる。
「スフレ」
「ん?なに?」
わかってる。この後に何を言うのかは。
「明日、お昼過ぎにはゴーディアさんが来るから、お願いね」
「……うん、大丈夫。わかってるから。」
「そう……」
「うん。じゃあ、行ってきます」
あたしの紡ぐ言葉の間の長さに、何かを思ったんだろう。
お母さんはすぐには返事をしなかった。
「……行ってらっしゃい。気をつけてね」
扉の閉まる音が、胸に重く響いた。
———
土の匂いを含んだ風が前髪を吹き飛ばす、朝の通学路。
森を抜けて街に入ると、開店準備に忙しい住民たちがあたしを通り越して挨拶を交わす。
つい視線が泳ぐ中で、ペタペタと後ろを歩く音が聞こえる。その足音に、あたしは密かに胸を躍らせた。
誰かはもうわかってる。きっと悪戯してくる。
———トントン
ん、来たね。このパターンか。
右肩……ってことは、ひだり! あれ?
———ふぁさぁ
「わぁっ!」
居ないと思って前を向いた途端、ふさふさの尻尾が顔を撫でてきた。
んー!やられたー!
「へっへー。よぉスフレ」
「もう……フフ。おはよ、レッド」
いつもの軽い挨拶を交わしてから、2人並んで歩き始める。
その時、レッドの顔に目立つ切り傷があるのに気がついた。
「ねえレッド、その顔の傷どうしたの?」
「傷?どれだ?」
「ほら、そのほっぺのとこ」
あたしは自分の頬をつんつんと指で叩き、傷の在処を教えた。
レッドは頬を撫でながら眉を歪ませる。
こんな痛そうな傷のことを忘れる人狼には、毎度驚かされる。
本当に信じられない。本当に。
「そういえば朝森ん中走った時に、枝かなんかに擦った気がするな」
「大丈夫?大分深そうだけど」
「まあ、今治るだろ。それよりスアルナは?今日休みか?」
「スアルナ?んーわかんないな」
レッドはあたしの心配を軽く払いのけてしまった。
傷の治りが早いのはわかるんだけど……赤く汚れているのが気になって仕方ない。
「ねえ、その傷ちゃんと洗った?そのままにしてたら病気になっちゃうよ?」
「あぁ、洗った洗った。大丈夫だって」
「絶対洗ってないじゃん……」
学園に着いたら、水場で拭いてもらわないと。
そんなことを思っていたら、後ろからすごい勢いで何かがぶつかってきた。
「おわっ!」「わっ!」
「はぁ…はぁ…間に合ったぁ」
スアルナだった。
もわっと熱くなった彼女の身体が、あたしたちにもたれかかっていた。
「なんだスアルナかよ。寝坊か?」
「すごい汗。大丈夫?」
「はぁ…はぁ…宿題、机の上に置きっぱでさ。ダッシュで戻ったわ」
「あーなるほどねぇ。よく間に合ったね」
「……宿題?」
「ほんとよ。ふぅ……あたしもう二度とスカート履かないわ」
「フフフ。それ、前も聞いた」
「……」
「レッド?なに黙って」
スアルナの言葉を遮るように、熱を帯びた突風があたしたちのスカートを捲りあげた。
「ちょ、ちょっと!レッド!」
スカートを押さえるあたしたちには見向きもせず、レッドは風を巻き上げながらその姿を変えていった。
赤い毛をオレンジ色に光らせ、チリチリと火の粉のようなものが彼の周りを舞う。
「わぁ…」
艶やかに燃える炎のような毛並みに、つい見惚れてしまった。
だけど、力強い姿とは裏腹に、レッドの顔は焦りでいっぱいだった。
「……やべぇ」
———ドンッ——ダダダダッ
レッドは土煙を上げて飛び出し、風を切り裂きながら、ものすごい速さで視界から消えていった。
レッドがあれだけ青ざめるのもわかる。
朝いちの講義は、バジリスクのリャナウ先生の魔法学。
物腰も柔らかくて時々冗談を言う、女子たちの中では人気の先生。
ただ、あまりおいたが過ぎると、深緑の瞳に睨まれ、金縛りにされる。
レッドはおしゃべりの常習犯だし、宿題を忘れるのも今回で3回目。
詰まるところ———
「あははは! レッド、金縛り確定じゃん!」
……まあ、そういうこと。
そして、レッドが着いたのはリャナウ先生が教壇に手をかけ、話し始めた直後だった。
「はい、皆さんおはようございます。今日は」
———バタバタバタバタ
「よっしゃー!間に合っただろ!どうだお前ら!まだ始まって……」
「あらあら、騒々しいわね。レディアナ・ライオネット君。間に合っただなんて、冗談もほどほどに…ね」
「あ…先生……いや、違うんすまじで。ほら、宿題もちゃんとやってっから」
「それは結構なことですわ。なら、今回は特別ですよ?」
「フッ」と得意げに笑うレッドと目が合った。
でも次の瞬間
「——1分だけね」 「え? えー!!」
レッドの叫び声が響いた直後、生徒たちの笑い声が満ちた。
目をカッと開いて、尻尾までピーンと伸びたまま固まったレッド。
さすがにあたしもおかしくて見てられなかった。
学園にいる間、あたしは親友たちのことだけを考えていられた。
2人があたしのそばで笑ってくれている。
その間だけは、なんの憂いもなく過ごせた。
———ギィ
「ただいまー」
カラスが子どもたちを呼ぶ声の響く夕方、あたしの足音だけが家の中に響く。
たぶん、今日が1人で過ごす最後の夜になる。
明日からのことを考えると、心臓が胸を叩き始める。
心臓を宥めるように、深く息を吐いた。
もう、なるようにしかならないよ。
今更文句を言っても仕方ないんだし。
夕飯食べて、洗い物をやって、早く寝よう。
手を洗ってすぐに夕食の準備を始めた。
野菜を切って、卵黄のもったりソースを塗ったパンに挟んで。
それから木の実とリンゴのジャムをちょこっと。
あっハーブティーも淹れちゃお。
レモンバームとムギ、あと蜂蜜も足して。
お湯の中でハーブが踊る中、丸いテーブルにお皿が4つ並ぶ。
最後の1人での夕食は、いつもよりもお腹いっぱいになるのが早かった。
香りの広がる、柔らかい甘さのハーブティーで温まりながら、布の掛かった手が伸ばされない夕食を見つめる。
そこに座って笑いかけてくれる人を想像した。
きっとなんとかなるよ。
今までのお友達だって、みんな優しかったんだもん。
それに、夜になればお母さんはちゃんと帰ってくる。
お母さんさえいてくれたら、きっと大丈夫。
残ったハーブティをポットに入れて、手紙と一緒に置いておいた。
「お仕事お疲れ様。ゆっくり休んでね。」
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