第28話:敗残者の最後の牙

 私が顔バレしたあの日から、ネットの潮目は完全に変わった。


 正義執行人という男はネットのおもちゃと化していた。彼のチャンネル登録者数は日ごとに千単位で減少している。過去の動画は全て、彼の愚かさを罵るコメントで埋め尽くされている。


 かなでさんの元には弁護士から「相手方のプロバイダから発信者情報の開示を受ける旨の連絡がありました。彼はもう逃げられません」という、勝利を告げる連絡が入っていた。


 ついに終わったんだ。

 長くて辛い戦いだったけれど、ようやく全てが終わった。


 私はリビングのソファで、もちを撫でながら、久しぶりに心の底からの安らぎを感じていた。顔バレしてしまったことによる今後の活動への不安はあったけれど、それ以上に理不尽な悪意から解放された喜びの方が大きかった。


「すずちゃん、見て。あなたのチャンネル登録者数、30万人を超えたわよ」


 かなでさんが嬉しそうにノートパソコンの画面を見せてくれる。

 顔バレ騒動の後、私のチャンネル登録者数は爆発的に増加していた。「天才小学生歌い手」という新しい肩書きがついてしまったことは嘆くべきか喜ぶべきか悩ましいけど、今まで私を知らなかった層にまで、私の存在を届けてくれたのだ。


「すごい……」


「すごいのはすずちゃんよ!」


 顔を見合わせて笑い合った。もう、大丈夫。明日からはまた純粋に歌を楽しむ毎日が戻ってくる。


 そう、信じていた。かなでさんでさえ終わったと思っていた。だけど私はあの男のしつこさを見くびっていたのかも知れない。


 その日の深夜。

 全てを失った正義執行人は最後のあがきとして、一本の動画を上げた。謝罪でも、引退宣言でもなかった。


 彼の最後の最も醜悪な牙だった。


 動画のサムネイルには血走った目でこちらを睨みつける、彼の顔。赤い文字で殴り書きされた扇情的なテキスト。


『俺は騙されていた! 全ての黒幕の正体を暴露する!』


 リビングでくつろいでいた私とかなでさんのスマホに同時に通知が届く。嫌な予感がして動画を開く。そこに映っていたのは憔悴しきった、しかし瞳だけが異常な光を放っている、正義執行人の姿だった。


「俺は……俺は、騙されていたんだ……!」


 彼はカメラに向かって絶叫した。


「俺は……純粋に、ネットの悪を正そうとしていただけだ! だが、俺はある巨大な悪にまんまと利用されていただけだったんだよ!」


 何を言っているんだ、この男は。まるで陰謀論者にでもなったかのように、巨大な悪の存在を強調して語っている。

 私とかなでさんは眉をひそめながら、画面を見つめる。


「小鳥遊すずは、ただの操り人形だ! 彼女を裏で操り全てのデマを計画し、俺を社会的に抹殺しようとした、本当の黒幕がいる!」


 彼は机を叩いた。


「その名は、天城レイ! 天才作曲家なんて呼ばれているが、その正体はなぁッ! 幼い少女の才能に目をつけ、手籠めにして、自分の名声のために利用する卑劣なロリコン野郎だったんだ!」


 その言葉を聞いた瞬間、全身の血が逆流するような感覚に襲われた。

 こいつは、何を。何を、言っているんだ。


「そうだ! 俺が掴んだ枕営業のタレコミは、相手が間違っていただけなんだ! すずを手籠めにし、自分の意のままに操っていたのは天城レイ! あいつこそが全ての元凶だ! 俺はそいつを告発しようとして、逆に罠に嵌められたんだ!」


 あまりにも見苦しい責任転嫁。あまりにも浅はかで、醜悪な、最後の悪あがき。


 自分が小学生相手に性的なデマを流した、という最低最悪の事実から目を逸らし、その全ての罪をまだ顔も知られていない天城レイという存在になすりつけようとしていた。


「皆さん、目を覚ましてください! 本当の敵は俺じゃない! 幼女を食い物にする、天城レイという悪魔だ! 俺は騙された被害者であるすずちゃんを救いたい、それだけなんだッ!」


 動画は彼の絶叫で終わっていた。

 コメント欄は、さすがに「往生際が悪い」「見苦しい」という批判で溢れていたが、中には彼の最後の嘘に騙される者も少数ながら存在した。いや、面白そうな方に乗っかりたいだけかもしれないが。


『もしかしたら本当にそうなのか……?』


『たしかに天城レイって謎が多いしな』


 私は怒りで全身が震えていた。

 私を傷つけるのは、もういい。でも、レイさんを。私の最高の相棒をこんな形で汚すことだけは、絶対に、絶対に許せない。


 私が何かを言う前に、隣にいたかなでさんが冷たい声で、言った。


「……どこまでも醜悪な奴」


 彼女はスマホを手に取ると、どこかへ電話をかけ始めた。


「もしもし、レイさん? ……ええ、見ました。ええ、もちろん。……え? あなたが、自ら? ……分かりました。準備します」


 電話を切ったかなでさんは、私に向き直ると決然とした表情で言った。


「すずちゃん。終わらせに行きましょう。私たち三人で」


 その瞳を見て私は全てを理解した。そうだ。もう、黙っている必要はない。私たちの手で、この馬鹿げた茶番に完璧な終止符を打つのだ。

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