第12話:加工ビッチ
正義執行人の動画が投下されてから一夜。
悪意はネットの暗部でさらに増殖し、より醜悪な形へと変貌を遂げていた。その震源地は、匿名掲示板だった。
『【悲報】歌い手すず、音声加工&男漁り大好きクソビッチだったwww Part.4』
そんなタイトルのスレッドがものすごい勢いで書き込みを増やしていた。私は見てはいけないと分かっていながら、かなでさんの目を盗んで自室でスマホの画面をスクロールしてしまっていた。
『顔も出さねえビッチが調子乗りすぎなんだよ』
『声だけ綺麗でも中身はドブスなんだろw』
『天城レイとかいう奴と枕して曲もらってんじゃねえの?』
『もうこいつのあだ名「加工ビッチ」でよくね?』
『賛成www』
加工ビッチ。
その四文字が私の目に焼き付いて離れなかった。不名誉で、下劣で、あまりにも理不尽なレッテル。それがまるで事実であるかのように、掲示板の住人たちの間で共有されていく。
私の歌は、偽物。私の存在は、欺瞞。
そう言われているのと同じだった。
前世で病気で歌えなくなった時と同じくらいの絶望が、心を支配する。
あの時は物理的に声が出なかった。でも今は、声は出るのにその声を否定されている。どちらが辛いかなんて、比べられるはずもなかった。
歌うことが、怖くなってしまいそうだった。
マイクの前に立つ自分の姿を想像するだけで、吐き気がした。私が歌えば歌うほど、「どうせ加工だろ」という嘲笑が聞こえてくるような気がした。
「すずちゃん、朝ごはんよ」
階下から聞こえるかなでさんの声に、私はベッドから起き上がれなかった。食欲なんて、全くない。
心配したかなでさんが部屋に入ってくる。私の顔を見るなり、彼女は全てを察したようだった。
「……掲示板、見たのね」
「ごめんなさい……」
「謝ることじゃないわ。でも、もう見ちゃダメ。あそこは人の心を腐らせるための掃き溜めよ」
かなでさんは私のベッドサイドに腰掛けると、優しく私の頭を撫でた。
「全部やめてなかったことにしてもいいのよ」
何度も頭をよぎったことだった。こんな思いをしてまで続ける必要があるんだろうか。かなでさんの言葉に縋りたくなって……結局少し考えてからゆるゆると首を振る。
「……そう。わかった。辛いでしょうけど、今は耐えるの。必ず私があいつらを後悔させてあげるから」
彼女の瞳には静かだが燃えるような怒りの炎が宿っていた。
その日の午後、かなでさんは私をリビングに残し、一人で仕事部屋に籠っていた。時折、電話で誰かと話している声が聞こえる。
「……ええ、そうです。名誉毀損および業務妨害で。投稿者の情報開示請求からお願いします。証拠はこちらで全て保全してあります」
法律用語が飛び交う、冷静で事務的な声。彼女は、私の代わりに現実の世界で戦ってくれていた。
でも、私の心は晴れなかった。
法的に勝利したとして、一度貼られた「加工ビッチ」というレッテルは簡単には剥がれないかもしれない。私の歌を聴く人々の心に植え付けられた疑念の種は、そう簡単には消えないだろう。
ふと、防音室の重い扉が目に入った。
あそこは私の聖域だったはずの場所だ。この声を手に入れて、何度も何度も喜びを噛み締めた場所。
それなのに今は、あの扉を開ける勇気が出なかった。
歌いたい。けれど……。歌が私の全てだったのに。その全てを否定された今、私はどうすればいいのか分からなかった。
膝を抱えてソファにうずくまっていると、テーブルの上に置いてあった私のスマホが不意に着信を告げて震えだした。
画面に表示された名前に、心臓が跳ねる。
『天城レイ』
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