第11話:炎上屋、動く
薄暗い部屋に、モニターの光だけが青白く浮かび上がっている。エナジードリンクの空き缶が散乱する机の上で一人の男が下卑た笑みを浮かべながら、動画編集ソフトを操作していた。男の名は「正義執行人」。ネットのゴシップと他人の不幸を飯の種にする、ハイエナのような配信者だ。
「ククク……これで完成だ」
彼が今しがた作り終えた動画のタイトルは、悪意そのものを凝縮したような文字列だった。
『【悲報】清純派歌い手・すず、音声加工しまくって信者を騙していた!?』
動画の内容は巧妙かつ悪質だった。
冒頭で私の『黎明のカナリア』が流れる。そして、大げさな効果音と共に映像が一時停止し、正義執行人が画面に現れる。
「今、話題の歌い手、すず! この天使の歌声たしかに素晴らしいよな? ……だが、もしこれが全部作られたニセモノだとしたら、お前らどうする?」
扇動的な語り口で彼は視聴者の不安を煽る。どこから持ってきたのか、音声の波形データを表示し、さも専門家であるかのように解説を始めた。
「これは俺が懇意にしている音のプロに分析してもらった結果なんだが……見てくれ、この波形。明らかに不自然なピークがいくつも見られる。これは、ピッチ補正ソフトで強引に音程を修正した後によく見られる特徴でな。つまり、彼女の完璧な音程は、機材によって作られたものだということだ」
もちろん「音のプロ」など存在しない。波形の画像もフリー素材を適当に加工したものだ。しかし、それっぽく専門用語を並べ立てれば、多くの人間は信じてしまう。彼は、大衆の無知と扇動されやすさを知り尽くしていた。
動画の後半では、さらに畳み掛ける。
「顔も出さず、年齢も隠す。なぜか? 下手な歌を加工で誤魔化しているから、ボロが出るのが怖いからに決まってるだろ! 俺はな、こういう本物を装ってファンを騙す奴が一番許せねえんだよ!」
彼は自らを「悪を裁く正義の味方」として演出し、視聴者の劣等感や嫉妬心を巧みに刺激した。
その動画は投稿されるや否や、彼の熱心な信者である「正義執行隊」によって、SNSやまとめサイトへ一斉に拡散された。
『【炎上】歌い手すず、加工厨だった』
そんな見出しがネットの海を駆け巡る。
その頃、私はかなでさんと一緒にリビングで次の配信で歌う曲について話し合っていた。チャンネル登録者数は15万人を超え、全てが順調に進んでいると、信じて疑っていなかった。
異変に最初に気づいたのはかなでさんだった。彼女のスマホがひっきりなしに通知を鳴らし始めたのだ。
「……何かしら、これ」
訝しげに画面をタップした彼女の表情が、みるみるうちに険しくなっていく。
「すずちゃん、ちょっとこれを見て」
彼女から手渡されたスマホの画面には、例の動画のサムネイルが表示されていた。タイトルを見ただけで、心臓が氷水に浸されたように冷たくなった。
「……音声、加工?」
私が呟くと、かなでさんは私のチャンネルのコメント欄を開いて見せてくれた。そこは、地獄だった。
今まで温かい応援コメントで溢れていた場所が、疑念と罵詈雑言で埋め尽くされていたのだ。
『加工だったのか……ショック』
『どうりで上手すぎると思ったんだよな』
『信じてたのに。最低だ』
『裏切り者!』
星宮ミオさんが「本物だ」と保証してくれたことで生まれた追い風は、正義執行人が放った、たった一本の悪意に満ちた動画によって、一瞬で逆風へと変わってしまった。
前から応援してくれていたのファンは「そんなはずない!」と反論してくれているが、その声は巨大な濁流にかき消されそうになっていた。
「ひどい……」
全身の血の気が引いていく。私はただ歌っているだけなのに。心を込めて、歌っているだけなのに。どうして、こんな仕打ちを受けなければならないのか。
画面の中で、正義執行人が歪んだ笑顔で私を指差している。その指が私の胸に突き刺さるようだった。
これが、本格的な炎上の始まり。
悪意に満ちた巨大な嵐の、最初の一吹きだった。
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