第6話:黎明のカナリア
天城レイとのコラボレーションは、驚くほどスピーディーに進んだ。
DMで快諾の返事をしてから、わずか三日後。彼から「デモ音源ができました」という連絡と共に一つの音楽ファイルが送られてきた。
ファイル名は『黎明のカナリア』。
ヘッドホンをつけ、再生ボタンを押す。
静かなピアノのアルペジオから始まるイントロ。そこに、徐々にストリングスが重なっていく。どこか物悲しく、それでいて、夜明け前の静けさのような、神聖な空気をまとったメロディ。
そして、仮歌だろうか、シンセサイザーの音で奏でられる主旋律が流れ始めた瞬間、私は息を呑んだ。
―――すごい。
このメロディは、私のために作られたものだ。直感的にそう理解した。
高音域への跳躍、繊細なブレスが必要なフレーズ、ロングトーンで感情を爆発させるサビ。その全てが、この小鳥遊すずという楽器の性能を、限界まで引き出すために設計されている。
同時に送られてきた歌詞を、目で追う。
『閉ざされた籠の中 震える翼』
『夜の闇に 声も奪われて』
『それでも信じてる 光射す朝を』
『さあ 歌え 黎明のカナリヤ』
それは、暗闇の中で希望を失わず、自らの声で世界に夜明けを告げようとするカナリアの歌だった。
まるで、私の物語そのものじゃないか。
声を失った前世の絶望。そして、新しい声を手に入れた今。この歌は、私の魂の歌だ。
天城レイは、私の経歴など何も知らないはず。それなのに、どうしてここまで私の心とシンクロする曲が作れるんだ。
これが……天才というものなのか。
「……絶対に最高の歌にするっ!」
私はヘッドホンを外し、固く拳を握りしめた。彼の期待に。いや、彼の期待を遥かに超える歌で応えなければ、嘘だ。
そこからの数日間、私は『黎明のカナリア』に全ての時間を捧げた。
防音室に籠もり、何度も何度もデモ音源を聴き返し、歌詞を読み込み、自分の中に曲の世界を構築していく。
ただ上手く歌うだけではダメだ。この曲には、私の全てを込めなければならない。
前世で培った、腹式呼吸、ミックスボイス、ビブラートのコントロールといったテクニック。それらは、おっさんだった頃の私の血の滲むような努力の結晶だ。
そして、今世で手に入れた奇跡のように澄み渡る声と、どこまでも伸びる声量。
その二つが防音室の中で、今一つになろうとしていた。
「……録ります」
隣のコントロールルームにいるかなでさんに、マイクを通して告げる。ガラスの向こうで、彼女が真剣な表情で頷いたのが見えた。
ヘッドホンからイントロが流れ出す。
目を閉じ、深く息を吸い込む。
そして、最初のフレーズをそっと紡ぎ出した。
レコーディングは深夜まで続いた。
何度も歌い直し、細かなニュアンスにこだわり抜いた。Aメロの儚さ、Bメロの焦燥感、そしてサビで爆発する希望の光。その全てを声だけで表現する。
最後のロングトーンを歌い終えた時、私は全身の力が抜けて、その場にへたり込みそうになった。汗が頬を伝う。
ガラスの向こうでかなでさんが両手でガッツポーズを作っているのが見えた。
「……できた」
最高のテイクが録れた。
完成した音源を天城レイに送る。緊張しながら、彼の返信を待つ。
数分後、短い通知音が鳴った。
『聴いた』
その一言から始まり、数秒の間を置いて、次のメッセージが届いた。いつの間にか敬語は崩れている。憧れの人物に認められたような気がして、頬が緩んでしまう。
『完璧だ。いや、完璧を超えている。俺が頭の中で鳴らしていた以上の音楽がここにある。ありがとう、すず。君は本物の天才だ』
その言葉に、胸が熱くなった。
彼に認められた。最高の相棒に、出会えた。
動画は天城レイ側が用意してくれた、歌詞が流れるだけのシンプルなリリックビデオだった。それが逆に、純粋に歌声だけで勝負するという覚悟を感じさせた。
投稿の準備が整い、私はかなでさんと一緒にパソコンの画面を見つめていた。
「準備はいい?」
かなでさんの問いに、私はこくりと頷く。
そして、彼女がエンターキーを押した。
『すず - 黎明のカナリア【Original】』
というタイトルの動画が、インターネットという広大な海に静かに放たれた。
それは、瞬く間に世界を駆け巡る、一羽のカナリアの最初のさえずりだった。
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