炎上マーケター、異世界温泉街を立て直す

@pochiminta

プロローグ:終わりの始まり

「おいおい、コメント欄荒れすぎだろ。最高かよ」


六本木の会員制キャバクラ『エクリプス』。薄暗い店内に、シャンパングラスの触れ合う乾いた音が響く。紫煙と香水の混じり合った甘ったるい匂いが、俺の鼻腔をくすぐっていた。 ダークブラウンの革張りソファに深く腰掛け、俺は目の前のスマートフォンを見つめている。画面には、俺自身の顔が映し出されている。配信中だ。


視聴者数は三万人を超え、コメント欄は滝のように流れていた。大半は罵詈雑言だ。 『死ね』『詐欺師』『消えろ』『こいつのせいで会社潰れた』『人間のクズ』。 そんな言葉の羅列が、俺にとっては金脈に見える。コメント数が多いほど、エンゲージメント率が上がる。エンゲージメントが上がれば、アルゴリズムが味方する。アルゴリズムが味方すれば、リーチが伸びる。リーチが伸びれば、金が入る。


(貧乏人は吠えることしかできない。俺は、その吠え声を金に変える錬金術師だ)


俺の名前は菅生ヒカリ。三十二歳。 世間からは「炎上マーケター」「詐欺師の広告屋」「倫理観ゼロの成金」と呼ばれている。 だが、実際の俺の肩書きは「マーケティングコンサルタント」だ。年商は三億を超える。顧問契約を結んでいる企業は二十社。講演料は一回百万円。


成功者。勝ち組。そう呼ばれることもある。 だが、そんな華やかな肩書きの裏には、誰にも言えない過去がある。


俺が生まれたのは、千葉県の片田舎だった。 母子家庭。父親の顔は知らない。物心ついた頃には、母さんと二人きりだった。




母さんは朝から晩までパートを掛け持ちしていた。コンビニの早朝シフト、昼はスーパーのレジ打ち、夜は居酒屋の皿洗い。 それでも、生活は常にギリギリだった。




小学三年生の時のことだ。 給食費の集金袋を持って帰った日、母さんは財布を何度も確認した後、小さく溜息をついた。 「ヒカリ、ごめんね。今月も少し待ってもらえるかな……」




翌日、担任の先生に呼び出された。 「菅生くん、お母さんに給食費のこと、ちゃんと伝えてる?」 クラスメートたちの視線が痛かった。ヒソヒソと囁く声が聞こえた。 「あいつんち、貧乏なんだって」 「給食費も払えないとか、マジ?」




その日から、俺は「貧乏な菅生」になった。 友達は少しずつ離れていった。誕生日会に呼ばれることもなくなった。修学旅行の積立金が払えず、一人だけ参加できなかった時は、クラス全員に知られた。




(なんで俺だけ? なんで俺の家だけこんなに貧乏なんだ?)




中学生になっても、状況は変わらなかった。 むしろ、悪化した。母さんは過労で倒れ、入院した。医療費がかさみ、借金が膨らんだ。




その頃の俺の夕食は、もやしと卵だけの炒め物か、半額シールの貼られた弁当だった。 友達が新しいゲーム機やスマホの話をしていても、俺は黙って聞くだけだった。持っていないから。買えないから。




ある雨の日、傘を持っていなかった俺は、ずぶ濡れで帰宅した。 玄関で靴を脱ぐと、穴が開いていた。何ヶ月も前から開いていたが、新しい靴を買う金はなかった。




その日の夜、俺は湿気た安いせんべいを齧りながら、誓ったのだ。 「大人になったら、誰よりも金を稼いでやる。二度と、こんな惨めな思いはしたくない」



高校は奨学金で入った。バイトを三つ掛け持ちし、母さんを支えた。 勉強する時間はほとんどなかったが、一つだけ得意なことがあった。 「人を動かすこと」だ。




バイト先のコンビニで、俺は商品のディスプレイを少し変えただけで売上を二割増やした。 「この商品、ここに置いたら目立ちますよ」 「このPOP、こう書いたら手に取りやすくなります」 店長は驚き、俺を褒めた。初めて、誰かに認められた気がした。




大学には行けなかった。金がなかったから。 代わりに、小さな広告代理店に就職した。給料は安かったが、俺はそこでマーケティングの基礎を学んだ。 顧客心理、購買行動、ブランディング、広告戦略。すべてが新鮮で、すべてが武器になった。




そして二十五歳の時、俺は独立した。 最初は小さな案件ばかりだった。地元の飲食店のチラシ作成。個人商店のSNS運用。 だが、俺は結果を出し続けた。売上が倍になった、客足が増えた、そんな声が次第に広がっていった。




転機が訪れたのは、二十八歳の時だった。 ある化粧品会社が、売れない商品の販売促進を俺に依頼してきた。 「この商品、正直売れないんです。でも在庫が山積みで……何とかなりませんか?」




俺は商品を分析した。成分は悪くない。パッケージも普通。だが、特徴がない。埋もれている。 そこで俺は、ある戦略を考えた。 「炎上させましょう」




わざと過激な広告を打った。誇大表現ギリギリのキャッチコピー。SNSで賛否両論を巻き起こすインフルエンサーの起用。 案の定、炎上した。批判が殺到した。だが、同時に注目も集まった。 「こんなひどい広告がある」と拡散されればされるほど、商品名が知れ渡った。




そして、炎上の最中に、俺は「謝罪」ではなく「真実」を公表した。 成分の詳細データ。第三者機関の検証結果。実際の使用者のビフォーアフター。 すべて本物だった。商品自体は優秀だったのだ。




炎上は「誤解」へと変わり、やがて「再評価」へと転じた。 商品は爆発的に売れた。在庫は一週間で完売した。




クライアントは大喜びだった。俺の報酬は跳ね上がった。 そして、俺は確信した。 「炎上は、武器になる」



それから、俺は「炎上マーケティング」の専門家として名を馳せた。 依頼は次々と舞い込んだ。どれも「正攻法では売れない商品」ばかりだった。




最初のうちは、まだ良心が痛んだ。 「これ、本当にいい商品なのか?」 「この広告、嘘じゃないのか?」




だが、通帳の数字が増えるたびに、その声は小さくなっていった。 母さんに新しい家を買ってやった。借金も全部返した。母さんは泣いて喜んでくれた。 「ヒカリ、あんた、本当に偉くなったねえ……」




その笑顔を見るたびに、俺は自分を正当化した。 「金を稼ぐことは悪じゃない。貧乏よりマシだ」




だが、次第に依頼の内容は過激になっていった。 明らかに効果のない健康食品。誇大広告の美容器具。詐欺まがいの投資商材。 それでも俺は引き受けた。報酬が良かったから。




批判は日に日に大きくなった。 「ヒカリは詐欺師だ」 「あいつのせいで騙された」 「人の不幸で金儲けするクズ」




そんな声を、俺は無視した。いや、むしろ利用した。 批判されればされるほど、知名度が上がった。炎上が炎上を呼び、俺の名前は業界に轟いた。




そして今夜。 この配信も、その延長線上にある。 友人の経営者たちと、キャバクラで飲みながら、わざと過激な発言を繰り返す。視聴者を煽る。炎上させる。 それが俺の「芸風」になっていた。




(もう戻れない。この道を進むしかないんだ)


そして今、俺の目の前には、透明な液体が入ったグラスがある。 スピリタス。アルコール度数九十六度。ほぼ純粋なエタノール。




「ヒカリさん、スピリタス入りましたー!」




キャバ嬢の一人が、銀色のトレイにグラスを載せて持ってくる。 その隣には、今夜の「共演者」たちが座っている。 IT企業の社長、不動産投資家、アパレルブランドのオーナー。みんな俺の「仲間」だ。いや、正確には「利用し合う関係」だ。




「おっ、景気いいねえ! これ飲んだらスパチャいくら飛ぶ?」




「一気飲みしたら百万いくんじゃないですか?」




「よし、じゃあやるか。お前ら、スパチャ飛ばせよ!」




俺は画面に向かって叫ぶ。 コメント欄が加速する。 『やめとけバカ』『死ぬぞマジで』『通報した』『でも見たいw』




だが、同時にスーパーチャット(投げ銭)の通知が次々と鳴る。 千円、五千円、一万円。金額が次々と積み上がっていく。 画面の右上に表示される合計金額が、リアルタイムで増えていく。




(ほら見ろ。結局、人間は刺激を求めてる。倫理なんてクソくらえだ)




店内の嬌声と、コメント欄の煽りが俺を急き立てる。 九十六度のウォッカ、スピリタス。その透明な液体は、まるで水のように見えた。だが、グラスに鼻を近づけると、揮発したアルコールが鼻腔を刺し、喉の奥が焼けるような警告を発する。 これを飲んだら、確実にヤバい。それくらいは分かっている。




だが、引けない。 ここで引いたら、「口だけ」「ビビった」と言われる。炎上マーケターとしてのブランドに傷がつく。 それに、スパチャが飛んでいる。金が動いている。今、やめるわけにはいかない。




「いっき! いっき! いっき!」




友人の経営者たち、そしてキャバ嬢たちのコール。画面の向こうの数万人の視線。 俺はニヤリと笑い、グラスを手に取った。 「じゃあ、行くぞ。死んでも知らんぞ、お前ら」




グラスを唇に当てる。 一瞬、迷った。 本当にこれでいいのか? 俺は何のために、こんなことをしているんだ?




(……金のため、だろ。金があれば、何でもできる。)




俺は迷いを振り切り、グラスを一気に煽った。




――瞬間。




食道が爆発したかのような熱波が走る。 喉が焼け、胃が悲鳴を上げる。視界が明滅し、平衡感覚が消し飛ぶ。 身体中の血管が膨張し、心臓が狂ったように脈打つ。




「ぐっ……ぶ……っ」




咳き込もうとしたが、声が出ない。 視界の端で、誰かが笑っているのが見えた。いや、笑ってるんじゃない。悲鳴を上げている? コメント欄には『草』『本当に飲みやがった』『バカすぎ』『やばくね?』『救急車呼べ』という文字が踊っている。




(ああ、そうだ。俺はピエロだ。金のために魂を売ったピエロだ)




心臓が早鐘を打つ。いや、早すぎる。ドクン、ドクン、ドクドクドクという音が、耳元で雷鳴のように響く。 指先が痺れ、スマホが手から滑り落ちた。 ガシャン、という鈍い音。床に落ちたスマホの画面には、まだ俺の顔が映っているのだろうか。歪んで、泡を吹いて、無様に死んでいく俺の顔が。




誰かが叫んでいる。 「やばい、本当にやばい! 救急車! 救急車呼んで!」




だが、俺の意識はもう遠い。 視界が暗くなる。音が遠ざかる。身体の感覚が消えていく。




(死ぬのか……俺、ここで死ぬのか……)




走馬灯が巡る。 幼い頃の自分。湿気たせんべいを齧る自分。穴の開いた靴で雨の中を歩く自分。 母さんの泣き顔。母さんの笑顔。 初めて大金を稼いだ日の興奮。初めて炎上させた時の高揚感。 そして、批判され、罵倒され、それでも金を追い続けた日々。




(母さん……ごめん……)




最後に浮かんだのは、苦労ばかりかけた母の、疲れた笑顔だった。 金は稼いだ。仕送りもした。家も建ててあげた。 でも、俺は母さんに一度でも、心からの安心をさせてやれただろうか。




母さんはいつも言っていた。 「ヒカリ、お金も大事だけど、それだけじゃないんだよ。人に優しくしなさい。誠実に生きなさい」




でも、俺は聞かなかった。 誠実に生きても、貧乏なままだ。優しくしても、金は入ってこない。 だから俺は、人を利用して、炎上させて、金を稼ぎ続けた。




(……間違ってたのかな)




意識が暗転する。 熱狂も、罵倒も、現金の匂いも、母さんの声も、すべてが遠ざかっていく。




俺の人生は、炎上と共に燃え尽きた。

――そして、すべてが終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る