第8話
冷えた家に入ると、電気がついたままだった。まさか、と思ったが、靴はない。どうやら消し忘れたらしい。そういえば今朝はいつもより遅く起きていたな……と、養母である奈江子さんの様子を思い出して納得する。
七歳のとき以来、私を育ててくれている奈江子さん。彼女は私の叔母で、大手出版社の編集長をしているキャリアウーマンだ。
リビングに入ると、机に2000円札が置かれていた。
“これでご飯食べておいて”。そんなメモが隣に貼ってある。
忙しい彼女は金はあるけど家事をする余裕はない。だからこうやってお金だけ置いていく。顔を合わせるのは朝のちょっとの時間だけだ。それも、彼女が会社に泊まり込んでいるときは会えない。週に2時間も会っているかも怪しい。
とりあえず溜まりきった洗濯機を回し、洗濯物を取り込んでいく。色気の欠片もないブラジャーをつまんで、これでは私に父親ができる日は来なさそうだな、と思った。女二人の生活も悪くはないけれど。
洗濯物を畳み終わったら、洗い物を片付ける。これだけでもそれなりに重労働だ。
洗濯が終わったので干していく。均等に隙間を空けて、乾きやすいように。奈江子さんはこういう気配りができない人なので、私は彼女に洗濯を頼まない。一度頼んだらひどいことになった。
それも終わったら、今度は掃除だ。それから服のアイロンがけとボタンつけ。昨日奈江子さんがボタンが外れたと言って嘆いていたものだ。これはすぐ終わる。
そうして一息ついた頃には、もう8時を回っていた。帰ったのが5時頃だったことを考えると、本当に家事をするのは時間がかかると思う。正直これを週二ペースでやるのはしんどいが、やらなければQOLが下がっていくだけなので我慢する。
夜ご飯は昨日の残りのカレーとヨーグルト、トマトとレタスとモッツァレラチーズとひよこ豆のサラダ。さらに丸ごとタマネギスープも追加。ひとりぼっちのリビングルームで、暖房をかけながらテレビを見る。それなりに楽しいリラックスタイムだ。
ニュースをぼんやり眺める。ご飯を咀嚼する。じんわり暖まっていく体。
報告書しなきゃ、と思い出したのは、ご飯を食べきって微睡んでいたときのことだった。
ぐーっと伸びをし、鞄を漁る。クリアファイルに入った報告書の数を見て再度げんなりしたが、最後の仕事だと無理やり気を取り直した。
「えーっと、状況報告書が二枚と、反省書、危険度B+以上対策報告書が三枚、あと個体別報告書が二枚か……」
普段は状況報告書、反省書がそれぞれ一枚ずつなので、えらい差だ。状況報告書は危険度B以上の任務があったときに書く。反省書は今日の任務の反省。ただし危険度B+以上になると対策報告書になり、そうすると書く量が倍になる。個体別報告書は特殊な敵が現れたときに書くものだ。
対策報告書だと、反省に加えて、今後の課題や見通し、対策法の洗い出しまでやらなければならない。とても面倒である。
状況報告書を広げ、シャーペンを取り出す。日付、概要、時系列、補足、図解。記憶とレグラムの記録を頼りに書き進める。
毎回先に討伐した個体って書くの面倒だし、先に討伐した方をX、もう一体をYってことにして書こう。えーっと、前提ってどこに書くんだっけ……あ、ここか。
それから具体的な討伐手順。これは補足枠だな。
「はじめにYの能力共有によって感覚が共有された聴覚より大まかな位置を把握。その後、当隊員の能力強化より広範囲での生物反応の把握を行ったことにより正確な位置を特定。この際、半径200m以内の生物全ての位置を特定し、Yの付近にいた複数の生物を転移させたことにより、反撃の余地を可能な限り封じた」
まあこんなところかな。図解は面倒だし適当で良いや。簡単な位置関係とかだけ書こう。私絵下手だし。
そこまで終わって、ようやく状況報告書が完成した。報告書はまだ沢山ある。あぁ……面倒だな。まあ頑張ろう。
もう一枚の状況報告書はほぼ書き殴って10分で書き終えた。こちらは危険度B-討伐任務の報告書だ。危険度B-程度ならしょっちゅう書いているのですぐ終わる。もはや流れ作業。
それから個体別報告書は時間がかかるので後回し。反省書は書く量がほとんどないので一枚5分で終わった。危険度B+以上対策報告書はちょっと難しい。たまにしか書かないのでフォーマットから考える必要があるのだ。
「危険度B+の中でも厄介な個体が現れた際、最も重要なのは素早い避難であると改めて感じた。……違うな。これは反省書に書くやつだ」
だいたい対策ってなんだ。そんなの上が考えてくれよ。管理司令部の役割の一つでしょ多分。あー、眠い……。
私はごろーんとカーペットに横になった。そのまま目を閉じる。頭が重い。
「残りは明日やろ……」
そう呟きながら、私は意識を手放した。
****
『緊急招集、緊急招集。至急所属する署へ集まってください』
「ん~……うるさいなあ……え?」
私はハッとして起き上がった。腕でレグラムが激しく震えていた。
『緊急招集、緊急招集。しきゅ』
ガチャリ、と音声が切り替わった。
『ただいま隊員全員の安否確認中。現在安否が分かっていない隊員にのみこの連絡をしています。通知を受け取り次第本部へ連絡願います』
「あっ、松崎さんだ」
ということはかなり良くない状況だってことだ。私はレグラムから連絡ボタンを押した。
プルルル、という呼出音が暫く響いた後。
『はい、こちらEES本部です』
「緑階級の三浦です。安否確認中とのことだったので連絡しました。こちらは無事です。今から署に向かいます」
『三浦隊員ですね、ありがとうございます。できるだけ速い移動をお願いします』
「はい」
プツリ、と電話が切れて、履歴だけが残った。私は急いで周囲を見回し、必要なものだけを持って家を飛び出す。
辺りは暗かった。まだ真夜中らしい。そういえば時間見てなかったな。レグラムをつけると、そこには2時56分と表示されている。
これではまだ4時間しか眠れていないじゃないか。私は仕方なく走って一番近い署に行くことにした。
昨日力を使いすぎてしまったので、今日は力を使えても精々1、2回程度だ。私はため息をついた。
どうしようか。全員招集なんて二、三年に1回くらいしかないレアイベントだ。絶対になにか厄介なことが起きている。それなのに力を使えない、しかも体力も回復していないとなれば、流石にタイミングが悪すぎる。
カラスが遠くでガアガアと鳴いている。こんな夜中になにがあるというのか。
「大したことじゃありませんようにっ」
神に祈っても返事はない。時折思い出したように車が通る程度の不明瞭な夜道を走っていると、遠くから救急車の不協和音が聞こえてきた。街灯も不安定に揺れるだけだ。嫌な予感がする。
そのときだった。
「……けて! 助けて誰か!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます