第5話 目的
景綱に襲われかけた夜が明けた。
薄闇の中、まいは今日も座敷牢の隅で膝を抱えていた。
目を閉じても、暗闇の中で伸びてきた景綱の手の感触が蘇る。呼吸が浅くなり、胸がずきずき痛む。
助けも呼べず、逃げる道もない。
私は……どうなるんだろう。
__どのような、惨い死に方をするのだろう。
遠くで鳥が鳴いていた。
なのに、ここだけはまるで音のない世界だ。
あれから、2人の会話は極力思い出さないようにした。言葉の端々を繋げてしまえば、再び恐ろしい結末しか予想ができないからだ。
かわりに、楽しかったことを思い出そうとした。
でも、父や弥助の顔を思い出した瞬間、胸がちぎれそうに痛む。
(二人は今、どうしているんだろう。)
考えないようにしていた不安が、とめどなく溢れる。
あの後、弥助は目を覚ましただろうか。山の異形に襲われなかっただろうか。父は、私が城に攫われたことを知っているだろうか。
2人とも自分がいなくなったことで、どれほど心配しているか。……でも、村では、もう“贄として差し出した娘”と噂されているかもしれない。仮にもし戻れたとしても、2人を危険に晒すのは明白だった。
どこにも戻れない。
誰も呼べない。
どこにも未来がない。
__そうして、再び長い時が経った。
冷える座敷牢の中、まいは部屋の奥、畳の上に横になり、明かりさせ射さない小窓を見上げていた。目は虚ろで、小さな四角から外を見ているはずなのに、何も映していない。もともと細い手足は痩せ、肌も青白さも通り越し灰色にくすむ。ただ静かに、乾いた唇から浅い呼吸が繰り返していた。
あの日から、高成は姿を見せない。
景綱は引き下がりはしたものの、完全に気配が消え去ったわけではなかった。昼間の座敷牢はまだ息ができたが、夜になると、例のゆっくりと板を踏みしめながら歩く足音がするのだ。暗闇で姿はわからないものの、蛇のような冷たい視線が向けられているのを嫌というほどに感じ、その度にまいは身を縮こまらせた。
そして、日に2回、高成が持ってきていた食事は、ここ数回は初老の女中が持ってきていた。女中は命令でまいと関わることを禁じられているのか、一言も発さないし目線をこちらに向けることもない。
とうとう高成にも見捨てられた。
光が奪われた狭い座敷牢の暗がりの中で、
まいという存在そのものが消えていくような気がした。
その闇の向こうから――
ギシ、ギシ……と、ぞっとするほど静かな足音。
揺れる炎とともに、男の影が見えた。
目を瞑り呼吸を殺して聞き耳を立てていても、
いつの間にか真横にいるような感覚に襲われる。
座敷牢の格子が、かすかに鳴った。
「まだ怯えている。……可愛いことだ。」
立っているのか、座っているのかすらわからない距離感。
ただ声だけが耳のすぐそばで囁いてくる。
景綱の声は、低く、乾ききった笑みを含んでいた。
まいは畳に横たえ膝を抱えたまま、肩を震わせる。
冷たい畳がじっとりと汗に濡れていく。
(……来ないで。ほんとうに……来ないで……)
心の中で叫んでも、喉はひゅうと細く鳴るだけ。
まともな声すら出ない。
「高成が目を光らせているからな……今は手を出さん。」
ならば、何をしに来ているのだ。ただ死にゆくのを待つだけの女を、いや、家畜を、無駄に恐怖させることを楽しんでいるのか。
まいの返答など望んでいないのか、景綱は一人牢の前を歩きながら、考え込むかのように話し続ける。
「いずれは、
選び抜いた男をあてがい、
子を産ませ、
その血を絶やさず捧げ続ける」
淡々とした口調。
まるで、年貢の話でもするように。
まいが2人の会話から予測した内容と、変わりはなかった。
「制度としては、理に適っている。」
そこで景綱は、ふと立ち止まる。
「――だが」
ゆっくりと振り返り、まいを見る。
「私はな、あれが“それだけ”で動いているとは思っていない。
贄が壊れれば、代は続かない。それなら、多少守るのは当然だ」
突然の先の見えない話にまいは戸惑う。こんな話を自分にする目的がわからない。景綱は少し間を開けて、再び語り続ける。
「だが――
害せないとなると、話は別だ」
まいは思わず、顔を上げそうになるのを必死で堪えた。
「命より惜しむものがある男ではない。
……少なくとも、私はそう見てきた」
景綱はゆっくりと、牢に距離を詰める。
「だから疑っている」
声が、低く沈む。
「裏切りか。
あるいは、
南雲を出し抜くための“別の狙い”か」
まいの前に立ち、見下ろす。
「お前は、知っているか?」
問いかけの形をした、圧。
「高成が、
なぜそこまでお前を守るのか」
守る⎯⎯⎯?
あの男が、自分を守っている?
まいには景綱の言葉が理解しえなかった。自分をこんなところに押し込めたのは高成だ。
「答えろ」
これは返答しだいで牢の鍵を開け、景綱はまいに手を掛けるのだろう。
まいはしばらく沈黙したあと、乾き掠れた声で答えた。
「……いいえ。存じ上げません」
嘘ではなかった。
景綱はその答えを聞いて、
ほんの一瞬だけ口角を上げる。
「そうか」
そして、穏やかに言う。
「ならば、いい」
背を向け、廊下へ向かいながら、最後に一言を残す。
「高成が目を離した時――
その時に、答えは分かる」
足音が遠ざかり、再び部屋が暗闇に落ちる。
残されたまいは、
胸の奥に残る重い気配を、静かに抱え込んだ。
(……生田様)
その名を、声に出さずに呼ぶ。
知らぬうちに、
自分が“理由”になっていることなど、
この時のまいは、まだ知らなかった。
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