魔王様、コーヒーのおかわりはいかがですか?

まめいえ

第1話 ようこそ、カフェ「ドリップドロップ」へ!

 小さな街の外れに、小さなカフェがありました。

 カウンターテーブルに椅子が五脚の小さなカフェです。


 名前は「ドリップドロップ」。常連のお客様からは「ドリドロ」の愛称で親しまれています。

 といっても、小さな街ですから、一日にやって来るお客様は数人ほど。


 経営的にはなかなか厳しいのですが、店主のコフィは毎日お店を開けて、お客様に癒しの時間を提供しています。



 今日はあいにくの大雨。おまけに風も強くなってきました。



 客足も遠のきます。いつもならこの時間にいらっしゃる常連さんも、今日はおそらく来ないでしょう。


「今日は嵐だなぁ」


 コフィはカウンターの向こうから、外の様子を眺めていました。

 空は真っ黒い雲に覆われ、雨はますます激しくなります。


 窓ガラスに打ちつける音、屋根を叩く音、地面に落ちて跳ね返る音。さまざまな雨の音がカフェ「ドリップドロップ」のBGMになっていました。


 ただ、雨の日はちょっとだけ寂しさも感じます。


 こういうときこそ、コーヒーの香りに癒されるのが一番です。

 ちょうど、コーヒーを淹れるために沸かしていたお湯が、コポコポと音を立てました。


「せっかくだし、濃いのを飲もうかな」


 コフィは戸棚にある瓶から、深めに焙煎してあるコーヒー豆を取り出し、茶色に輝く銅の計量カップで、豆をすりきり三杯。


 コーヒーミルに流し込みます。

 ゴリゴリゴリ。


 ミルのハンドルをゆっくりと、同じリズムで回すと、豆が細かく粉砕されていく感触が手に伝わります。

 同時に、豊かな香りが、部屋全体にふわりと広がっていきます。


 コフィが大好きな時間のひとつです。


 挽き終えた粉をドリッパーに移し、お湯を注ぎます。

 しばらくすると……ほら、いい香りがただよってきました。


 深煎りの、真っ黒な珈琲の出来上がりです。光を受けて茶色に輝くところもたまりません。

 お気に入りの真っ白なカップに注いで、出来上がりです。


「はぁ、いい香り……」


 コフィはまず、香りを楽しみます。次に少しだけ口に含んで味わいます。いつもよりも苦い珈琲の味が、雨の憂鬱さを忘れさせてくれるようです。



 ガチャ。

 カラカラカラーン。



 お店の入り口の扉が開き、ドアベルも軽快に鳴りました。

 こんな大雨の中、お客様がいらっしゃったようです。


 一体誰でしょう。


 常連さん……ではなさそうです。扉の隙間から見える影がいつもよりも大きいのです。

 大柄なシルエット……旅行客か何かでしょうか。

 大雨に降られて、雨宿りできる場所を探していたのかもしれません。


「いらっしゃ……?」


 コフィはあいさつを言いかけて、ぴたりと固まりました。


 目も口も大きく開いたまま、コーヒーカップを持つ手に、ぎゅっと力が入ります。


 無理もありません。

 扉を開けて入ってきたのは……。



 全身を覆う黒いマント。

 重厚な黒い鎧。

 頭から生える鋭い二本のツノ。



 どう見ても、漫画や物語に出てくる「魔王様」そのものの男性だったのです。


 おそらく、仮装大会か何かの帰りなのでしょう。

 もしかしたら、雨で中止になったのかもしれません。でも、この近くで仮装大会がある話など、コフィは聞いたことがありませんでした。


 魔王様らしき男性はお店に入るなり、部屋をきょろきょろと見回しました。カウンターテーブルの向こうで固まっているコフィと目が合うと、びくっと体を震わせて、すぐに身構えました。


「誰だ貴様は!」


「えっ?」

「人間か……? どうやって人間が我が居城に入り込んだ?」


 突然の言葉に、コフィは戸惑います。

 この場所は確かにカフェ「ドリップドロップ」です。

 しかし、魔王様の姿をした男性もふざけているわけではなさそうです。


「ど、どういうことでしょうか?」

「どういうこともなにも、ここは魔王城だ。侵入者は排除する!」


 男性は背中に手を伸ばして、何かをつかもうとします。ですが、手は空を切るばかり。不思議に思って振り返ると、背中に何もないことに気づきます。


「剣が……ない。貴様……何をした?」

「え?……何もしてないです……」


 コフィはコーヒーカップをカウンターテーブルに置いて、両手を上げました。

 もしかしたらこの男性はお客様ではなく、強盗なのかもしれない、とも思い始めました。


 次に男性は両手をコフィに向けました。眉間に深いしわを寄せて、凄みのある低い声で呪文を唱えました。


地獄の業火インフェルノ!」


 思わずコフィは目をつぶりました。しかし、何も起きません。ゆっくりと目を開けると、男性は呆気に取られた顔で自分の両手を見つめていました。


「魔法が……使えない……? 何か特殊な空間でも作り出したか……人間にこれほどの手だれがいるとは……ならば」


 男性は拳を握り、右足を一歩踏み出し、腰を落として構えました。目は真っ直ぐにコフィを睨みつけています。


「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 コフィが大声で叫びます。


「あなたが誰なのか知りませんが、ここはカフェ『ドリップドロップ』です! 魔王城ではありませんっ!」


 男性は首をひねります。


「何を言っている? 俺は確かに城へ戻り、自分の部屋の扉を開けたんだ。そうしたら、貴様が……」

「見てくださいよ、お外!」


 コフィは外を指差しました。窓ガラスの向こうは、大雨で風も強いですが、のどかな街の景色が広がっています。


「……なん……だと……?」

 男性は目を大きく開けて、目の前の光景を見つめていました。


「どこだ……ここは?」


 戸惑っている様子が、声色から伝わります。男性は本気で、不思議そうな顔をしていました。両手をだらりと下げて、外の景色を、カフェの中を、そしてコフィを、何度も何度も見つめました


 どうやら、コフィの目の前にいるお客様は、本当に魔王城からやってきた魔王様のようです。

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