第30-2話 エルダ・アリス:旧支配者と人間の勇者
・ハスターの狂気と、信頼の秩序
理人は真顔に戻り(まだ少し頬が赤いが)、
話題を明日の任務へと切り替えた。
「エルダ。明日のハスターの眷属について、
もう少し詳しく聞きたい。
精神攻撃が得意、って聞いたけど……」
エルダは、落ち着いた微笑みを浮かべ、
ベンチの背もたれにもたれた。
「ええ。ハスターは、風の旧支配者であり、
狂気の拡散者。物理的には私の方が圧倒的に強い。
だけど本当の強さはそこではないの。
奴らは理性を奪うのが得意。
あなたの心の奥底に眠る、
最も見たくない真実を暴き、それを武器にするわ」
理人は唇を噛んだ。
「やはり……明日も、理性が試される戦いになる、と」
エルダはゆっくり頷き、少し目を伏せた。
「実は、過去に私もハスターと戦ったことがあるの。
物理的には十分な力はあったけれど、
彼の眷属が理性を揺さぶりに、追い詰められたわ。
ニャルラトホテプの邪魔が入って、
仕留め損ねたのが……
今になってあだになってしまったわ」
理人は息を呑む。
「……そんな過去があるんだな」
「だからこそ、知ってほしいの。戦いで最も重要なのは、
物理の力じゃなくて、精神の防御。
あなたの周りには、頼れる仲間がいるでしょう?
ノア=エルも、アイオネも、九条も神原も……
そして私も。みんな、あなたを信じている」
エルダが理人の手を握り、
彼女の温かさが直接理人に流れ込む。
「それが、ハスターの狂気に対する究極の盾になるのよ」
理人は、握られた手の温かな、
絶対的な秩序の光を感じた。
「……わかった。信頼の壁か」
エルダは微笑んだまま続ける。
「クタニド帝が言っていた『世界の崩壊』や、
『特異点』のことは、今は脇に置きましょう。
宇宙規模のシリアスな話は、
今のあなたの教師脳には重すぎるもの」
理人は思わず苦笑する。
「……確かに、それは頭が爆発するな」
エルダは優しい声で言葉を添えた。
「今日は、明日のことだけを考えましょう。
生徒たちを守り、無事に帰還する。それが、
今のあなたにとって、最も大切な秩序よ」
理人は、その慈愛の言葉に背筋を伸ばした。
(この人の前では、教師としてだけでなく、
ただの俺として、立っていられる……)
・夜の疾走と、勇者の愛
理人は深く息を吐き、
背中に伝わる温もりを感じながら、
心の奥で芽生えた好奇心に従った。
「エルダ・アリス、一つだけ聞かせてくれないか。
昔の話、特に人間との関わりについて」
エルダは微笑み、指先で理人の自転車を軽く示した。
「いいわ。でも、条件がある」
「条件?」
「あなたの後部座席に座らせてちょうだい。
教師の背中に寄りかかって、話を聞くの。
愛の強制連行じゃなく、
あくまで『教師への指導依頼』として」
「分かった! 指導依頼なら、断れないな」
理人は荷物をどかし、エルダを座らせる。
背中に密着する温かさが心地よく、理人の肩にそっと体重がかかる。
夜の静かな街を二人で走りながら、
街灯が次々と二人を照らし、また闇へと送り出す。
エルダは語り始めた。
「昔々、世界を憂いた一人の人間の勇者がいた。
旧神の庇護を願い、私に立ち向かってきた。
彼は正義と愛を信じ、この世界のために戦った。
物理的な力は私には遠く及ばない。
負ける戦いと知りながら、恐れず、決して退かず、
何度も立ち向かってきたのよ」
理人は背中越しに息を飲む。
「彼は、強力な武器も特別な力も持たず、
ただ世界を愛する心だけを持っていた。
それだけで私の圧倒的な力に挑み続けた。
地上を守るために力を貸して欲しいと……
最初は、正直なところ、愚かだと思ったわ」
エルダの声に、少しの切なさが混ざる。
「でもね……何度も戦ううちに、
私の心は少しずつ変わっていったの。
恐れや闘い、疑念で閉ざしていたはずの胸が、
彼の信念と純粋さで震えるのを感じた。
私は……知らず知らずのうちに、
彼を認め、心を動かされていたの」
理人はそっと背中に寄せる温もりを感じながら、耳を澄ます。
『愛とは、滅びを恐れぬ心だ』
『女神よ、お前がそれを知る時、戦いは終わる』
「彼は最後まで諦めなかった。
勝敗は最初から決まっていたはずなのに、
彼の瞳には恐怖や後悔ではなく、
ただ『生きとし生けるものの美しさ』
を信じる強さがあった。
そして、彼が力尽き倒れた…
それを見た瞬間、私も戦う理由を理解したの」
理人は胸に熱いものを感じ、
背中越しに震えるような声でかすかに呟く。
「……愛、か」
エルダはその声を聞き、微笑んで背中に顔を寄せた。
「ええ。愛よ、教師殿。彼の愛は、私の心を溶かした。
恐れと闘いと孤独に閉ざされていた旧神の胸を、
初めて動かしたの。
教師殿、あなたも……そういう愛の光を、
誰かの心に届けられる人でしょ?」
理人は言葉が出ず、ただ頷く。背中に伝わる温もりと、
エルダの語る勇者の勇敢さが、心の奥で共鳴した。
自転車は、静かな夜の街を滑るように走り、
背中の温もりと、語られる過去の物語、
そして二人だけの時間が、理人の心をじんわり満たしていく。
・慈愛の歌声と、夜の決意
夜風が理人の頬を撫でる中、
エルダ・アリスの語りはやがて静かな歌声に変わった。
それは、この世界の楽器では決して再現できない、
魂の奥底に染み入るような、清らかで、
そしてどこか切ないバラードだった。
その歌声は、愛と正義を信じ、
カオスに立ち向かったあの人間の勇者に捧げられている。
星の光が消え去る夜も、小さな命は灯を抱く。
嵐の剣に倒れようと、絆の炎は決して絶えない。
嗚呼、愚かで尊き勇者よ、あなたの愛が秩序の歌。
エルダの声は、まるで遠い宇宙の母なる子守歌のように、
理人の心臓の鼓動と同期して響く。
それは、理人の魂の奥深くに眠る転生前の記憶と、
この世界で生徒たちを導く教師としての理性を、
優しく繋ぎ合わせる力があった。
理人はペダルを止めずに漕ぎながら、
胸の奥でひそやかに決意を固める。
(俺は……あの勇者の意志を、俺の生徒たちに託す。
愛も秩序も、俺が教師として背負うべきものだ。
エルダの歌が示すように、生徒たちを信じる————
『信頼の壁』こそが、カオスを抑える
「エルダ・アリス……」理人は小さく呟く。
「その歌は……勇者に届いているのか」
エルダは背中により深く寄り添い、柔らかく答えた。
「ええ、届いているわ。愛は、時空も次元も超える。
そしてあなたの魂にも、彼の愛は確かに届いている。
教師殿、あなたはその意志を受け継いでいるの」
理人は目を閉じ、深く息をついた。胸に満ちるのは、
ハスターの狂気への恐怖ではなく、生徒たちとの絆と、エ
ルダの歌声が織りなす確固たる秩序の光だった。
「ありがとう、エルダ・アリス。
教師としての道筋がはっきり見えた」
理人はペダルを強く踏み込み、夜の風が髪を揺らす。
エルダの歌声は、
愛と秩序が必ずカオスに打ち勝つことを誓う、
静かで力強い決意のバラードとして、夜空に溶けていった。
そして、静寂の中、理人は思わず口を開いた。
「……それにしても、教師の背中に乗る旧神って、
ちょっと重いな。エルダ、もう少し軽くしてくれ」
エルダはクスクスと笑い、肩を軽く揺らして答える。
「ふふ、教師殿、
私の重みは秩序の証よ。覚悟しなさいね」
理人は苦笑しながらも、背中に伝わる温もりを感じ、
心の中で小さく決意を新たにした。
孤独な教師は、今、慈愛の旧神の歌に導かれ、
愛の暴走女神と美の戦乙女、そして合理的な同僚と共に、
世界を守る教師の義務を胸に、夜の闇を進んでいくのだった。
第6章「愛の証明と、孤独な神々の教師」 完
『旧神ヒロインが僕の全行動を求愛と誤解した結果、世界が滅亡の危機に瀕している件』③ 〜ハスターの眷属が関わる『古代都市の遺跡』への準備期間中〜 NOFKI&NOFU @NOFKI
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます