第9話 Daily Life: Masquerade(仮面の下)

 翌日の放課後。

 西日が差し込む教室で、赤坂あかさか和也は空腹に耐えながら、窓の外を眺めていた。


『生体アラート。血糖値が低下しています。……昨日の戦闘で消費したカロリーが補填されていません』


 脳内でシアンが警告してくる。

 和也は溜息交じりに、財布の中身を確認した。

 残金、2,500ギフト。

 数日前に400万稼いだ男の財布とは思えない惨状だ。

 全部、あの「黒いブーツ」と「狐のマスク」に消えた。

 しかも昨日は、あの**「Sランク(幼馴染)」**との戦闘&逃走劇で、稼ぎはゼロ。収支はマイナスだ。


「……わかってるよ。今夜の配信で稼ぐ」

『当然です。昨日の戦闘データの解析も終わりました。次はもっと効率的に動けますよ』


 そんな思考会話をしていると、教室のドアが開き、凛とした足音が近づいてきた。

 空気が冷える。

 和也は顔を上げずとも、それが誰だか分かった。


「……赤坂」


 事務的な、感情を排した声。

 机の前に立ったのは、完璧に制服を着こなした黒髪の少女――鳴神 光莉だ。

 彼女は生徒会の腕章を巻き、手にはバインダーを持っている。

 その表情は硬い。昨日の「黒狐」を取り逃がした苛立ちが、まだ残っているのかもしれない。


「進路調査票、まだ未提出です」

「ああ……忘れてた」

「忘れていた、ですか」


 光莉の紫電の瞳が、冷ややかに和也を射抜く。

 そこにあるのは、かつての幼馴染に向ける温かさではない。

 ただの「問題児」を見る、冷徹な評価だ。


「パーティを解雇されたそうですね。……次はどうするつもりですか? ソロでFランクのまま、野垂れ死ぬ気?」

「……お前には関係ないだろ」

「生徒会役員としての業務です。個人的な感情はありません」


 彼女は淡々と言い放つ。

 その瞳に揺らぎはない。本心から「どうでもいい」と思っているのか、それとも鉄壁の理性で蓋をしているのか。


「あなたの成績と適性値(シリウス)では、探索者としての将来性はありません。……無駄な足掻きはやめて、現実的な進路を選ぶことを推奨します」


 事実だけの通告。

 かつて「最強」を目指した幼馴染に対する、引導を渡すような言葉。


「明日までに提出してください。……失礼します」


 光莉は踵を返し、教室を出て行った。

 その背中には、昨日の戦闘で見せた「鬼神」のような覇気はなく、ただ冷たい拒絶だけがあった。


『……面倒な個体ですね。彼女、昨日の戦闘で貴方に撒かれたことを、相当根に持っていますよ』


 シアンが愉快そうに分析する。


「やめろ。……あいつにとって俺は、『落ちこぼれの同級生(赤坂)』でしかないんだ」


 和也は自嘲気味に笑った。

 光莉は知らない。

 彼女が血眼になって探しているS級監視対象「黒狐」が、目の前にいた「無能な赤坂」だということを。

 そして俺も、彼女に正体を明かすつもりはない。

 バレれば、俺の自由も、シアンとの契約も、すべてが終わる。


「行くぞ、シアン。……稼ぎ時だ」

『了解(ラジャー)。本日の目標収益、100万ギフト。……サボったら、脳内にノイズを流しますよ』


 和也は鞄を掴み、逃げるように教室を後にした。

 すれ違い続ける二つの仮面。

 その距離がゼロになる時は、まだ来ない。

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