世界を救うのに必要な時間は5分です。〜RTA走者が異界に召喚されたら、壁抜けとバグ技で神扱いされました〜

いぬがみとうま

第1話:Any%走者は、イベント(会話)を聞かない


 視界の右上に、無慈悲な緑色のデジタル数字が浮かぶ。


【TIME00:00:00】


 続けて、赤色の警告ログ。


【条件:Sランク(5時間以内)】【失敗:魂のロスト】


「……了解(わかった)」


 状況理解、コンマ5秒。

 エナドリをこぼした記憶は彼方に捨てた。


 肌を刺す冷気。

 カビと血の臭い。

 陰鬱なテクスチャ。


 間違いない。

 ここは俺が世界記録ワールドレコードを持つクソゲー『怨霊屋敷』の内部だ。


 想定クリア時間:40時間。

 制限時間:5時間。

 難易度:インフェルノ。


 結論:走るしかない。


「おお……! 成功だ! 儀式は成功したぞ!」


 目の前で、狩衣かりぎぬをまとった青年が泣いている。

 筆頭退魔師、芦屋ミチミツ。


「見よアリス! 古の召喚術式に応え、異界より救世の英霊が降臨なされた!」

「ええ、ミチミツ様。これも神の思し召し……!」


 周囲のモブたちが祈り始める。

 歓声。

 慟哭。


(うるせえ)


 俺の脳内では既に、スタートの号砲タイマーは回っている。


【TIME00:00:12】


 これは「オープニングイベント」だ。

 本来ならこの後、世界観の説明(10分)とヒロインの自己紹介(5分)が続く。


 計15分のロス。

 ありえない。

 その間にカップ麺どころか、文明が一つ滅びる。


「あ、あの……? 英霊様?」


 呆気にとられるミチミツ。

 無視。

 俺は祭壇の出口――ではなく、部屋の隅にある「柱」へ向かってダッシュした。


「お待ちください! そちらは出口ではありません!」


 背後から、白衣の女――ナビゲーターのアリスが叫ぶ。

 無視だ。

 走りながら、右手を振る。

 「会話送り」のコマンド入力。


「なっ……!?」

「英霊様、お待ちを! 現在、帝都は結界に――」


 アリスが追いすがる。

 だが、俺の速度スティック全開には追いつけない。


 狙うは北東の柱。

 角度、35度。


「そこは行き止まりです! 壁に激突します!」


 アリスの悲鳴。

 減速しない。

 壁に向かって、顔面から突っ込む。


 ――ガッ!


 額を石壁にこすりつけ、その場で足踏みを繰り返す。

 端から見れば、壁に向かって全力疾走する狂人だ。


「きゃあああっ!?」

「え、英霊様!?」

「自殺だ! 召喚のショックで錯乱して、自ら頭を打ち付け……!」


 パニックになる現場。

 だが、その喧騒を切り裂く声があった。


「違う! 静まれッ!」


 ミチミツだ。

 彼は目を見開き、脂汗を垂らして俺の背中を凝視している。


「見ろ、アリス!あれは自害ではない! 英霊様は行っているのだ……この世界との『共振チューニング』を!」

「きょ、共振……?」


「そうだ! あの微細な振動を見ろ! 壁の固有振動数に肉体を同調させ、分子レベルでの透過を試みているのだ!」


 ……いい解釈だ。

 俺がやっているのは、ただの**「コリジョン抜け」**だがな。


 俺の視界には今、現実の風景ではなく――脳内で再構築された**〈ワイヤーフレーム〉**が見えている。


 判定ヒットボックスが、壁にめり込んでいく。

 グリグリと身体を押し込み、視点を高速で左右に振る。


 ガガガッ!


 視界がバグったように揺れる。

 処理落ち特有の、あの不快な浮遊感。


「う、嘘……体が、壁に沈んでいく!?」

「ま、まさか……物理干渉を無効化するつもりか!?」


 アリスとミチミツが叫ぶ。


「無茶です! あの壁は神代の結界! 人の身で通り抜けるなど、魂が砕け散ります!」

「いや、英霊様なら……彼ならあるいは!」


 座標をずらしているんだ。

 X軸そのまま。

 Y軸を固定。

 Z軸を――強制スライド。


 このゲームの物理エンジンは、キャラがスタックした時、一番近い「虚無あな」へ座標をワープさせる癖がある。

 その「穴」が、この壁の向こう側にあることを俺は知っている。


 あと少し。

 判定が、食われる。


「おおおッ! 見ろ! 霊子が、因果律が書き換えられていく!」


 ミチミツの実況が熱を帯びる。


「壁を『壁』として認識していないのだ! 彼にとって、この世のルールなど書き換え可能な術式に過ぎないというのかッ!?」


 俺は痙攣したように小刻みに震えながら、壁への圧力を強めた。


 ――抜けろッ!


 フッと抵抗が消える。

 俺の体はスライド移動し、石柱の中に吸い込まれ――完全に消失した。


「き、消えたあああああッ!?」


 アリスの絶叫が残響エコーして遠ざかる。

 暗転。

 ロード時間、なし。


 次の瞬間、俺は薄暗い回廊に立っていた。

 成功だ。

 マップロード完了。


 エリア3『封印の回廊』。

 ショートカット成功。


【TIME00:00:48】


「……ふぅ」


 悪くない。

 俺は振り返ることもなく、回廊の奥――ラスボスの待つ方向へ走り出した。


          ◇


「……神域だ」


 取り残された祭壇。

 ミチミツは震える手で壁に触れていた。


 傷一つない石壁。

 そこには、通り抜けた痕跡など微塵もない。


「み、ミチミツ様……。今のは、一体……」

「アリス、我々はとんでもないお方を呼び出してしまったようだ」


 ミチミツは恍惚とした表情で、虚空を見つめた。


「彼は会話すら必要としなかった。なぜなら、彼に見えている『正解ルート』において、我々の説明などノイズでしかないからだ」


「そんな……」


「行こう、アリス! 追いかけるんだ! あの背中を見失えば、我々は二度と『真理』に触れることはできないぞ!」


 感涙と共に走り出すミチミツ。

 混乱しながらも追うアリス。


 そんなドラマが展開されているとは露知らず。

 先行する俺の頭にあるのは、ただ一つ。


「(……次のボスの判定、右腕だけバグりやすいんだよな。当たり判定の隙間にしゃがめば完封できるか)」


 俺は懐中電灯初期装備を取り出し、スイッチに指をかけた。

 親指が残像を生むほどの高速連打。


 カチ、カチ、カチカチカチッ!


 不規則なストロボ。

 痙攣するような光が、闇の中を駆け抜けていく。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る