第3話 犬。

「タイミングが重要だ。僕の言ったタイミングで結界を頼む」

「わかりました」


 結界の外でウルフ達が喚き散らしている中で、隻眼のディア・ウルフは強力な鉤爪かぎづめで結界を破壊しようと攻撃を続けている。

 上手くいくかはわからないが、失敗すればまた作戦を考えるまでだ。

 僕らを守る結界さえ無事ならの話だけど……。


「まだ……」

「はい……」


 隻眼がムキになって鉤爪の乱れ打ちを続けている。

 一瞬は小さな穴が空くが、次の瞬間には塞がっていく。

 だが特異個体魔物ネームドモンスターと呼ばれる魔物だ。

 その辺の魔物なんかとは違って頭が回る。

 ネームドモンスターの多くは何よりも知恵を付けているのがもっとも厄介なのである。


 だから隻眼がこの結界の攻略法に辿り着く可能性は十分にある。

 あまり猶予はない。


「シルヴィアっ! 今だ!」

「はいっ!」

「ガルゥッ?!」


 鉤爪の連続攻撃の手が止まった瞬間、息を切らして止まったほんの一瞬。

 その瞬間に隻眼のディア・ウルフを囲う結界を張った。


「ガルルルルゥッ!!」

「くっ?! こ、これは……ちょっと厳しい、です」


 隻眼のディア・ウルフを囲うギリギリの範囲の結界。

 ギチギチでろくに身動きが取れないほどの圧縮された結界である。


「ここからは持久戦だ。頑張れシルヴィア!」

「は、はい……ッ!」

「ファイヤーボール! ファイヤーボール! ファイヤーボール!」


 狭い結界の中で強引に暴れ回る隻眼のディア・ウルフ。

 その隻眼に僕は初級火炎魔法を連続でぶち込んだ。


 結界の特性にも種類があるらしいが、特性のひとつにこちらからの攻撃は自由に通すことができる。

 これは国を守る為の壁であると同時に、籠城戦においての安全な攻撃手段としても機能するように改良された結界らしい。


 壁を張るだけでは守れても戦えない。

 それでは結局守れない。

 だから生み出された結界。


「お、抑えきれない!」


 隻眼のディア・ウルフを極限まで小さい結界で囲わせたのは隻眼のディア・ウルフの身体能力をフル活用させないためである。

 狭い空間で身動きが取れない状態ならば、勢いのある大振りな攻撃などはできないからだ。

 だがさすがのネームドモンスターとなるとそう簡単にはいかないようだ。


「もう、少しだ! 耐えろシルヴィア!!」


 何度もファイヤーボールを放って隻眼のディア・ウルフの毛皮を焼いていく。

 ネームドモンスターに初級の火炎魔法なんて大して効きやしない。

 そんなことはわかってる。


 だから、魔法で倒すなんて考えてない。


「ガルルッ?!」

「いけるぞシルヴィア!」

「はいっ!!」


 結界の中で暴れ回っていた隻眼が苦しそうに喚き始めた。

 何度も何度もファイヤーボールをぶち込んだ理由。

 それは単純に隻眼を窒息死させるためである。

 幸いにも燃える素材はご本人様が肌身離さず身に付けている毛皮がある。

 だから馬鹿みたいに火炎魔法を放ち続けた。


「ガ……ガルルゥゥ……」


 苦しそうに弱々しくうなる隻眼のディア・ウルフ。

 呼吸ができなくなれば、賢いネームドモンスターでも頭が回らないだろう。


「僕らの勝ちだ! シルヴィア!」

「はいっ!!」


 毛皮に引火した火も燃え尽きている。

 もうほとんど空気は残ってないはずだ。

 あとはそのまま窒息死してくれれば、僕らはふたりだけでネームドモンスターを倒すことができる。


「ガルルルルルルッ!!」

「ッ?!」

「まだそんな気力があるのか?!」


 周りのウルフが喚く中、隻眼のディア・ウルフは一際大きな雄叫びを上げた。

 そして次の瞬間、まばゆい光が隻眼のディア・ウルフを覆った。


ぬぅぅ! ぐどぅしい! ぶっ殺す!!」

「人型になった?!」

「そんなの聞いてないぞ?!」


 先程までは3メートルほどもあった巨体の隻眼のディア・ウルフが、人間の少女ほどの体躯たいくになって怒り苦しみこちらを睨んできた。


「もう怒ったぜッ?!」


 生意気で憎たらしい笑顔で殺気を振りまく少女。

 パッと見は10歳ほどの褐色少女に見える。しかし恐ろしいほどの魔力量だ。

 魔力量だけならベロニカにも匹敵するほどである。


「こっちは腹減ってんだぁぁぁ!! 死ねぇぇぇぇ!! 疾風牙ゲイル・ファング!!」

「結界が?! 一発でっ?!」


 人型形態になって空間を自由に使えるようになったからか、ありったけのパワーと固有魔法で結界を破壊した隻眼のディア・ウルフ。


「お腹空いたぁぁぁぁぁぁ!」


 目の前の僕らを見て殺意を向けつつもよだれをだらしなく垂らす隻眼の褐色の少女。

 絵面だけ見れば微笑ましいが、満ち満ちた殺意は笑えたものではない。


「さっきからチリチリ焼きやがってよぅ! オレ様のことをなんだと思ってんだお前らぁ!! はらわた引っこ抜くぞこらぁ!!」

「……言葉遣いが酷過ぎる……」


 あの、シルヴィア様? リアクション取るとこそこじゃないと思いますよ。

 まあでもあれからシルヴィアは王女だし、そりゃそうか。


「オレ様の手下たちも腹減ってんだ。まずはその壁ぶっ壊してお前らを生きたまま喰い千切ってやる!」


 どうする。どうしたらいい?

 おそらく僕らを守っているこの結界も、人型になっている状態の隻眼のディア・ウルフの固有魔法であればすぐに破壊することができるのだろう。


 たぶん、もうさっきと同じ方法で隻眼を弱らせることは不可能だろう。

 ネームドモンスター相手に何度も同じ手が通じるならば、とっくに隻眼のディア・ウルフは討伐されているはずだ。


「くんくん。くんくん。……ッ?! この匂いは?!」


 先程まで溢れんばかりの殺気を放っていた隻眼が瞳を輝かせて僕らを見つめている。

 どういうことだ?


「お、おい貴様ッ! 後ろにあるのはしちゅーだろ?! そうだろッ! 絶対そうだ!」

「……?」

「そ、そうだが?」


 結界に張り付いてよだれを垂らしている隻眼が尻尾を振って僕らの後ろにある食べ残したシチューを見つめている。なるほど。


「僕らを喰い殺したら、この少ししかないシチューしかあげられないなぁ。悲しいなぁ。僕は料理が得意だから、僕が生きていたらここにいるウルフたち全員にシチューだって振る舞えるのになぁ」

「な、なんだとッ?!」

「ケイン?!」


 よくわからないが、隻眼のディア・ウルフもシチューが好きらしい。

 あるいは人間の食べ物全般が好きな可能性がある。

 ならばここに付け入るほかない。


「ウルフなら、肉もたっぷり入っているシチューもいいだろうなぁ」

「じゅ、じゅるり……」

「凄く尻尾振ってます……可愛い」

「いやぁ残念だなぁ。シチュー以外にも美味しい料理を僕は作れるのになぁ。でもこれから生きたまま喰い殺されるんだもんなぁ。悲しいなぁ」

「お、おい人間!! ほ、ホントにお腹いっぱいになるくらいしちゅーを作れるんだろうな?! ホントか?!」

「材料があればね。でも喰い殺すんだよね? それじゃ作れないよ。街に戻って材料も揃えないとだし」

「……ネームドモンスター相手に交渉してます?!」


 喰うか喰われるかの極限状態から一転して尻尾を振られる状態になった。

 さっきまではなんでシチューの存在に気付いていなかったのかとかよくわからないけど、人型になって話が通じるようになったならまだやりようはある。


「で、でも?! 街に戻ったらどうせ逃げるだろッ!! 嘘をつくな!!」

「なら、僕らと一緒に着いて来ればいいじゃないか? 人型になれる君なら町にだって入れるだろ?」

「ケイン?! 本気ですか?!」


 目を見開いて僕を見るシルヴィア。

 無論危険なことはわかっている。

 だが勝機はここにしか最早ないだろう。


「君が着いてきてくれたら、たくさんの食材を買って持ってこれる。そうしたら仲間のウルフたちだってお腹いっぱいにご飯が食べられる。ウルフ達のおさとして、どうしたらいいかは……わかるよね?」

「ご、ごくりッ……」


 息を飲み、逡巡しゅんじゅんする隻眼のディア・ウルフ。

 まさかネームドモンスター相手に交渉が通じるとは思っていなかったが、僕らは運がいい。


「わ、わかった!」

「ならば、僕らの言うことをちゃんと守れるか? 街に入ったら腕利きの冒険者たちもいる。もしも君が隻眼のディア・ウルフだってバレたら、さすがの君でも討伐されてしまうかもしれない。ご馳走を目の前にしてね」

「わ、わかった! 言うこと聞く! 聞くから!」

「そうか。それはよかった。僕もたくさんのウルフたちに料理を振る舞えるなら大歓迎だ」

「よし! それならすぐ行くぞ! オレ様はお腹空いたんだ!!」

「そうだな。じゃあお買物だな」

「……ほ、本当に交渉成立してる……」


 あの、シルヴィア? なんでドン引きしてるんですか?

 犬もウルフも同じでしょ? 餌付けですよ餌付け。




 だが、どうやら僕は甘かった。


「あそこにいるメスの人間、美味うまそう……」

「僕は人間は調理絶対にしないぞ」

「わ、わかってるわ!」

「……バレないか不安です……」


 街に入ることに成功したのはよかった。

 だが、街に入ってとんでもないことを聞いてしまった。


 王都から来たSランク冒険者がこの街にいるらしい。

 それも「隻眼のディア・ウルフ」の討伐をするためにこの街に来たらしい。

 しかも2つ名は「ウルフ狂い」である。


「……ケ、ケイン?! あれってまさか……」


 絶対にバレてはいけないお買い物の始まりである。

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