第8話

〈妹視点〉




 三階の扉を開けたお姉さんは、そのまま……止まった。

 

 動かない。

 

 扉を半分だけ開けたまま、中を見て、じっと立っている。

 

 ……どくん……

 

 

 胸の音が、急に大きくなった。


 

 なんだか、息をするのも忘れたみたいで、のどの奥が、きゅっと苦しくなる。


 

 

「……お……お姉さん?」



 心配になって、声をかけた。


 ……ごくり……


 何故か唾を飲んでいた。

   

 

「……ど…どうしたの……?」

 

 一瞬遅れて、お姉さんは、はっとしたように振り返った。


 

「あ……ううん。なんでもないよ」

 

 

 そう言いながら、ゆっくり柚葉の前にしゃがむ。

 

 目の高さを合わせて、さっきより、少しだけ低い声で言った。

 

「柚葉ちゃん。ここから先、歩くときは足元をよく見てね」

 

 にこっと笑っているのに、その笑顔が、さっきと少し違う気がした。


 

「危ないから。ゆっくり、一緒に行こう」


  

 ……なんで?


 

 そう思いながら、お姉さんの横から、そっと中をのぞく。


 

 ……言葉が、出なかった。


 

 床いっぱいに、壊れたもの。


 

 何かを入れていた箱みたいなもの。

 

 テレビ。

 

 椅子。

 

 テーブル。

 

 全部、ばらばら。

 

 落ちて、割れて、踏まれたみたいに、散らばっている。

 

 看護師さんたちが、いつも立っている前の台。

 

 そこに置いてあったはずのものも、

 

 全部、床に落ちていた。

 

 ……ぐちゃぐちゃ。

 

 さっき通った二階とは、

 

 ぜんぜん、ちがう。

 

 お姉さんは、周りをゆっくり見てから言った。


 

「誰もいないとは思うけど……ちょっと見てくるね」

 

 一歩、前に出て、それから、振り返る。

 

「柚葉ちゃんは、ここで待つ?」

 

 少しだけ、間をあけて。

 

「それとも……一緒に探す?」

 

 最後に、やさしく付け足した。

 

「ここが嫌なら、一階で待っててもいいよ」

 

 一人で待つのは、嫌だ。

 

 お兄ちゃんが一緒ならいいけど、ここには、いない。

 

 早く、会いたい。

 

 一階まで一緒に行っても、そこで一人で待つのも、やっぱり怖い。

 

 いろんな気持ちが、頭の中で、ぐるぐる回る。

 

「……一緒に……行きます」

 

 気がついたら、口がそう言っていた。

 

 お姉さんの手を、ぎゅっと握る。

 

 そのまま、ゆっくり扉をくぐった。

 

 

 ……パキ。

 ……ミシ。

 ……ミシ……ポキッ。


 

 一歩進むたび、

 

 足の下で、いやな音がする。

 

 何かを踏んだ感じが、

 

 靴の裏から、じわっと伝わってくる。

 

 お姉さんは、すごくゆっくり歩いてくれている。

 

 転ばないように。

 

 離れないように。

 

 そう思いながら、

 

 柚葉も、足元を見て歩いた。

 

 手を握る力は、やさしいまま。

 

 でも――


  

 この階は、

 


 なんだか、ここに長くいたら、

 息をするのを、忘れてしまいそうな気がした。


 


 お姉さんと手をつないだまま、ゆっくり歩く。

 


 

 プラスチックみたいなもの。

 ガラスとか、木とか。

 何かが割れた音が、

 まだ足の下に残っている気がする……



 しばらく進んだところで、お姉さんが、ひとつの部屋の前で立ち止まった。


 

「ここ、見てみようか」


 

 そう言って、何故か閉まっている部屋の扉を開ける。


 

 中に入った瞬間、

 

 

 ……胸の…奥…が、きゅっとした。


  

 服を入れるタンスは、ちゃんと立っているのに、

 

 

 ベッドの上の布団は、ぼろぼろだった。

 

 

 白い綿が、いっぱい出ていて、


 

 床にも、ふわふわ落ちている。


 

 ……なんだか、雪みたい。


 

 でも、さわったら、きっと、冷たくて、いやな感じがする。


 

 部屋の中には、ベッドが四つ並んでいて、


  

 カーテンもついている。


  

 でも、ところどころ、びりっと破れていた。


 

 お姉さんは、


 

「柚葉ちゃん、ここで待っててね」


 

 そう言って、先に中へ入っていく。


 

 ベッドの横をのぞいたり、

 

 カーテンの奥を、そっとめくったり。

 

 時々、こっちを振り返って、

  

 ちゃんと柚葉がいるか、確かめてくれる。


  

 ……少し…だけ、安心する。

 

 部屋を出ると、また、次の部屋。


 

 同じような部屋を、いくつか見て回る。

 

 

 次に入ったのは、ベッドが、ひとつだけの部屋だった。


 

 二階にも、こんな部屋があったのを、なんとなく思い出す。


 

 お姉さんは、部屋の中を、すぐに一周して、


 

「ここは……大丈夫そう」


 

 そう言ってから、奥についている、別の小さな扉を開けた。


 

「シャワーがついてる部屋だね」

 

 中を、ちらっと見ただけで、

 

 すぐに、扉を閉めた。


  

 ……なんだか…


  

 あんまり、長く見たくなかったみたい。


 

 同じような部屋を、もう一つ見て、

 

 それから、廊下に戻る。

 

 廊下の先に、

 

 大きな扉が、ひとつ見えた。

 

 なんだか、いつもより、

 

 大きく見える。

 

「あれ、なに?」

 

 そう聞くと、お姉さんは少し考えてから言った。

 

「柚葉ちゃんも知ってると思うけど……横にも、建物があるの、覚えてる?」

 

 ……横?

 

「ここ、あっちの病棟につながってるの」

 

「二階にもあったんだけど……分かりにくかったかな」

 

 そう言われてみても…

 

 よく、思い出せなかった。

 

 お姉さんは、その扉の前を通り過ぎて、

 

「その前にね」

 

 って言った。

 

「看護師さんたちがいるところ、先に見ていい?」

 

 一緒に、ついていく。

 

 中に入ると……

 

 棚が倒れていて、

 

 椅子も、ひっくり返っていて、

 

 パソコンも、床に落ちていた。

 

 ……ぐちゃぐちゃ。

 

「やっぱり……誰もいないね」

 

 お姉さんの声が、少しだけ、低くなる。

 

 それから、こちらを見て、

 

「向こうに行く前に、四階も見ていい?」

 

 こくん、と、うなずく。

 

 お姉さんは、柚葉の手を、もう一度、ぎゅっと握ってから、

 

 さっき見た扉みたいなところへ行った。

 

 名札みたいなものを、近づける。

 

 ……ピッ。

 

 小さな音がして、

 

 扉をお姉さんが、ゆっくりと開いた。

 

 一緒に、中へ入る。

 

 そのとき……

 

 後ろで、扉が閉まる音がして、

 

 ……その音に、まじって。

 

 誰かが、

 

 名前を呼んだような気がした。

 

 聞き覚えのある声。

 

 でも、振り返ったときには、

 

 もう、何も聞こえなかった。


 



  


 

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