第3話 失敗デートで潤う♡彼女

僕は恋愛に自信がない。優しいだけで、選ばれない人間だと、何度も思い知らされてきたからだ。


だから今日、白石さんとデートができること自体が、僕にとっては奇跡に近かった。


映画館のロビーで待っていると、彼女が小走りでやってきた。


「春川さん!」


白いニットに、赤のチェックのスカート。

……いつも以上に可愛い。反則だ。


「お待たせしました。映画、楽しみですね」


「はい。口コミでも『男たちの熱い絆に泣ける』って評判らしくて」


よし。落ち着け。

チケットを渡し、席に向かう。


暗くなる館内。

隣に座る彼女との距離は、思ったより近い。


映画館の暗闇って、どうしてこうも心臓の音を増幅させるんだろう。


やがて上映が始まった。


最初は順調だった。

銃撃戦とカーチェイス、緊迫した雰囲気。


——問題が起きたのは、十五分後だった。


画面が急に暗転する。


次の瞬間。


(……え?)


予告編には一切なかった、濃厚すぎるラブシーンが始まった。


(……いや、待て)


これは想定外だ。

僕はちゃんと確認したはずだった。


「男たちの友情に感動」

「硬派なアクション」

「大人向けの人間ドラマ」


誰だ。一体誰がこの“友情”をそう定義した。


(友情って、こんなに吐息近かったっけ?)


カメラはなぜか、男と男の距離をやけに丁寧に、執拗に映し出す。


(ちょっと待て待て待て……!)


画面の中では、視線が絡み合い、指先が触れ、意味深な沈黙が流れる。


(これは……絆じゃない。完全に別ジャンルだ)


終わった。完全に終わった。


僕は一秒でも早くエンドロールが流れることを、冷や汗をかきながら祈り続けた。


***


館内が明るくなったとたん、僕は全力で息を吸い直した。

酸素が、うまい。


恐る恐る隣を見る。


白石さんは、どこか恍惚とした表情でスクリーンを見つめていた。


「……春川さん」


「は、はい」


「ありがとうございます」


その声がやけに柔らかい。


「今日、いっぱいネタが潤いました」


潤う。


その言葉を、僕は頭の中で何度も反芻した。

潤うって、何が? どこが?


……でも。

彼女が楽しそうなら、それでいいと思ってしまう自分がいた。


「……そ、そうなんですね」


笑うべきか、謝るべきか、土下座すべきか分からず、とりあえず真面目に頷いた。


***


本来なら、このあと予約していたレストランに行く予定だった。


ネットで席を予約し、メニューも調べ、道順までシミュレーションした。

──完璧なはずだった。


受付で名前を告げると、店員さんが申し訳なさそうに首を傾げた。


「申し訳ありません。本日は貸し切り営業でして……」


……え?


慌ててスマホを確認する。


『仮予約受付』

その下に埋もれていた、未読の『貸し切り営業によるキャンセル通知』。


……嘘だろ。


「すみません……完全に、僕のミスです」


情けなさで俯いた。失望されたに違いないと思った。

けれど、白石さんはきょとんとしたあと、ふっと笑った。


「え、いいじゃないですか」


「……え?」


「こういうの、嫌いじゃないです。むしろ“デートっぽい”」


失敗が、デートっぽい。世界が、優しすぎる。


そのとき、彼女が目を輝かせた。


「あっ! 北海道フェアの屋台!」


指差した先の商業施設の広場に、湯気の上がる屋台が並んでいる。 ジンギスカン、ザンギ、ホタテ、スープカレーの文字があった。


「食べ歩きしましょ! 私、北海道出身なのでおすすめいっぱいあります」


白石さんは、自然に僕の袖を引いた。

その動作が自然すぎて、凍りついていた心がじんわりと溶けていく。


僕らは屋台をはしごした。

「これ、一口どうぞ」

「え、いいんですか」


「シェアするの、好きなんです」


差し出されたホタテ串を一口かじる。


「……うまい」


「でしょ〜」


その笑顔が、映画事故と予約ミスの絶望を、上書きしていった。


***

屋台の広場を抜け、気づけば、川沿いの静かな道を歩いていた。

人通りが少なくなって、急に静かになると逆に落ち着かない。


白石さんは、建物の照明できらきらと光る川面を見ながら呟いた。


「春川さんって、デート慣れてないですよね? でもこうやって一生懸命準備してくれるの、嬉しかったです」

「……僕は、さっきの事故で心が折れました」

「事故?」

「映画と、予約です」

白石さんは声を立てて笑った。


「春川さんは本当まじめですね」

その笑い声が、夜風の寒さを少しだけ和らげた気がした。

彼女はぽつりと話し始めた。

「昔ね、夜景の見えるレストランで花束をもらったことがあるんです」

彼女は遠くを見る目をした。


「綺麗だなって思ったけど……うまく笑えなくて。そしたら『女の子はこういうの喜ぶだろ』って」


夜風が髪を揺らす。


「普通の女の子を演じるの、しんどかったんです」


彼女は僕を見て、少し照れたように笑った。


「でも春川さんは、私がちょっと変なところで興奮してても引かないし。一緒にいると、すごくラクです」


ドクン、と鼓動が跳ねた。


手を伸ばせば、彼女の手に触れられる距離だった。

でも、僕は動けなかった。 『優しいけど物足りないんだよね』とかつて僕をフッた元カノたちの言葉が、呪いのように頭をよぎる。


拒絶されるのが怖くて、ただ並んで歩くことしかできなかった。

それでも、心は満たされていた。


「……また、デートしてくれますか」


その声は、少しだけ不安そうだった。


「はい」 即答だった。


「次は……もう少し、うまくやります」


「ふふ、期待してます」


夜風の中で、手を繋ぎたい気持ちだけが、いつまでも残っていた。

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