第26話 罪と罰
夜は静かすぎるほど静かだった。
小さな焚き火を囲み、三人は言葉少なに座っている。薪が爆ぜる音だけが、闇の中で規則正しく鳴っていた。
クロウは炎を見つめていた。その横顔は、昼間よりもずっと幼く疲れ切っている。
未来でのクロウは絶対に弱っている所を見せなかった。だから死の数日前に石の神殿で吐血するまで、彼の身体が薬で限界を迎えていると気がつけなかった。
でも目の前にいるクロウは違う。言葉は強気でも、遠くを見つめ、肩で息をし、時折よろめきながら歩いていた。隠しているつもりのようだが弱っているところを隠せていない。
リコリスは、胸の奥がひりつくのを感じながらそっとクロウの隣に腰を下ろした。
近づくだけで、鼓動が早まる。
彼はクロウであって、クロウではない。
触れてはいけない。分かっているのに……
「クロウさん、痛いところはありませんか?体調の変化はすぐ教えてくださいね。」
「お前には関係ない。」
「そんなこと…ありませんよ。今だって、本当はしんどいんですよね?傷だって痛むはずです。私はあなたが心配なんです。」
リコリスの声は、震えていた。
「問題ない、これは俺への罰だ。」
クロウは焚き火を見つめたまま、淡々と続ける。
「昔の獣人は、完全な魔獣に変化できたらしい。だが今は血が薄れて、肉体を強化するのが精一杯だ。」
自嘲気味に、唇を歪める。そして、リコリスが手当てをした、包帯を巻いている腕を強く握る。傷が開いたのか赤い血が滲んで見えた。
「あの時、死ぬつもりで力を使った。だが、身体が追いつかなかった……完全な獣人になれたなら、仲間を失わずに済んだかもしれない。いや…戦って、仲間たちと一緒に死ねたかもしれない!俺は弱かったから死ねなかった…生きていること、この身体の痛み…これは俺への罰だ……」
その言葉が、刃のようにリコリスの胸を貫いた。
違う……そんな悲しすぎる罪なんてない。
生きていることが罰だなんて…言わないでほしい。
未来のクロウは、
“完全な獣人”になるために、薬を求めた。
――リコリスが作った、禁忌の薬を。
命を削り、苦しみ、壊れながらも、
それでも彼は飲み続けた。
仲間を失う痛みに比べれば、
自分が壊れることなど、どうでもよかったんだ。
リコリスは、拳を握りしめた。
……言わなきゃ
今、ここで。
この時代のクロウに。
「……信じられないと思います。」
声が、かすれる。
「私は……未来で、獣人化する薬を作りました。」
クロウが、初めてこちらを見る。
「その薬は…力と引き換えに、命を蝕む猛毒でした。」
胸が、張り裂けそうになる。
「未来のあなたは、それを常用して戦って……副作用で、体も心も壊れて……」
言葉が、途切れる。
「……暴走する自分を止めるため、自ら…命を絶ちました。」
焚き火の音が、やけに遠い。
「私は……未来のクロウさんを、殺してしまったんです。」
涙が、止まらなかった。
ずっと胸に押し込めてきた罪が、溢れ出す。
怒られると思った。
拒絶されると、覚悟していた。
だが。
「……そうか。」
クロウは、静かにそう言った。
驚きも、怒りもない。
ただ、まっすぐな視線。
「薬の力でも、獣人の誇りを取り戻せたんだろ。」
焚き火が、ぱちりと爆ぜる。
「それで死ねるなら、本望だ。」
あまりにも、穏やかな声だった。
「でも……!」
言い返そうとして、言葉が出てこない。
「リコリス」
クロウは、そっと彼女の肩に手を置いた。
「未来の俺が、どう生きるか決めたんだろ。」
その手は、温かい。
胸の奥で、何かがほどける音がした。
「……お前は、未来の俺を殺してない。俺の覚悟を勝手に背負うなよ。…その……ありがとうな。」
微笑みが、そこにあった。
それは――
未来で何度も見た、あの不器用で優しい笑顔だった。
「クロウさん……」
堪えきれず、リコリスは彼に抱きついた。
嗚咽が、止まらない。
クロウは一瞬戸惑いながらも、
拒まず、静かに受け止めている。
だめ……進んではいけない……
頭のどこかで、警鐘が鳴る。
この人は、まだ“彼”じゃない。
甘えていい相手じゃない…
それでも……
その温もりに、すがらずにはいられなかった。
彼はクロウであって、クロウではない。
それでも、
リコリスの心を救ったのは…
間違いなく、クロウだった。
焚き火は静かに揺れ、
夜は、さらに深まっていく。
越えてはいけない一線を、
二人は、まだ知らないまま。
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