第1章 第2話 浅層の遺跡へ

昼過ぎ。

ギユウは愛用の工具箱を片手に、都市外縁部に設けられた金属製のハッチの前に立っていた。無骨な灰色の扉には、行政区画番号と小さな警告表示が並んでいる。だが、そのどれもが、彼の意識を引き留めることはない。


ハッチの向こうに広がっているのは、現代都市の足元に眠る、もうひとつの世界だ。


この地下遺跡群は、表向きには「管理された資源区画」と呼ばれている。だが、ギユウにとってはもっと生々しい存在だった。発条石、古代木材、墨脈回路――それら古代の遺産が、地上のAI制御都市を今も確かに支えている。

最先端の文明が、過去の遺物の上に築かれている。

その事実を、ここほど実感できる場所はない。


金属ハッチを押し開けた瞬間、温度がはっきりと変わった。

地上の乾いた空気とは違う、ひんやりと湿った冷気が頬を打つ。古い木の匂いと、わずかな砂埃の気配が一気に吹き上がり、肺の奥まで染み込んでくる。

背後で閉じたハッチの音とともに、街の電子音や広告の光は、最初から存在しなかったかのように遠のいた。


この瞬間だけ、胸の奥が静かに跳ねる。

ギユウにとって遺跡とは、世界の速度が一段落ちる場所だった。

呼吸が深くなり、思考が澄む。ここでは、時間そのものが少しだけ違う流れ方をしている。


階段を下り切ると、すでに二人の姿が見えた。

同じく超がつくほどの駆け出しだが、何度も浅層に潜っている顔なじみだ。


「遅いよ、ギユウ。ミオはもう計測入ってる」


声をかけてきたのはハルキだった。

背中の道具袋の革紐を締め直しながら、通路全体を一瞥している。無駄のない動きと、常に全体を把握しようとする視線。段取りを何より重視する性格が、そのまま立ち居振る舞いに表れていた。


「すまんすまん。ええ感じのカラクリと睨めっこしとってな。ハルキは相変わらず教科書みたいやなぁ」


軽口を叩くと、ハルキは少し困ったような顔で頭を掻いた。


「まぁ、そういう役回りやろ。誰かがやらんと、全員で穴に落ちる」


その隣では、久瀬ミオがすでに作業に入っていた。

石壁に振動計を当て、細い指先で機材の角度を調整している。無駄のない動き。視線は数値に集中し、周囲のことなど意識の外にあるようだ。普段は淡々としている彼女だが、測定中だけは、瞳の奥にかすかな熱が宿る。


「動かないで。ここ、波形取ります」


ミオの声に合わせて、空気がひとつ固まった。

三人とも、無意識のうちに呼吸を揃える。


彼らが進むのは、都市直下に広がる浅層区画。

比較的安全とされているとはいえ、油断すれば事故につながる場所だ。


ギユウは足元に散らばる古い歯車や、墨脈回路の痕跡を残した古代木材の欠片を拾い上げた。木肌はほんのり湿っていて、冷たい。だが、指先に伝わる感触は不思議と嫌ではなかった。

触れただけで、内部の仕組みが動いていた頃の体温まで想像できてしまう。


「この手触り……どこを噛んどったんやろな」


思わず、声が漏れる。

ざらついた感触が、脳の奥の古い扉を叩くように、好奇心を一気に呼び覚ます。歯車同士の位置関係、発条石のサイズ、回転の癖。考え始めると、意識が一気に内側へ沈み込んでいく。


ハルキはそんなギユウの横を抜け、先へ進んだ。


「ギユウ、その断片は後や。まず区画の確認するぞ。この奥、壁が脆い。叩くから、ミオ、反射データ頼む」


「了解」


ミオが振動計を起動し、ハルキは一定の間隔で壁を叩いていく。

「コン、コン」と乾いた音が通路に響く。その中で、ひとつだけ、明らかに違う反響が返ってきた。


ギユウの耳が、反射的にそれを拾う。


「……ここ、薄いな。ミオ」


「古代断片の反応。小罠、ほぼ確定です。壁厚は半分以下。迂回が安全」


その言葉に、ギユウの心臓が小さく跳ねた。

小罠。つまり、動く仕組みがまだ生きている可能性が高い。


「マジか……ちょ、ミオ。その内部構造、もうちょい読めへん? 発条石のサイズとか、振動の癖とか……」


前のめりになったギユウを、ハルキの声が制した。


「ギユウ、止まれ」


短く、だが迷いのない声だった。


「ここで触ったらギルドの信用に関わる。今回は調査だけや。迂回する」


ギユウは唇を尖らせ、工具を握る手を止めた。

頭の奥では、壁の向こうで眠る発条石の微振動が、まるで呼んでいるように感じられてしまう。

解き明かしたい。骨格を知りたい。内部がどう噛み合い、どう息をしているのかを、自分の手で確かめたい。


だが、今は踏み込めない。


静かすぎる地下に、小罠の残響の気配だけがこびりつく。

それは日常の中に紛れ込んだ異物であり、同時に、抗いがたい魅力そのものだった。


「行くぞ、次」


ハルキが前に出る。

ミオは無言で迂回路を示した。


ギユウは名残惜しそうに壁の亀裂を一度だけ振り返り、肩をすくめる。


――いずれ、必ず戻ってくる。

――この仕組みは、必ず読み解く。


そう心の中で呟きながら、三人は薄暗い通路の奥へと歩みを進めていった。

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