ドラゴンと氷河を探して、1874年キャンベルの日本旅行
@hideboo
第1話 日本旅行を思い立つ
1860年刊の『私の周遊記My Circular Notes (1860)』は、次のような序文から始まる。
「人類が共通の起源を持ち、アジアの平原から始まり、民話が真に古い伝統であるならば、セイロンの物語はバラのそれに、日本の物語は他の地のそれに似ているはずだ。なぜなら、東へ旅して日本に辿り着いた人々は、容易にそれ以上進むことができなかったからだ。オリファント氏によれば、中国でも日本でも、路上でプロの語り部を取り囲んで人々が彼の話しを聞いているのをよく見かけたという。そして、誰か、私たちに彼らの能力を評価してくれるよう願う。」(『西ハイランドの民話集(1860年)』序文より
"If mankind had a common origin, and started from the plains of Asia, and if popular tales are really old traditions, then the tales of Ceylon should resemble those of Barra, and the tales of Japan should resemble the others; because men travelling eastwards and arrived at Japan could not easily advance farther. Mr. Oliphant tells us that both in China and in Japan groups are commonly seen listening to professional story-tellers in the streets, and it is to be hoped that someone will enable us to judge of their talents." (Campbell 1860; Preface)
1990年頃から、海外における日本の漫画やアニメの知名度は急激に拡大し、多くの外国人を日本に誘ってきた。しかし、その彼らが長期滞在し日本語に長じてくると、日本にはもう一つ別の娯楽芸術があることに気づき、大変驚く。それは話芸で、なんと多くの老若男女の芸能人がいて、トークでテレビ番組を賑わしていることか。テレビ上だけではなく、寄席という小劇場では落語、講談、浪花節が実演され、音楽会でもさだまさし、武田鉄矢、根本要などは歌いこそすれトークが長い、長い。なぜ日本ではこんなに話芸が盛んなのか知りたいところだが、150年以上前にそんな疑問を持った人物がいた。
第1章 ジョン・フランシス・キャンベルとは
イギリス人のジョン・フランシス・キャンベル(John Francis Campbell, 1821-1883)(図1)は、1874年から75年にかけて地球一周旅行をし、翌年、その旅行記録を『My Circular Notes. Extracts from Journals, Letters sent Home, Geological and Other Notes, written while Travelling Westwards Round the World, from July 5, 1874 to July 6, 1875(私の周遊記、1874年7月5日から1875年7月6日までに西方向に世界を旅した際に家に送った手紙と書き留めた地学などのノートの抜粋)』(1)(以後、『私の周遊記』と略す)としてまとめ、マクミラン社から出版した。主題と副題から想像しがたいが、全旅行期間の4分1、さらに総ページ数の3分の1を日本に捧げ、キャンベルにとって日本旅行は特別な目的と意味を持っていたことがわかる。
手書き日誌Journalはスコットランド国立図書館がジョン・フランシス・キャンベル・コレクションの一冊として所蔵しており(2)、それにはノートと手紙は除かれているが、50点以上の水彩及び鉛筆スケッチ原画と写真が添付されている。水彩画の過半数は日本を描いたものであり、本書には1875年前後の日本が文章及び画像で記録され、大変貴重なものと考えられるが、これまで日本ではまったく知られてこなかった。キャンベルは一般的には、19世紀後半のゲール語民話研究者として広く知られている(3)。彼は、著書『Popular Tales of the West Highlands, Orally Collected with a Translation, 1860-63(西ハイランドの民話、口伝収集及び解題)』(以降、『西ハイランドの民話集』と略す)(図2)(4)によって、ヤーコブ・グリムに続く民話研究者として世界的に評価され、日本の柳田國男も『郷土生活の研究法(1935年)』の中で本書が彼の研究のみちしるべの一つであったと述べている(5)。日本のハイランドと呼ぶべき遠野に目を向けた柳田に大きな影響を与えたと思われるが、しかし、柳田がそうであったように、今日までそのキャンベルが日本にやってきてなんらかの調査をし、また、日本について旅行記を残したことは知られてこなかった(6)。
図2. 『西ハイランドの民話集』の巻頭口絵。勇者、妖精、怪獣たち。NLS。
民話研究とは別に、『Frost and Fire, Natural Engines, Tool-Marks and Chips with Sketches Taken at Home and Abroad by a Travelers, 1865(霜と火、自然の原動機、道具の痕跡、欠片)』(7)(以後、『霜と火』と略す)という地球科学に関する大著があるが、この分野における本書の評価は不明である。実は、キャンベルの業績は民俗学と地球科学に留まらず、近年、エジンバラのスコットランド国立図書館が彼の風景画展を開催し(8)、さらに気象学雑誌では彼の日照計発明の経緯が議論され(9)、彼の多面的才能に目が向けられ始めている。その背景には、近代学問が文系と理系に分かれて発展してきたが、21世紀に入り大自然災害、環境変動、パンデミックを経験し、今一度、地球や生命の諸現象を文理の枠を越えた視点から捕らえ直そうとする学際的機運があるように思われる。
本稿では、そのキャンベルがなぜ日本にやってきて、どんなことをし、何を記録したのかを明らかにし、また、キャンベルにとって『私の周遊記』がどのような意味を持ち、さらにその内容が私たちにとってどのような価値があるのか明らかにしてみたい。まず、キャンベルの経歴と業績を振り返った上で、『私の周遊記』の内容を吟味することにする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます