2話

 誰か肩を揺さぶられる感覚に、彼は重い瞼を開けた。恐らく中学校か、高校の教室。その窓際の席に彼はいた。状況を探ろうにも、意識がぼんやりとしていて頭が回らない。


「ほら、鍵閉められないから早く起きて」


 声のした方に目をやると、誰かが前かがみでこちらに話しかけているのに気付いた。顔はぼやけていてよく見えないが、声と格好からクラスメイトの女子だと判断した。


「それにしても、君あれだね。結構渋い趣味してるんだね」


 何のことか分からず困惑していると、散らばった筆記用具に混じって、自身の机の上に一冊の本が置いているのに気付いた。多分、これのことだ。その表紙を見ずとも、彼はそれが何かが分かった。彼女と自分を結びつけてくれた思い出深いものだ。その名前は確か…




「…何だったっけ?」

「いや、どうしたの急に」


 彼が右を見ると、先程の女子生徒と同じような姿勢で、彼女が自分の顔を覗き込んでいた。それと同時に、自分が見ていたのは夢だったと気づく。


「昔のことを、多分僕らが初めて話したときのこと思い出してた」

「あぁ、それいつだっけ。 高2の春?」


 適当に言葉を交わしながら、自分が何をしていたかを思い出す。午後からは二人で出かけようと話していて、そのためにレポート課題を午前中に進めようとしていて…。その瞬間、彼の表情は曇った。


 机の上には既に開かれた状態のノートパソコンが置いてある。後は資料を参考にしながら文字を打ち込んでいくだけ。だが、その作業にとりかかるのは心底気が進まなかった。


「ちょっと本棚の整理を…」

「コラ、逃げないの」


 立ち上がろうとした瞬間、右手を掴まれそのまま引き倒される。夢で見た本を探したいだけだ、と言っても聞く耳を持ってもらえない。もっとも、課題をやりたくないのは本当なのでそれ以上の口答えは出来なかった。


「じゃあ私が探してきてあげるから、特徴は?」

「直感でこれ渋いなーって思ったもの」


 呆れと困惑を顔に出しながらも、彼女は本棚のある物置部屋に入っていった。彼も大人しく作業を始める。だが、100字も打ち込まない内に怠けたい気持ちに襲われる。少し寝転がってスマホでも眺めようかと思った時、隣の部屋から彼女が顔だけを覗かせた。


「今、だらけようと思ってたでしょ」

「だってこんなの楽しくないじゃん」


 ノートパソコンを指差しながら愚痴をこぼす。だが彼女は無表情のまま、


「じゃあ、私と出かけられなくなってもいいの?」


 と返すだけだった。彼が返答に困っていると、彼女は満足げな表情を浮かべ、


「じゃあ、せいぜい頑張るんだね」


 とだけ言葉を残してまた部屋へ戻っていった。ズルい、と呟きながらも、今度は気を引き締めて机に向かった。






「それにしても、___さんって頭いいよね」

「別に普通だよ。君こそ地頭いいんだし、本気でやればすぐに私なんか超えられちゃうよ」


 その言葉を彼は否定しなかった。別に自信があるわけじゃない。その言葉が嘘に聞こえなかった、そしてこの言葉を否定することは彼女を貶すことに他ならないと感じた、ただそれだけだった。


「僕はただ、今みたいに娯楽を楽しみながらその日暮らしで生きていればそれで満足だよ」

「じゃあ私とキャンパスライフ送れなくてもいいの?」

「…それは、嫌かも」

「じゃあもう一度聞くね」


 その時の彼女は、まるで小悪魔としか形容できなかった。右手を顔の近くに寄せ、意地の悪い笑みを浮かべて問いかける。


「私と同じ大学に行けなくてもいいの?」


 その問いの答えを述べたとき、彼に迷いは一切なかった。



 


 

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