第3話
「ねえ、マメ、いる?」
「何です?」
画面の左下からマメが顔を出した。
「この頃、俺、凄い借金をして土地と家を買っちゃって、あとあと随分苦労するんだけど、もしあのとき、大人しく元のマンションに住み続けていたら、一体どういうふうになっていたのかな?」
「なるほど。確かにターニングポイントですね。まあ、タケルというより、全国的にもそうだったようですけど」
「やっぱり、そうだよな。……て、お前、なんで知ってんの? あー、俺のファイルを全部読んだんだな」
「だって、再現するなら、よりリアルな方が良いでしょ。『一戸建て住み替え大作戦』って、なかなか良く計画されてましたよ。誤算はバブルの崩壊だけでしたね」
「あー、もう、でも、まあ、良いか。で、再現できるの?」
「はいはい、ちょっと待ってください」
画面が暗転し、1分間ほど待つと、道路工事の現場が映った。
その中から、青い制服にヘルメットを被った老人が、赤い誘導灯をブラブラさせながらこちらへ歩いて来た。
「どうも、こんにちは」
「ああ、どうも。何をしてるの?」
「工事現場の交通整理だよ」
「えっ、その仕事はいつからやってるの?」
「警備員は、50歳からやってるよ。最初は、ビルの警備員だったけど、60過ぎてからは工事現場に回された」
「県庁は、いつ辞めたの?」
「45歳のときに、くだらない上司と喧嘩して、早期退職制度で辞めた。ちょうどマンションのローンも返済し終わったからな」
「辞めてどうしたの?」
「ほら、大学のゼミの先輩で山川さんっていたろ。あの人に誘われて、焼き肉店の経営を手伝ったんだ」
「へえ、県庁、辞めたんだ」
「ああ、最初は繁盛して、8店舗まで増やせたんだ。多い月で120万くらい月給をもらってたよ。でも、1回食中毒を出しただけですべて終わったよ。その後は、貯金を切り崩して投資に手を出したりしたんだけど、全部失敗してね」
「それで、警備会社に?」
「うん、もう50歳だったからね、きつかったよ」
「女房と娘は?」
「ああ、離婚した。投資で借金を作っちゃったからな」
「けっこう、ハードな人生だね」
「そうだよな。思えば、マンションのローンを返済しちゃって、気が大きくなっちゃったんだよな。それで、上司に悪態ついて『辞めてやる』ってなっちゃった」
「へえー。そうなるんだ……」
現場の方から、別の警備員が「おーい」と声を上げ、手招きをした。
「はーい! じゃあ、行くよ」
「ああ、頑張ってな」
彼は再びヘルメットを被り、炎天下の道路工事現場へ走って行った。
しばらくボーっと彼の後ろ姿を見ていると、画面がマメの姿に切り替わった。
「タケル、大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
「タケルは、やっぱり心のどこかに自分の仕事への不満があったんですかね」
「ああ、四大卒なのに中級で県庁に入ったからな。納得してるつもりだったけど、やっぱり多少劣等感を持ってたんだろうな。無理して一戸建てを買おうとしたのも、仕事で勝てないならプライベートで勝ってやろうというつまらない見栄からだろう」
「じゃあ、結果はオーライじゃないですか」
「うん、確かにそうだな。あのローンがあったから、定年まで大人しく勤められたってことだもんな」
「どうです? 今の気持ちは」
「ああ、ホッとしてるよ。ありがとう、良いものを見せてくれて」
「AIもなかなか良い仕事しますね。次のターニングポイントは、いつにします?」
「そうだな。今度は、マメが選んでくれよ。もう、就職してからは良いから、もう少し若い頃が良いかな」
「えっ、僕が選んで良いんですか?」
「だって、お前、俺のデーター、全部見てるんだろ。じゃあ、例の『自分史年表』も見てるだろ」
「そうですか、じゃあ、僕が気になっているやつを……」
再び画面が暗転した。
1分程すると、今度は公園のような映像が現れた。
見ていると次第に拡大し、体育館のような建物に焦点が合った。
さらにアップになると、その建物の非常階段のようなところに、隠れるように1人の少年が座っていた。
「ああ、あの日だ……」
記憶が正しければ、あれは小学校6年生の頃だ。
私は、小学校1年生の頃から、地元のスイミングクラブに通っていた。
最初は、喘息の持病を治そうとして両親が入会させたらしいが、同期入会の子供たちよりも早く50メートルを泳げるようになったことに気を良くし、私は進んでプールに通うようになった。
足が遅いのがコンプレックスだった私は、夏の水泳の授業をきっかけに学校の皆から一目置かれる存在になり、ますます水泳が好きになっていった。
真面目に練習したせいで、3年生の頃にはクラブ内の選手クラスに格付けされ、 4年生では、自由形の100メートルで、県内で5本の指に入るまでになった。
そして、6年生の夏に出場した関東大会であの事件は起こった。
優勝候補とさえ言われ、有頂天になっていた私は、予選は余裕でトップ通過し、順調に準決勝に進んだ。
準決勝もトップで終えた私は、クラブの同僚選手たちに向けて派手なガッツポーズをして見せたが、飛び上がった拍子に足を滑らせて転倒し、左肩を亜脱臼してしまった。
大会本部で応急治療を受け、何とか決勝には出場したが、他の選手から大きく遅れをとり、途中で棄権した。
その後、人目を避けて非常階段の途中に座りこみ、1人で涙を流すことになるのだが、それは単に今大会の優勝や全国大会出場を逃したという理由だけではなかった。
全国大会で好成績を上げれば、県内の有名私立中学から誘いが入ることが慣例化していた。
そうなれば高校や大学はもちろん、果てはオリンピック出場も夢ではないという大切な試合だったのだ。
結局、一緒に出場していたクラブの同僚が全国大会へ進み、そこで3位になって私立中学へ入学した。
私は、肩を治して練習に復帰したが、なかなか調子は戻らず、年下の子らからも抜かれるようになった。
自信もやる気も消え失せ、地元の中学に入ってからは水泳部の誘いを無視し、遊び半分でサッカー部に入部した。
「泣いてますね」
「ああ、あれは相当ショックだったからな。そっとしておいてやろう」
「じゃあ、どうしますか?」
「えー、このネタで『もしもシリーズ』をやるの? あのときプールでコケなければどうなってたかって?」
「怪我さえなけりゃ、全国大会は確実だったんでしょ」
「まあ、あのときは負ける気はしなかったな」
「こういうのこそ、AIの本領が発揮される仕事なんですけどね。見たくないでか?」
「そんなに言うなら、見てみようか? 面白くなければすぐ消すけどね」
「ですよね。嘘のサクセスストーリーなんて見たくないですもんね。ところが、これはちょっと違うんですよ」
「えっ、転落人生とか?」
「それは言えません。見ますか?」
「待てよ、お前、もう見てるだろ。もう、出来ちゃってんだろ」
「そこは生成AIですから」
「分かったよ。じゃあ、見てみるよ」
「了解。ちょっと待ってくださいね」
言った後、マメの顔が少し笑ったように見えた。
今度は、5秒ほどで映像が現れた。
海の中を魚が泳いでいる。
海底のようだが、映像がズームアウトするとそれは水槽だと分かった。
「水族館か?」
見ていると、画面の端から派手な水色のユニホームを来た老人が登場した。
「やあ、こんにちは」
帽子を被っているから気が付かなかったが、よく見ると自分だと分かった。
「こんにちは。そこは水族館か何かですか?」
「そうだよ。子供の頃、行ったことあるでしょ」
「はい、シーワールドですね。今はそこで働いてるんですか?」
「うん、もう定年して、今はパート待遇で働かさせてもらってるんだ」
「そこには、どういう経緯で勤めるようになったんですか?」
「話せば長くなるよ」
「構いません。あの小6の関東大会はどうなったんですか?」
「ああ、古い話だね。あれは優勝したよ。でもって、全国大会も優勝だ。その後は、無事に私立中学に入り、自動的に付属の高校まで行った」
「当然、水泳は続けたんですよね」
「ああ、俺には水泳しか無かったからな。高1のとき、モントリオールオリンピックがかかった日本選手権で大会記録を出したんだけど、さすがに参加標準基準記録に届かなくて……」
「へえー。てことは、高1で日本一になったってことですか?」
「まあ、そういうことになるね。で、大学に進んで、2年のときには100m、200mの2種目で出場を決めたんだけど、それがモスクワでさ、行けなくなっちゃったんだよ」
「ああ、そうか、ソ連が戦争始めてボイコットしたときだ。ついてないですね」
「本当だよ。で、一時は次のロサンゼルスを目指したんだけど、さすがにもう気力が尽きちゃってね。ダメだったよ」
「長い間、頑張ったんですね」
「ああ。それで、水泳に関わる仕事も無い訳じゃなかったんだけど、きっぱりやめたくなっちゃってね。生活には困らないだろうと思って海上自衛隊に入ったんだけど、3年もやってると何だか虚しくなってきちゃって」
「それで、また転職したんですか?」
「昔から、水泳で活躍して顔が売れたら役者になろうと思ってたんだよね。俳優養成所に入って、ちょい役で何本か映画にも出させてもらったんだけど、それっきりになっちゃって。やっぱり、オリンピックでメダルを取ってないと話にならなかった」
「凄い展開。こりゃ、マメが面白がる訳だ」
「マメ?」
「いや、何でもないです。で、最後は水族館ですか?」
「うん。職安で求人が出てたんで、水に関する仕事なら良いかなと思って行ってみたんだ。水泳と役者経験があったから、イルカとシャチのショーのスタッフをやって、アシカ、トド、ペンギンとかもやったなあ。その後、運営スタッフになる頃には、もう良い歳になってて、まあ、このままで良いかって……」
「その仕事が合ってた?」
「うん、そうだね。結局、今でも続いてるんだから」
「へえ、かなり話を作り込んだな……」
「話? 作った?」
「いや、すいません。それで、家族は?」
「ああ、いない。いろいろ忙しくて結婚とか考える暇もなかった。お袋も半年前に亡くなったしね」
「ああ、そこは一緒か。人生、楽しかったですか?」
「そうだな。まあ、こんなもんだろうなとは思ってるよ」
「へえ……」
そこで画面が暗転した
もう少し話をしたかったなと思いながら見ていると、マメが現れた。
「だんだんAIも調子が出てきました。次は、もっと違う結末になりそうですよ」
「
「AIもどんどん学習していきますからね。つまりココが良くなっていく訳です」
マメは右腕を曲げて、力こぶの部分を左手で叩いて見せた。
横に座っていたマメロボが「ワン!」と鳴いて、嬉しそうに尻尾を振った。
「いや、まあ、そんなに言うなら見てやろうか」
「はい、行きますよ」
画面が再度暗転し、1分ほどすると上空から見た都会の映像が現れた。
ゴミゴミした感じからすると、どうやら東京らしい。
「大学時代か?」
独り言を言いながら見ていると、大通りの路地に焦点が合い、次に地上からの映像に切り替わった。
「あっ! あの喫茶店じゃん」
それは、昔、お茶の水にあった小さな喫茶店だ。
私の大学が近くにあった関係で、何かというとここで時間を潰していた。
友達と会いたければここに来れば誰かしらいたし、携帯の無かった時代だから、待ち合わせにも良く使った。
「懐かしいな。学校より、ここにいる時間の方が長かったな」
そのとき、大通りの方から赤いスタジアムジャンパーの若者が走って来た。
店の扉を開けて中を見回し、白いエプロンをつけた女性と言葉を交わすが、苦々しい顔をして扉を閉め、こちらへ向かって歩いて来た。
私には、それが大学3年の頃の自分だということがすぐに分かった。
「どうした。彼女、帰っちゃったのか?」
「あ、はい。地下鉄が止まってしまって、さっきまでいたらしいんですけど……」
「そりゃ、2時間も遅れたらいなくなっちゃうよ。連絡先とか、聞いて無いんだろ」
「はあ、こないだ清里で会って、今日のこの時間に会おうって約束しただけだから」
「どうする。探すか?」
「いやあ、無理でしょ」
「大学の事務局で、学籍簿を見れば分かるかもよ」
「いえ、もう良いです。もし本当に縁があるなら、この界隈でまた会えるでしょう」
「ふーん」
私は、この年の夏休み、清里の民宿で泊まり込みのバイトをした。
客の送迎や部屋の掃除などの雑用だったが、バイト期間が終わりに近づいたある日、そこに泊まりに来ていた1人の女子大学生と出会った。
大学が近く、出身も隣町ということで意気投合し、空いた日に2人で会い、少し良い感じになった。
しかし、彼女はその翌日帰るというので、夏休み明けに大学の近くで、場所と時間だけを決めて会う約束をしたのだった。
結局、私が寝坊で遅刻したため、すれ違いとなり、それっきりになってしまったが、清里で撮った写真は今でもアルバムのどこかに残っているはずだ。
ちなみに、今の妻とは県庁に入ってから、出向先の市役所で知り合って結婚した。
学生の私が歩き去ると、喫茶店の扉が開いてマメが出て来た。
「おい、妙なところから登場したな」
「ちょっと、演出してみました」
「それで、この後はどうするの?」
「うーん、彼女の情報は少ないんですが、もしあそこで間に合って、関係が続いていたらっていう感じでどうですか?」
「えー、どうかな。彼女と続いていたら、妻とは結婚していないかな。なんか後ろめたい気もするけど、でも、見てみたい気持ちもするなあ」
「じゃあ、やめときますか?」
「いや、見る。見ます」
「そうでしょ。じゃあ、ちょっと待っててください」
今度は、お茶の水の路地の映像がそのまま流れていたが、1分程するといきなり農村の風景に切り替わった。
「えっ?」
そのうち映像は拡大し、見慣れた農家に焦点が合った。
「なんだ、うちじゃん。今と同じってこと?」
「ちょっと待って。よく見ててください」
「うん」
見ていると、家の前に止まっていた軽トラから、作業服姿の老人が降りて来た。
見た感じは今の私と瓜二つだが、浅黒く日焼けしていて、何となくにこやかな表情をしている。
「やあ、こんにちは。今日は良い天気だねえ」
「は、はあ」
先に話し掛けられて、少し面食らってしまった。
「今年は台風も来なかったし、米も野菜も例年通り、いっぱい獲れたよ」
「はあ、それは良かった。ところで、今でも田と畑は続けてるんですか?」
「ああ、親父から引き継いでね。それと、何軒か後取りのいない家の分も預かってるんだよ」
元々うちの家も田と畑を持っていて、父が健在の頃には細々と農家をやっていた。
父は、若い頃は鉄道会社に勤めていたが、定年と同時に帰って来て、動けなくなった祖父に代わって農家になった。
それを母から相続した私たちは、農業委員会に相談して引き取ってもらったのだが、どうやら映像の中の私は父と同じ道を
「それで、儲かってますか?」
「いやいや、儲かりはしないよ。まあ、でも市役所勤めのお陰で年金もあるし、生活は困らないかな。孫もいっぱい出来て、なかなか楽しい老後だよ」
家の方から中年の女性が出て来た。
後ろから、幼児と子犬も走って来る。
「あれは?」
「女房と3番目の娘の子だよ。ちょっと晩婚だったからね」
「奥さんは、あの、大学のときの?」
「そう、清里の」
「へー、結婚したんだ」
「うん、大学を出て市役所に就職して3年程してね。家に入ってくれるって言うもんだから、両親も喜んじゃって」
「で、子供さんは?」
「ああ、1番目と3番目が娘で、2番目が長男だな。長男は県庁に勤めてる」
「娘さんたちは、この近くに住んでるの?」
「うん、2人ともすぐ近くに嫁に行ったんだ。3番目の
「息子さんは、上級試験を受けて県庁に入ったんですか?」
「うん、今、商工労働部の何とかっていう課長だったかな」
「へえ、優秀ですね」
「おかげさまで、俺に似なくて良かったよ」
「いえいえ、そんなことは。あ、いや、自分に言うのもおかしいか……」
「えっ、なに?」
「いえ、何でもありません」
「じゃあ、またね。これからお袋を病院へ連れて行くんだ。その後は市議のとこへ行くから。次の市議選に出てくれって頼まれちゃってね。地元暮らしはなかなか忙しいよ」
「えっ、ちょっと待って、お袋って?」
「母ちゃんだよ」
映像の中の私はそう言って立ち去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます