魂の分解

人は、触れてはいけないものに触れたとき、

それを危険だとは、すぐに理解できない。


身体のどこかが、

危険より先に、

懐かしいものに触れたような感覚を

覚えてしまうことがある。 


 

▼ △ ▼



夜。


メイと別れ、

レオンは自室に戻った。


部屋の灯りを消し、

ベッドに横になっていたが、

眠気は訪れない。


一度、目を閉じてみる。

だが、すぐに開いた。


暗闇の中で、

自分の呼吸の音だけが、

やけに大きく聞こえる。


寝返りを打つ。

シーツが擦れる音がする。


それだけだ。


何も起きない。

時間だけが、止まっているような気がした。


何度目かも分からない溜息のあと、

レオンは身を起こした。


眠ることをあきらめて、

天井を見上げる。

窓から漏れる街路灯の薄明かりが、

天井に影をのばしているのを眺めていた。


あれから、ずっと胸の奥に、

小さな棘のような違和感が残っていた。


消えない。

意識を逸らしても、そこにある。


病院内で感じた、

あの感覚。

その正体が、

自分でも、分からない。


レオンは息を吐き、

立ち上がると、机の前に座った。


無意識に、

PCの電源を入れる。


起動音が、

やけに大きく聞こえた。


画面の光だけが、

暗い部屋を照らす。


ふと、

その青白い光にすら、

既視感を覚える。


「一体……何なんだ」


戸惑いながら、

キーボードに指を走らせる。


アクセスしたのは、

冥府省内部システム。


業務上の権限がある以上、

内部システムにアクセスすること自体は、

不自然ではない。


見慣れた画面が表示される。


日常的な業務情報。

報告書の一覧。

処理状況のサマリー。


いつもと変わらない。

ただの、業務画面だ。


それを、

ただ眺めていた。


――その、はずだった。



もっと、奥がある。


ふと、

そんな感覚が胸をよぎる。


理屈ではない。

理由もない。

けれど、確信に近い妙な自信だけがあった。


自分なら――


冥府省のさらに深い場所。

誰も知らない領域を、

覗くことができる。


駄目だ。


関係者であっても、

ここから先は踏み込んではいけない。


頭では、

はっきりと分かっている。


それでも。


警告は出ない。


セキュリティにも、

引っかからない。


何も起きるはずがない。


――俺が、アクセスしているのだから。


その事実が、

胸の奥をざわつかせた。


指が、止まらない。


気づけば、

キーボードの上を、

滑るように動いていた。


ロックを一つ突破する。

また一つ。


キーボードを打つ音が、

どこか遠い。


時間の感覚が、

薄れていく。


壁に掛けた時計を、

見た気がしたが、

針が動いていたかどうか、

思い出せなかった。


胸の奥が、

じわりと熱を帯びる。


高揚感。

懐かしさ。


身に覚えのない、

――帰ってきた、という感覚。


「なぜだ……」


レオンは、

小さく呟く。


「俺は、この感覚を……」


知っている。


理由は、分からない。

だが、否定もできなかった。


画面が、ぱっと切り替わる。


処分工程。

処理ログ。


無機質な文字列が、

整然と並んでいる。


そこに、感情はない。

あるのは、工程と結果だけ。


分解工程。

再構築。

適応失敗。

例外処理。


スクロールする。


視線が、

自然と流れる。


理解しようとは、していない。

それでも、意味が形として、

流れ込んでくる。


人の死が、

出来事ではなく、

処理として並んでいた。


完了。

保留。

再試行。

修復不可。


レオンの指先が、

わずかに震える。


画面を閉じようとして、

手が止まった。


一行。


目に入ってしまった項目。


魂:分解対象


呼吸が、

一瞬止まる。


別のログ。


分解単位:意識


……意識?


レオンは、

思わず胸元を押さえた。


心臓の鼓動が、

早い。


浅い呼吸が、

何度も繰り返される。


理解は、できていない。

理解してはいけない、

と身体が訴えている。


それでも、

目は離れなかった。


これ以上、

踏み込んではいけない。

そう分かっているのに。


(俺は……また……)


――また?

またって……なんだ。


思い出そうとしているわけではない。


記憶の形をしたものは、

何ひとつ浮かんでこない。


それでも、

確かに“欠けている”感覚だけがあった。


思い出せないのではない。


――思い出そうとしても、

そこに、手応えがない。


そもそも……


俺は、誰なんだ。


その問いが、

胸の奥に沈んだまま、

形にならない。


レオンは、

乱暴に画面を閉じた。


部屋が、すっと暗くなり、

外から反射する街路灯の薄明かりだけになる。


PCの冷却音だけが、

しばらく残り、

やがて消えた。


静かな夜の気配が、

ゆっくりと戻ってくる。


遠くで車の走る音。


少しだけ開けた窓から、

風がそよぎ、

ふわりとカーテンを揺らす。


レオンは、

その場から動けなかった。


胸の奥に残る、

言葉にならない感覚。



「……魂の、分解」

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