僕にだけ、来ない未来

死は、正しく還らなければならない。


黄泉送りのメイにとって、

それは当たり前で、

疑われたことのない仕組みだった。


――今日、この時までは。



病院の屋上は、

まだ朝と呼ぶには早い時間だった。


フェンス越しに、微睡む街が見下ろせる。

三人は、互いに距離を取ったまま立っていた。


やがて――

淳が口を開いた。



▼ △ ▼



普通に暮らしていた。


友達がいて、

サッカーが好きで、

放課後は部活に行って。


将来、何になるかなんて分からなかったけれど、

未来が来ること自体を疑ったことはなかった。


それが、

当たり前だと思っていた。



――発病は、突然だった。


鼻血が止まらなくなった。

最初は、乾燥のせいだと思った。


けれど、何度も繰り返すうちに、

母親の顔色が変わった。


病院を受診すると、

そのまま精密検査になった。


その頃には、鼻血だけじゃなく、

なんとなく疲れやすくなっていた。


待たされた時間の長さだけは、

妙にはっきり覚えている。


そして、告げられた病名は――

「急性白血病」だった。


その日から、

淳の「普通」は、終わりを告げた。


学校には行けなくなり、

部活も、友達も、

少しずつ遠ざかっていった。


未来は、

まだ来ていないのに。


自分だけが置き去りにされてゆく。


気がつけば、

“生きていること”そのものが、

治療の対象になっていた。



「……俺さ」


「病気だったけど、

ちゃんと治療も受けてたし」


「悪いことも、

別にしてなかったと思うんだ」


淳は、そこで一度、言葉を切った。


「なのに、

なんであんなふうに

急かされなきゃいけなかったんだろうな」


その言葉に、

レオンの胸の奥で、

病院内で感じたまま置き去りにしていた違和感が、

微かに疼いた。


だが、

今ここで触れるべきものではない。


レオンは、

その感覚を

意識の端へ押しやった。


淳の声が、少し低くなる。


「あの穴の中に落ちて、怖くて。

でも、気が付いたら街にいたんだ」


「箱を持った男がさ……

『お前の好きなところへ行って、

やりたいようにやれよ』って」


「もう自由だから、って」


「だから……家に帰った」


「でも、俺はもう――」


その瞬間、レオンは、

淳の魂に絡みついた黒いコードが、

感情に煽られるように、

ゆらりと揺れた――

そんな気がした。


「そう思ったら、

怒りがわいてきて、

どうしようもなくなって」


「なんで俺だけがって。

わけ、わかんなくなって」


メイは、何も言えなかった。

ただ、指先に力が入る。


胸の奥が、ぎゅっと縮む。

声を出したら、

崩れてしまいそうだった。



◆ ◆ ◆



すっかり日は暮れ、街の明かりが瞬く。


自室のマンションのベランダで、メイは

手にした缶ビールを一口飲み、溜息をついた。

あのとき、病院の屋上で――


「……ちゃんと、送るから」


「だから……今は、ごめんね」


病院の屋上で、

メイはそう告げて、

送魂アプリを操作した。


しばらくの沈黙のあと、

淳が、薄く笑う。


「……うん」


「話せただけで、少し……楽になった気がする」


それだけ言って、

淳の輪郭は、月明かりの中に滲んでいった。


次の瞬間――


手元のスマホが短く震え、

無機質な表示が浮かび上がる。


【送魂処理済(一般案件)】

【死因:病死/進藤 淳】

【一時保管:有効】


送魂アプリの画面は、

いつもと変わらなかった。


手順も、

表示も、

何ひとつ違わない。


それなのに、

指先だけが、

その手順を拒んでいた。


――“送らない”という選択肢は、

本来、ここには存在しないはずなのに。


魂は三途の川を渡り、

黄泉平坂を登り、

その先にある──

火口へと落ちていくはずだ。


落ちれば――現世での全ての罪を許され、

魂は来世へ輪廻転生する。


……たぶん。

少なくとも、メイはそう認識していた。


手元のビールの缶は、

いつの間にか、ぬるくなっていた。


飲み干したはずなのに、

手放す気になれず、

指先で、何度も転がす。


街の音は、

昼間より、ずっと遠い。


手すりに背を預け、

メイは空を見上げた。


「……ちゃんと、送ってあげたかったな」


ぽつりと零れた言葉に――


視界の端で、

鳶色の瞳が、こちらを覗き込んだ。


「でもさ。

狂暴化も暴走もしてないだけで、

すごいことだぜ?」


「……っ!?」


思わず身を引く。


いつの間にか、

手すりの上に座っていた男が、

面白そうに肩をすくめていた。


「やあ、メイ。

会いに来ちゃったよ」


パンドラが、そう言った。





* * *

カクヨムコン参加中です。

よろしければ、応援(★・フォロー・感想)をいただけると励みになります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る