2. 自我の萌芽

小学校に入学したばかりの頃、世界はまだ分解されていなかった。

教室には机が並び、黒板があり、先生が立ち、子どもたちは等しくそこに座っていた。少なくとも僕の目には、誰が優れていて、誰が劣っているのかという序列は存在していなかった。ただ、名前を呼ばれ、返事をし、与えられた課題をこなす。それだけで、一日が成立していた。

姉は姉で、僕は僕だった。

その事実に説明は要らず、疑問も挟まれなかった。休み時間には友達と遊び、給食を食べ、下校する。そこに「比較」という概念は、まだ明確な形を持っていなかった。

僕は特別に明るい子どもではなかったが、孤立していたわけでもない。教室の隅にいながらも、確かにその場に含まれていた。その「含まれている」という感覚が、当時の僕を支えていたのだと思う。

だが、世界は少しずつ形を変え始めていた。

それに気づいたのは、ずっと後になってからだった。

小学四年生までは、学校という場所に特別な意味を見出していなかった。行けば一日が始まり、帰れば終わる。それ以上でも以下でもない。ただ流れに身を委ねていればよかった。教室にいる自分の姿を、意識的に考える必要はなかった。

変化は、外からやってきたというより、内側で静かに進行していた。授業中、ふと周囲を見渡したとき、他人の振る舞いが妙に気になるようになった。発言の仕方、笑うタイミング、先生との距離感。以前は背景として処理していたものが、急に輪郭を持ち始めた。

同時に、自分の動作も過剰に意識するようになった。発言する前に、これを言っても大丈夫かと考える。手を挙げるべきか、黙っているべきかを計算する。その一瞬

の躊躇が、積み重なっていった。

学校は何も命じていない。

それでも、僕は自分に命じていた。

「失敗しないように」「目立たないように」と。

そうやって、自分自身を管理する癖が、少しずつ身についていった。

小学五年生になる頃、朝の空気が変わった。

目が覚めると、胸の奥に重たい感覚があった。体調が悪いわけではないのに、布団から出るまでに時間がかかる。制服に手を伸ばすだけで、理由の分からない緊張が走った。

学校へ行く道を想像すると、頭がざわついた。

教室、机、黒板、周囲の視線。そこに立つ自分の姿を思い浮かべると、呼吸が浅くなる。何かが怖いわけではない。ただ、そこに行かなければならないという事実が、圧迫としてのしかかってきた。

最初は、気のせいだと思っていた。

少し休めば元に戻る。そう信じていた。だが、朝になるたびに同じ感覚が繰り返された。逃げ場のない重さだった。

学校という場所は、明確な拒絶をしない。

代わりに、「行くのが当然」という前提を静かに押し付けてくる。その前提に応えられなくなったとき、人は理由のない罪悪感を抱く。

僕は、その罪悪感を抱えたまま、家に残るようになった。

学校へ行かない日々が始まると、時間の流れが歪んだ。

朝と昼と夜の区別はあるのに、一日一日が同じ重さで積み重なっていく。カレンダーの数字だけが進み、僕の中の何かは置き去りにされていた。

家の中は静かだった。

母は無理に理由を聞かなかった。その沈黙は優しさだったが、同時に、僕が説明責任を放棄しているような後ろめたさも生んだ。父は「そのうち行けるようになる」と言った。その言葉は励ましであると同時に、終わりの見えない猶予の宣告のようでもあった。

姉は何も言わなかった。

朝になると制服を着て家を出ていき、夕方になると当たり前の顔で帰ってくる。その規則正しさは、僕にとって救いであり、同時に残酷だった。姉は世界と接続され続けている。僕は、そこから切断されている。

その差は、日ごとに明確になっていった。

学校へ行かなくなってから、僕は自分の存在について考える時間が増えた。

それまでは、存在することに理由など必要なかった。ただそこにいればよかった。だが、学校という場所から外れた瞬間、僕は「なぜ自分はここにいるのか」を自分で説明しなければならなくなった。

答えは見つからなかった。

本を読んでも、テレビを見ても、時間は埋まるだけで、意味は生まれなかった。友達からの連絡は徐々に減り、僕は世界の更新から取り残されていった。

学校は、行かなくなると急速に遠ざかる。

そこに属していないという事実が、日を追うごとに現実味を帯びていく。僕はまだ子どもだったが、同時に、自分が「外側」にいることだけは、はっきりと理解していた。

六年生になる頃、僕は再び学校へ戻ることになった。

それは強い決意によるものではなかった。周囲の空気と、自分の中に芽生えた焦りが、自然と僕を教室へ押し戻しただけだった。行かなければならない理由が見つかったわけではない。ただ、行かないままでいることへの不安が、次第に大きくなっていった。

復帰した初日、教室は驚くほど静かだった。

誰も大げさな反応を示さず、特別な言葉もかけられなかった。そのことに、僕は少し拍子抜けし、同時に安堵もした。戻ることが許されたという感覚が、確かにあった。

だが、その安堵はすぐに別の感情へと変わった。

僕がいなかった時間は、教室の流れを乱していなかった。誰かの記憶に強く残る欠落ではなかった。その事実が、静かに胸に沈んだ。

学校へ戻ってから、僕は以前よりも自分を意識するようになった。

教室に座っていても、意識は常に自分自身に向かっていた。今の自分はどう見えているのか。浮いていないか。邪魔になっていないか。そうした問いが、頭の中で途切れることなく繰り返された。

発言は慎重になった。

間違えるくらいなら、黙っていた方がいい。そう考えるようになり、手を挙げる回数は減った。笑うときでさえ、場の空気を確認してから表情を作った。

学校という装置は、復帰した者に対して特別な配慮をしない。

それは公平さの名のもとに行われるが、同時に、個人の履歴を無化する残酷さも含んでいる。僕の不在はなかったことにされ、僕自身もそれを受け入れた。


「いなくてもよかった存在」


その認識が、ゆっくりと自我の一部になっていった。

この頃から、僕の中に一つの問いが定着した。

それは声に出されることのない、しかし常に意識の底で反響し続ける問いだった。


「自分は、ここにいていいのか」


その問いは、誰かに投げかけられたものではない。教師でも、友人でも、家族でもない。僕自身が、僕に向けて発していた。学校という装置の中で、役割を果たし、遅れず、乱さず、余計な負荷をかけない存在であること。その条件を満たしていなければ、ここにいる資格はないのではないかという疑念だった。

自我は、この問いとともに芽生えた。

それは誇らしい自覚ではなく、常に自分を疑い続ける意識だった。自分の存在を肯定するよりも先に、否定される可能性を検討する癖がついた。

学校は何も言わない。

ただ、沈黙の中で基準を提示し続ける。その基準に適応できない者は、自分で自分を裁くしかない。

僕は、この装置の中で、「自分」という感覚を獲得した。

それは自由でも、解放でもなかった。ただ、世界との距離を測るための物差しだった。

こうして、僕の自我は形成された。

脆く、不安定で、常に他者の視線を想定したかたちで。

そしてこの感覚は、この先も長く、僕の中に残り続けることになる。

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